第40話 これでよかったはずなのに
今や公爵と同等の立場を有した貴族を殴り飛ばすなどと言う、前代未聞の事件をしたクロードはこれ以上城にいられなくなり、逃げるように去っていった。
起こした人間が貴族の子息となればあまり大事にしたくないのが貴族社会、そして加害者が被害者の息子とあれば問題はややこしくなるばかり。
ただの家族喧嘩にしてはやりすぎだが、国を挙げて捜索するにはあまりにも小さすぎる。
けれどクロードの父、ガジス伯爵は国内有数の権力者。
何もしないことが不敬なのだ。
形だけでも捜索やクロードの捕獲に勤しみ、機嫌が治るのを待てばいいと貴族たちは決めつけた。ただの家族喧嘩、そう思っていた。
だが、どちらもそのただの家族喧嘩を超えている。
ガジスの目論見はクロードの捕獲、そして出世の踏み台にすること。
牢に繋がれるのも、殺されるのも処刑されることも許容しない。あくまで生きた状態のクロードを従わせることが目的だ。
貴族としての地位を保ったままのクロードにガジスの代わりにコネクションを作らせる、血縁関係という名の鎖をつける。
そのためには罪人として傷をつける事は許されない。
顔に傷でも付けば価値が下がる。
四肢が無ければ価値が下がる。
無傷でクロードを捕らえる、そのために初めから仕込んであったものを使う。
交渉材料に取っておき、結局使う機会を無くしたものがまだ残っている。
ガジスは権力のために権力を使い、なんとしてでもクロードを捕獲する。
もう二度と自由など与えない。
■
無様に取り乱し、本来の目的を達成する事なく城から逃げる事になった。
今の顔を鏡で見るならきっと死んだような目をしているのだろうと、殴りつけた時の返り血がついた拳に目をやった。
城に一番近い貴族街にはガラス出てきたショーウィンドーで品物を見せびらかしているが、鏡になりそうもなく向けた視線を元に戻した。
ズキズキと痛む拳に、いつもなら文句を垂れながら治してくれる者がいる事に胸が締め付けられた。
父との交渉を自ら破壊したクロードにもう一度はない。
あの後怒り狂ったガジスが私兵を向けて自身を殺しにかかるのだろうと予期して足が早まる。
そうなってしまえばシャルラとの合流はできない。
彼女を必要以上に危険にさらさないためにも、クロードは本当にお別れする必要があった。
格好だけは貴族で、拳には血が滲んでいる少年は嫌な者でも見たかのように避けていく潔癖性な貴族のおかげで前を向いていなくても誰かにぶつかることはなかった。
そうして死んだ目をして歩き続け、自然と着いた先は朝に出発した宿だった。
おぼつかない足取りで中に入り、会うつもりもなかったのに何しにきたんだと、頭を掻き毟っては自身を卑下した。
会って被害を受けるのはシャルラだ、なのになんで彼女を巻き込もうとする。
理性では理解し兼ねる物のせいで足を動かしてしまった。
宿の入り口付近で引きずるように立っているクロードに反応した店主が、シャルラ達は既に居ないと、そう伝えた。
「ああ、あああああああ。ああああああああ」
言葉が出なかった。
何一つ形にできなかった。
怒りは湧いてこない、結果を見れば大勝利ではないか。
シャルラはもう居ない、クロードの問題に巻き込まれることなく護衛されながら家に帰る。今思いつく最善の行動は取られていた。これ以上ない正解がもうあった。
「なのに……どうして、俺は……」
泣いていた。
嬉しいはずなのに、正しいはずなのに、それが一番効率的だと知っていながら。
なんの不都合もないハッピーエンドなのだと理解しておきながら、どうしても涙を止められなかった。
ふらつく足で宿から出て醜い顔のまま裏路地に雪崩れ込んだ。
貴族街の裏路地は物取りが出ないくらいには治安がいい。そして好きで裏路地に入ることのない彼らによって狭い空間の中一人になることができた。
「かっこつけて……馬鹿だな……俺は」
伸びきった髪をくしゃくしゃに握りしめて壁に持たれた。
「最後だって分かってればさよならくらい言ってやりたかった、もう二度と会えないって知っていればちゃんと別れられた」
ただの怠惰、終わった事をたらればで語る愚かな行為。
帰ってこれると、また会えると驕っていたのはクロードの怠惰
交渉に来て我を忘れて殴り飛ばしたのはクロードの怠惰
死んだ人間が蘇らないと知っていながら、意味のない事に怒りを露わにした彼の負けだ。殴った所でアリーシャは帰ってこない、その場にいなかったクロードが責任を感じる理由はない。
にも関わらず彼は手を出してしまった。
何事もなかったかのように流し、アリーシャが死んだことへ波風立てずにいれば今の状況には陥っていない。
全てはクロード自身の怠惰。
「ああ、クソ。なんでだよ」
あのとき手を伸ばさなかった事を悔いた。
最後の機会を棒に振った。寝ているシャルラを起こさないようにと下ろした手は未だに行き場を失っている。
終わった事だと決め付けて、何事もなかったように過ごす事はできない。
クロードが理解している事で、エドが口にした事だ。
何も終わらない、途中で投げ出すことは許されない。
この人生から逃げることは万が一にもない。
そうやって溢れ出る後悔と、負の感情を押し込んでつまらなく歩いた。
何もしないで立ち止まっている事に限界を感じて引きずりながら歩いた。
クロードが後悔している間に日が落ちてきており、裏路地は次第に暗くなる。
そして1日あればこの街から出ていくことくらいはできる。そして別の街につく事だってできる。
もう居ない、また一人。
そうやって生きてきたほうが長いというのに、未だに寂しさで凍えそうだった。




