ぬらりひょん
先生が居なくなって少し経った頃。
中学1年生になった俺はアドバイスを求めて先生の先生の家を訪れていた。
先生が居なくなってから、度々訪れてはいたのだが、その日はあれよあれよと言う間にコンクールに参加する事が決まってしまった。
「まぁ、遅ぇくらいだな。」
それは本当にそうなのだが、俺も先生も興味が無かったのだから仕方がない。
「出て演る事でしか成長しない部分もあんだから、つべこべ言わず腹ぁ括れや。」
低い低い声でそう言われてしまっては、断る事が出来なかった。
弟子の弟子だからと無料でレッスンを受けている弱みがあるのだから、そんなに脅さなくても言うことを聞くというのに。
こういう昔ながらの師匠らしさを振りかざすのが好きなのだ、この人は結局。
コンクール自体は小規模なもので、優勝しても、まぁ、一応履歴書には書くけれど、準優勝なら書かない。
その程度の大会だ。
緊張はしていなかったが、コンクールの作法に手間取り、そっちで頭がいっぱいで、演奏の感想などない。
始めてのコンクールはよく分からないまま優秀賞を取り、よく分からないまま壇上で表彰されることになった。
先生の先生、本人の希望で師匠とするが、師匠は俺をこの大会に出す事が目的だったらしい。
トロフィーを受け取って、沢山ぶら下がっているトロフィーリボンにある自分の名前を探していると、そこには先生の名前が残っていた。
「樹のヤツもこの大会で最優秀賞を獲得してるからな。
良かったじゃねぇか、二人で名前が残ってよ。」
これは本当に嬉しい事だった。
もう一つ特筆すべき事が起こったのだが、これは大学生の今となっても判断が難しい。
良い出会いであった気もするし、出会っちゃったなぁと思う気持ちもある。
大会を勝ち取った景品はいくつかあり、例えば協賛している楽器店の商品券は素直に助かるし、何故かわからないが貰ったお米30キロは母が喜ぶだろう。
今回は特別にもう一つ、サプライズとして有名なヴァイオリニストとの共演が用意されていた。
なんとかニコフ・ほにゃららフィッツとかいう長い名前の、世界的に有名なヴァイオリニストだとか。
俺は演奏家をあまり知らなかったので、その名前を聞いて悔しがるコンテスタントに、とても申し訳ない気持ちになったのをよく覚えている。
ヘラヘラとした外人がフラフラと舞台にやって来て、俺の肩を無遠慮に叩いて、客席へと挨拶をする。
観客の反応から、本当に有名な人なのだろう。
「嫁はんがな、日本人やねんな。
んでな、その帰省に付き合ってちょくちょくこっちに来るねんな。
んでな、ボク、桜が好きやんか。
でもな、もうオーサカじゃ桜が咲いてへんやん。
お義父さんに聞いたらな、北の方ではまだ咲いてるっていうてこっち来てんな。
そしたらボクのマネージャーが仕事とってきよってんな。
ボクは、まだキミにはなんの興味も持ててへんけど、なんでも弾いてみたらええよ。
ボク、合わせるのも上手いから、お任せして下さい。」
めちゃくちゃ外国人がめちゃくちゃ変な日本語で、慰めてるのか罵っているのか分からないような言葉をかけて来た。
そのおかげか、特に緊張することもなく共演も終わり、無事にコンクールは幕を閉じた。
帰ろうかと準備をしていると、フィッツさんは楽屋へと着いてきて、何やら話しかけてくる。
「楽しかったからアンタも楽しみに入れといてあげるわ。
名前は?誠也?ボクはフィッツさん。
飯食った?まだ?
この辺なにが美味いん?
どっか連れてけ、な。」
そんな事を言い出した変な外人を、俺は実家に連れて行った。
外食をするような歳ではない、自閉症気味のガキに聞いたのが間違いだ。
困惑する両親と、フィッツさんのマネージャー。
なんにも気にしない外人のおっさんと子供。
その日の夕食はとてもカオスな事になったが、こんなヘンテコな事が起きるならヴァイオリンをやってて良かったかもしれないと思った。
次の日の朝、仕事があるのでと帰っていくマネージャーを四人で見送って、フィッツさんはそれから二週間くらい家に居続けた。
俺にレッスンを施してくれているし、家事も手伝う。
人当たりもよく、陽気で、誰とでも打ち解ける人であった。
そして、他人があんまり長く家にいるのもなぁ…と家族全員が思うギリギリ手前で帰って行った。
「良い人だったけど…次に会うのは4年後とかでいいわね。」
と母。
「なんだっけ…こんな妖怪いたよな。
誠也、なんだっけ…。」
と父。
ヴァイオリニストはなんかみんな変な人だ。
先生もフィッツさんも。
俺は本当にこの楽器を選んで良かったのだろうか。
そう思った。




