三 ~ 血を吸われることを考えれば…… ~ (9)
嘘も方便。
時にはその方がいいこともある。
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どれだけ姫香に僕は弄ばれればいいのか。まったくもって、恨みたくなる。
朝のHRが始まる直前に姫香は教室に現れた。
僕が憎らしく睨むと、まったく意にも返せず、平然と「おはよ」と挨拶をしてきた。
もちろん、僕は無視をしてやった。
ふざけたことを広げるな、と叱責したいのだが、話す機会が上手く噛み合わなかった。
下手に姫香に近寄って、それを吉村に茶化されるのも癪であるので、話しかけなかった。
とは言え、吉村からの執拗な質問攻めはあり、嫌気が差すことに変わりはなかったのだが。
すべて姫香のせいである。
今日もバイトらしいので、そのときに責めればいい。
そして夜。昼間はどこか雲行きが怪しかったが、夜になると空の機嫌も治ったらしく、月と星が優雅に泳いでいた。
騒がしい街を照らす月は、寛容に見えた。
淡い月を眺めていると、心が落ち着いて……。
「ーーお待たせ」
いやいや。許すわけにはいかない。
ガードレールに腰かけていると、上機嫌に現れた姫香。子供みたいに無邪気な姿に、僕は溜め息をこぼす。
「どうしたの? 元気ないみたいだけど」
「誰のせいだよ」
悪びれていない姿に、反論する気も失せてしまいそうだ。
「じゃ、行こ」
数カ月前にこんな状況になっていたら、今の気持ちも違っていたであろう。
姫香が吸血鬼だと知らなければ。
姫香はクラスでも上位に入るほど容姿は可愛い。そんな子に「つき合ってる」と周りに言っているのならば、僕だって浮かれていたであろう。
でも、それは数カ月前ならば、の話である。
「なんで、あんな嘘言ったんだよ」
夜風が心地いいなかをゆったりと歩き、静かに問い詰めた。
「ーー嘘って?」
二、三歩先を歩いている姫香はくるりと振り返り、背中に腕を回しながら、後ろ向きに歩いていた。
「僕らがつき合ってる、なんて話だよ」
「あぁ、あれね」
ふと止まり、「あぁ」といった様子で唇を尖らせ、髪を撫でた。
「だって、そうじゃない。こうやって、二人で歩いているところを見られて、変に思われるよりも、公言しておいた方が楽でしょ?」
「いや、だからって」
もっと責めたかったのだが、「そうでしょ」と満足げに言いくるめられ、僕は口を噤んでしまう。
「……けどなぁ」
「なんだったら、本当に私ら、つき合う?」
「ーーはぁっ?」
これ以上、つき合ってられないと、姫香を抜いて歩いていると、すれ違い際に不意に話してきた姫香に、喉の奥に空気が固まり、息が詰まった。
「お前、何急にそんなこと言うんだよ」
「私はどっちでもいいよ」
何をふざけているんだ? 本気なのか……?
ヤバい、何を意識しているんだ? これは告白…… なのか?
確かに姫香は可愛い。こんな子が恋人なら……。
悔しいが動悸が速くなっている。ダメだ……。
嬉しい…… だけど。
それは以前ならば、である。動悸が治まっていく。
そう。今は絶対に裏がある。
「だって、そうじゃん。私らが恋人になったら、それってもう「繋」みたいなもんでしょ。ってことはさ、私は古川くんの血を吸い放題ってことになるじゃない」
それまでは気恥ずかしそうに顔を背けていた姫香。それこそ、本気で言っているのかと疑ってしまいそうな素振りが、すべて振り払われた。
やっぱり、そうなのか。
自然と溜め息がこぼれた。
「ったく、知るか。ずっと、薬を飲んでいたらいいだろ」
「もう、なんで? その方が私の体の負担も楽なんだからさ」
「薬で充分だろっ」
もういい。無視だ、無視。
帰ろう。隣で手を合わせて懇願する姫香を、蚊を払うみたいに手を振り払い、歩き出す。
「ちょっとぉ、私のことを心配してるなら、それぐらいいいじゃん」
「バカ言うな。僕が心配してるのは、お前に襲われそうな奴だよ」
「もうっ。そんなことを言うなら、本当に人を襲うよ」
「発作が起きなければ、大丈夫なんだろ」
「わかんないよ。最近、薬の量が増えちゃってんだよ。今日もちょっと、頭痛いんだからさぁ~」
「知るかっ」
“嘘”じゃなくなれば、納得するんでしょ。
そうなると、話は簡単なんだけど。




