第39話 変わらない現実、無慈悲な事実
長い待ち時間を終えたクロードはようやく面会へと移る。
執事の後ろをついて行き、案内されるがままに廊下を歩き面会室へと足を踏み入れた。
「失礼します」
執事はこれから起こる話を聞きたくないとばかりに外で待機し、扉が閉められる。室内にいる者はクロードとその父親だけ。
既にソファに深々と腰掛ける父の姿を凝視して平常を装いながら対面に座る。
「来たか」
これからどんな話があって、いつ話題を切り出せばいいのか。交渉に対して素人同然のクロードが取れる手段は殆どない。
一方的に相手を丸め込む貴族の常套手段であっても、知識として仕入れていた所で実戦経験はない。この場の緊張感と主導権を握られぬように気を張った。
「家に帰れ、クロード」
冷淡に言い張ったが、当たり前のこと。必ず来ると理解しておけば威圧感どれほど強かろうとポーカーフェイスは崩れない。
「…………」
だが表情が悟られないだけだ。返答にはなんの価値もない。
今ここで「誰かに売られた」と口走る物なら、帰る意思があると思わせてしまうことになる。
他人のせいにし、あくまで不可抗力だと示す事はクロードの本来の目的とは相反する。
シャルラの下に戻り、家まで送り届ける約束を果たす為には貴族のしがらみを捨てる必要がある。
「御父様、僕に何をさせるつもりでしょうか」
話を一段吹っ飛ばした。
「ただし条件がある」そう言えるのは上の立場だけだ。
今のクロードは頭を下げてお願いする立場にある、彼から条件を突きつける事はできない。
家に帰ると言う返答を完全に跨ぎ、その先にあるであろう相手の伝えたいことを急いだ。
長い前置きで揚げ足を取られるのも、変な勘ぐりをされるのも拒絶する。
あくまで前置きで通過儀礼ならば相手は次へと進む。
「貴族としての責務を果たしてもらう」
貴族の責務と言えど数は多い。
社交会や政略結婚など様々だ。
ただ現在7歳のクロードに課せられる責務は真っ当な物ではない。
学園に入るのは10歳から、それまでは暇を弄ぶ輩と変わりがない。長男や長女なら顔を見せる機会が多かろうが三男には無縁である。
今現在クロードに課せられる問題はあまり合法とは言い難い。
「ひとまずレイガスの娘と婚姻を結べ」
「何を言って!」
冷静さを欠いた発言をした事で視線が鋭く突き刺さる。
交渉の場で感情的になると言う事は破棄を意味する。
「何を言っているのですか、兄様に娘など」
額を抑えながらなんとか冷静に堪えようとするが、状況がおかしい。
まるでこの国自体が全く知らない物のように思えた。
「……まさか」
「何を驚くことがある、お前が居なくなった一年の間に何も変わらないわけがないだろう」
世界情勢が変わった、それはクロードの持っている交渉手段の腐敗。
三男という立場なら一途の望みがあると思っていた。だがレイガスに子が生まれてしまった事実は王族との関わりが深まっている。
今のこの家は伯爵家以上の力を持っている、実質公爵家。次席の王へ意見できる数少ない人間へと成り上がっている。
「マルクはお前が断った第四王女との婚姻、ミルは同盟国の養子に出した」
ここまで言われれば次がわかる。それくらいできなければいけなかった。
「残っているのはクロード、お前だけだ。お前さえ使えれば俺はより上にいける」
残っているのは狂気だけ、この男は王になる気でいるのではないかと思わせるほど飢えていた。サバンナのハイエナ、貧民街の孤児。それで動揺に飢えて何者の食い尽くす勢いだった。
「……おい待てよ、それじゃあ。まさか……そんなはずは」
言動を整えることに意識は向かなかった。
この男の狂気に当てられて、言葉の端から感じられる歪なものを感じ取ってソファから立ち上がった。
「あんた……アリーシャはどうした」
「お前を使えば俺は王になれる!黙って言うことを聞け!」
身体から力が全て抜けた。
起こりうる最悪を2つ理解してしまった。この男が何をしたのかを感じ取ってしまった。それはただクロードの中にあった記憶のどれかが共鳴して見せた幻覚だったかもしれない。
その考えに行き着くのは些か乱暴たったかもしれない。
「アリーシャはどうしたって聞いてんだ!」
立場を忘れて掴みかかった。
この後の交渉など今だけは忘れ去るに十分すぎる悪夢だった。
権力を広げるに手取り早いのが政略結婚、だが子供が産まれるには時間がかかりあまり有効的とは言えない手段でもある。
彼らの養育費も馬鹿にならないことと、教会の意向で重婚が認められていない事もあげられる。
だがかつて政略結婚のために妻を孕ませ、まだ人の形を保ってすらいない赤子を引っ張り出してきた貴族もいる。
そんなことをして母親が無事なわけがない、その前に普通の人間なら自身の子供が道具のように扱われ、顔も見ることなく連れて行かれる事に抵抗を覚えていい。
女は愛されず、子を生むための道具になることを許容しない。
「……死んだ。殺した。邪魔だっ……」
「ふざけてんじゃねぇよ、糞野郎!」
クロードは無意識に父親を殴り飛ばした。
身体強化されていない拳であっても、怒りと憎悪を込めた拳で椅子ごと壁に叩きつける事はできた。
「女犠牲にしてまで!そんな立場が必要か!」
歯を何本かへし折って血を流しているクズに向かって吐き捨てた。
ガラガラと崩れ落ちる花瓶や掛かっている絵画などに目もくれず、胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「お前の好いた女だろ!そんなもん捨ててまでしがみ付くのが爵位か!愛した女を捨ててまで欲しかったのが地位か、名誉か、ふざけんな!!」
身長が足らず壁に叩きつける事は叶わなかったが、床に叩きつけて馬乗りになって殴る事はできた。
「アリーシャはお前の事を好いていた、それなのにお前はその思いを踏みにじった、アリーシャの気持ちを考えずにただの欲に走った、お前みたいな奴が!お前なんかがいるから!」
空間にしまっていた剣を取り出して大きく振りかぶった時、
「それ以上はやめろ」
背後から腕が掴まれ、誰だと振り返るとグレンだった。
「死んでしまう」
その言葉に冷静さを取り戻し、もう一度下を向くて血だらけで原型を止めていない男の姿があった。擦れ切れた拳がようやく痛み初めて泣きそうになった。
「なんで止めなかった、こいつを!こいつがアリーシャを殺す前に何で止めなかった!」
的外れな事を言っていると自分でも理解していた。
だが抑えることなど出来やしなかった、どこにも行き場の無いこの怒りをぶつける場所があるのなら教えてくれ。どうしようもないこの感情を吐き捨てる場があるのなら教えてくれ。
「……すまない」
グレンが王国騎士ならインティウム家との接点はほぼない。家に仕えている訳でもないので止める事はできない。
そう知っていても誰かに当たった。そうしなければ腕を引きちぎる勢いだった。
「謝って済むかよ、母さんは死んだんだ。俺を誰とも言わずに優しくしてくれたんだ、自分の子供だって言って構ってくれてた。そうだよ、そうなんだ。だけど俺は一度も母さんを母さんだとは思ってなかった、どこか心の中で別の誰かだと決め付けていた、もう会えない、ごめんなさいも言えない。……何もない」
怒りの沸点を超えて、限界をも超越したクロードに湧き上がっていたのは後悔だった。
泣き崩れるように床に膝をつけ、何度も懺悔するように泣いた。




