【第7話】 須佐男 神殿ツアー3
全てを諦め、夜姫は小さな手で顔を覆っていた。
震える指の隙間から覗いた、その先に黒い光。
薄暗い色欲宮に光る絹衣。
大地に根を下ろしたような長い脚。
微動だにしない背。
――太陽だった。
「須佐男……」
低く、鋼のような音。
怒りと威厳を纏った声。
夜姫でさえ初めて聞く声音。
色欲神たちは一斉に直立し、硬直する。
先ほどまでの艶笑は消え失せた。
「ご、ご機嫌麗しゅう……
本日も眩し……いえ、熱……
とても……素敵ですわ、天照様……」
震え声。
熱が引き、その場の空気が凍る。
天照が一歩前に出る。
「須佐男。
……答えろ。
こんな場所で、
小さな“俺の対”を連れ回し、
何をしている」
夜姫は、はっとして、
破れた衣を掻き寄せ、
色欲神のはだけた身体にそっと被せた。
須佐男は天照を見るなり、
全身で「助かった!」と叫んでいた。
「おぉぉ……アマちゃん、
めっちゃいいとこ来た!
ありがとな!
正義のヒーロー、フゥッ!」
天照の眉間が、微かに震えた。
「まあまあ! そんな怖い顔すんなって!
まあ、気難しい顔は元からかもしんねぇけど?
俺はただ、夜姫ちゃんを神殿案内してただけだっつの!
過敏になるなよ!」
そう言って――
「……わっ」
夜姫を当然のように、お姫様抱っこした。
「な! 夜姫ちゃん!」
須佐男の白い歯が、
薄暗い色欲宮にきらりと輝く。
「……え、あの……」
夜姫は察する。
この神は、空気を読むという概念がない。
天照の眉が、ぴくりと跳ね上がる。
「……へえ。
それはありがたいな」
声音は変わらない。
だが温度だけが、急速に落ちていく。
「夜姫。
お前が頼んだのか?
……アウトローが群れる、
この場所の案内を」
「あ、あの……
私は……」
須佐男は、腕の中の夜姫に微笑んでいる。
「……アウトローだなんて、
お恥ずかしい……。
天照様も一緒に楽しみましょう?」
色欲神たちの声は震えている。
けれど、天照に色欲神の声は届かない。
琥珀の瞳が夜姫を射抜く。
「ひ……っ」
須佐男の胸に抱かれた小さな身体。
腕に縋る指先。
乱れた髪。
無邪気に笑う須佐男。
――まるで、自分が罪を犯したかのような感覚。
天照が、深く息を吸う。
その呼吸だけで、空気が震えた。
「須佐男。
……夜姫を、降ろせ」
静かな命令。
絶対から逃げ場のない声音。
須佐男はへらっと笑い、
誤魔化そうとする。
けれど、天照は視線を逸らさない。
「……ご機嫌だな。
“未来の嫁”を神殿中で
紹介して回っていたらしいな。
どの女神だ」
須佐男は照れたように頬を染め、
腕の中の夜姫を顎で示すと、
パチリとウインクした。
夜姫は、青ざめて固まった。
「そー怒んなって!
別に取って食うわけじゃねぇだろ?
まだ、まだだよ!
極上の青い果実なんだって!
分かるだろ?
お前だって、澄ました顔して
本当は狙ってんだろ!?」
その瞬間――
光の太陽神から、闇が溢れた。
夜姫は震えながら、声を絞る。
「ごめんなさい、アマテラス様……!
スサノオには……
私がお願いしたの……。
迷ってばかりだから……
案内を……」
天照が、夜姫を見る。
その琥珀の瞳は――
驚くほど、優しかった。
「夜姫。
お前は、何も悪くない」
(……え……)
須佐男は、勝ち目がないと悟り、
くるりと踵を返す。
「じゃあオレ、
仕事を思い出したし帰るわぁ!!」
夜姫をそっと地面に降ろすと、
夜姫に向かって、バチン⭐︎とウインク。
次の瞬間――
天照に首根っこを掴まれ、止められた。
「後で来い。
……“少し”話そうか」
「あ……了解でぇ~す!!」
ビュンッ!
風切り音だけを残し、
須佐男は逃亡した。
✦ ✦ ✦
天照は膝を折り、
夜姫と目線を合わせて、ぽつりと呟く。
「……なんで、アイツにはタメ口なんだ?」
「……だって……
スサノオでいいって……
言うから……」
天照は少し不満そうに、視線を逸らす。
「アイツ、俺と同期だぞ」
「……え?」
一拍。
「ええええ!?」
世界が、裏返った。
天照は耐えきれず、吹き出した。
「あれは教育に悪い。
行くときは必ず、俺に相談しろ。
……ろくなことにならない」
少し間を置いて。
「……まだ嫁もいないのに、
まるで親父の気分だ」
夜姫は、息をのむ。
嫁。
親父。
――距離は、遠い。
けれど天照は、
その不安さえ包み込むように言った。
「次は……
俺が案内しようか」
夜姫の心臓が跳ねた。
天照は歩き出し、
夜姫の手を取る。
大きな掌が、
夜姫の指先をすっぽり包む。
夜姫は真っ赤になりながら、
その温度に縋るように握り返した。
天照は歩幅を合わせる。
息遣いまで、近い。
(……太陽だ……
本当に……)
――この日。
胸に宿った小さな恋は、
誰にも知られぬまま、
夜と太陽のあいだで、
静かに形を持ち始めた。
須佐男はね、悪気ないんです。




