二 ~ 吸血鬼? 吸血鬼って普通なのか? ~ (1)
大丈夫、大丈夫。
そんなに怖がることなんてないんだから。
第二章
1
はぁ? いやいやいや。何を言っているんだ?
「吸血鬼? はい?」
「そう。その通り」
おいっ、とツッコミたくなる。
姫香は悪びれることなく、口元でピースサインを作って笑っている。
なんだ、それは。どこかのアイドルの媚びたポーズにしか見えないじゃないか。
姫香とは対照的に、僕の表情は次第に曇っていく。
あまりに子供じみた笑顔を前にしてしまうと、不安しか積もらないのは間違いなのか。
いやいやいや。間違いじゃない。ここで退くわけにも行かず、背筋を伸ばす。
「何、冗談言ってんのさ、そんなの」
「ーーでも、見ちゃったんでしょ、私のこれ」
と、姫香は自分の八重歯を指差した。
「いや、だからってーー」
反論できない。昨日の光景に怯えてしまっていて、伸ばした背筋を丸めてしまう。
「ーーでね。一つ相談があるんだけど」
言い淀んでいると、そこに割り込む姫香。今度は右手の人差し指を突き立てた。
さらには首を伸ばして。
ダメだ。
どうしたって、嫌なイメージしか浮かばず、話を聞くまでもなくかぶりを振って否定する。
そこに姫香は「まぁ、まぁ」と手を振って諭し、最後にパチッと手を叩く。
「私に~、古川くんの~ーー」
「ーーストップ」
ダメだ、ダメだ。両手を出して制するが、扉を開くように真ん中に手を差し込み、左右に広げると、僕の顔がさらけ出される。
きっと恐怖に怯えていただろう。そこに舌舐めをした姫香。
なぜだろうか、この先に求められることが理解できそうである。
「ーー血をちょ~だいっ」
「だから、なんだよ、それはっ」
「言ったじゃない。私は吸血鬼だって」
悪びれることなく話を進める姫香。拒絶するにも、両手をしっかりと掴まれてしまい、今回ばかりは逃げられない。
だが、屈するわけにはいかない。
「血って、また昨日みたいに襲うのか? 止めろ。そんなことしたら、本当に死ぬだろっ」
もう抵抗できるのは声だけでしかなく、無様に張り上げた。
「あ、ごめん、ごめん。昨日は特別だから」
何が特別だ。
そこで姫香は照れ臭そうに首をすぼめ、わざとらしく頬を手で覆う。さも、ぶりっ子が媚びるような仕草で。
やっと開放された手。放れて気づいたが、姫香の手が異様に冷たかった。
氷みたいな冷たさ。それは僕の体温が高いだけか、姫香が低血圧なのか、それとも急に掴まれて緊張してしまったのか。
そらにしても、その冷たさに意識は止まった。
「昨日はちょっと疲れていたっていうか、低血圧っていうか。まぁ、薬を飲んでいなかったってこともあって、体調が優れなかったの」
宙を指差し、あたかも人を襲ってしまった原因があるのだと示すように、指を左右に動かした。唇を尖らせて。
「いや、だからって人を襲うことは許されないだろ」
思わずツッコんでしまう。なんだ、その「仕方がないよね」って態度は、おいっ。
「あれは発作みたいなものよ。いつもあんなんじゃないの。だから許して。ね」
「ーーね。じゃねぇよ」
「大丈夫。もう襲ったりしないって。ちょっと、首筋にカプッてやるだけだから」
と、そこで手刀を切って懇願されてしまう。
「だから、無理だってのっ」
もうこれ以上つき合っていられない。うん。
まだ提出物は完成していない。成績は落ちるだろう。うん。確実に落ちる。
だからなんだ。それでいい。
僕はそそくさと筆箱をカバンに仕舞い、帰ろうと席を立った。
「あ、待って、待って、待って。ね、ね、ね、ね」
すぐさま教室を出ようとすると、姫香は僕の右手を掴み、必死で引き留めようと引っ張った。
やはり手が冷たい。いや、それどころではない。逃げなくちゃ。
「お願い。ホントに怖くないかーー」
「ーー知るか、そんなーー」
僕には関係ない、と叫ぼうとした瞬間、右手を掴んでいた冷たさから、急に開放された。
ドサッと大きな音とともに。
奇妙な開放に振り向く。
「ーー今田?」
すると、姫香は後ろで倒れ込んでいた。
これはどこかで見たことのある光景だな。いや、あのときは僕が下に倒れていたか。
ってか、また?
何も難しいことなんて、一言も言っていない。
簡単なことしか。




