【第28話】不恰好なひとつ
黄昏都の神殿街、
秋の木漏れ日が降りる回廊の先から、
夜姫の聞き慣れた低い声が届いた。
天へ向かって伸びる列柱の道。
ここは、天照と初めて出会った場所だ。
季節は移ろえど、
この一帯だけは変わらず太陽の加護により、
穏やかな風が樹々を揺らしている。
大勢の神々を従え、その先頭に天照が立っていた。
――バッタリ、会ってしまった。
「アマテラス様……
今日は、太陽宮じゃないの?」
幾重にも重ねられた上質な布と黄金の装飾が、
神格を隠すどころか、かえって際立たせている。
短く流した黄金の髪、艶のある肌、琥珀の瞳。
あまりに眩しくて、夜姫の口から思わず声が漏れた。
「……カッコよすぎ……」
——言ってから、はっとする。
(だめだめ。今日はちゃんと用事があって……)
「お前、心の声ダダ漏れだぞ。
……少しは隠せ」
態度は、いつもと変わらない。
それが、なぜだかひどく嬉しかった。
「……今日は神嘗祭だ。
街へ降りていた」
「そ、そうなんだ……」
灰青の瞳が揺れ、夜姫は腕の中の紙袋を無意識に抱きしめた。
「お前は?」
「……あ。
ええとね、太陽宮へ行こうと思ってたんだけ
ど……
やっぱり、帰ろうかなって」
「俺に?
……花はいらんぞ」
わざとらしく言われて、夜姫は小さく首を振る。
「あ……うん。
……何でもない」
使いの神々が忙しなく動き出す。
「天照様、そろそろ参りますが……」
天照は一瞬そちらを見て、また夜姫へ視線を戻した。
夜姫は出来るだけ明るく笑う。
「お仕事、頑張ってください!
今日も大好きです♡
……また、行くね」
神々は日常のようにそのやり取りを横目で見ている。
天照は、ほんの少しだけ琥珀の瞳を細めた。
夜姫はその背中が歩き出すのを見届けてから、
ようやく、胸に絡まっていた息を吐き出した。
――その時。
ドンッ。
背後から、使いの神の一人が夜姫の肩に勢いよくぶつかった。
「……っ」
転んだことよりも、
袋から零れ落ちた“それ”を見た瞬間、胸が締めつけられた。
丹精込めて焼いた、
一番小さくて、一番不恰好なひとつ。
——なぜかそれは、
今の自分そのもののように思えた。
天照はすぐさま振り向き、琥珀の瞳を光らせる。
「おい!前を見て歩け」
優しい。
……いつも、そうだ。
“対”だから。
幼い頃から、何かあれば必ず守ってくれた。
分かっている。
自分が、まだ未熟なのだ。
夜姫は抱き起こされそうになりながら、顔を上げられなかった。
「……夜姫?
どこか痛むのか?」
天照が膝をつき、低く尋ねる。
顔を上げた瞬間、もう堪えきれなかった。
灰青の瞳に溜まった涙が、次々と溢れ落ちる。
「……あの……」
周囲の神々が動きを止める。
――ぐぅ。
間の抜けた音。
誰かが、くすっと笑った。
恥ずかしい。
泣いているのに、腹が鳴るなんて。
夜姫は必死に肩の震えを抑え、涙を拭った。
(大丈夫。
また焼けばいい。
明日でも、明後日でも。
私の長すぎる人生の、たった一日だ)
そう言い聞かせ、星屑の瞳で笑おうとした、その時。
天照は一瞬、言葉を探すように視線を落とし——
それから、短く息を吐いた。
「……夜姫。
ありがとな」
天照の手には、いつの間にか
あの一番不恰好な焼きものがあった。
(……見せるつもりは、なかった)
使いの神が回収しようとした手を、天照は払う。
落ちた部分を器用に剥がし、
それを二つに割る。
周囲の神々が、息を呑む。
最高神が、
供物でも儀礼でもないものに
手を伸ばすなど、滅多にない。
天照は迷いなく、その一つを口へ放り込んだ。
「……西まで飛んで、具材を集めたのか。
うまいな。
お前も食え」
差し出される。
夜姫は、俯いたまま受け取り、かじった。
苦しくて、なかなか喉を通らない。
それでも、涙と一緒に飲み込む。
「……お前の料理は、いつも上手い」
声音は、いつもより柔らかかった。
「来週も作ってくれ。
……待ってる」
ぐしゃぐしゃ、と頭を撫でられる。
「行くぞ」
天照の一行は、あっという間に去っていった。
―――
しばらく、夜姫は回廊に座り込んでいた。
白昼夢だったのかもしれない、と思うほど、
荘厳で、優しい時間。
そこへ、ぱたぱたと足音。
「あれ? 夜姫様♪
どうしたの〜?」
コックル達が駆け寄ってくる。
空になった紙袋を見て、目を輝かせた。
「……!?♡
もしかして、天照様、全部食べちゃった!?♪」
揉みくちゃにされながら、夜姫はくすくす笑った。
「夜姫様!どうなの?♪」
同じ顔が五つ、星のような瞳で覗き込む。
夜姫は、この日いちばんの笑顔で答えた。
「うん!!
最高に美味しいって!!!」
乾いた涙の奥で、
置き去りにしてきた優しさが、静かに息を吹き返す。
誰かに想われ、
誰かの温度に触れた、この日の奇跡を、
夜姫は生涯、忘れることがなかった。




