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常世神話譚 ー夜姫と最高神の千年恋譚ー   作者: 福山蓮
【第一部 星を見上げる少女】
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【第2話】 太陽と嵐 夜姫、神々の都

人々の街を抜けた瞬間、空気が変わった。


 先ほどまで通りを彩っていた華やかな旗や装飾は、背後へと遠ざかっていく。

 人々の声も聞こえなくなり、代わりに木々の緑が濃くなった。


 ――ここから先は、人の世界ではない。


 少女が小さな足で一段上るたび、石段の奥からかすかな神気が返ってくる。


 拒まれてはいない。


 むしろ、迎え入れられているようだった。


 木々の向こうで湧き水が流れている。

 蝶の羽音と鳥の囀りが、静けさの中に細く響く。


 薄く漂う神気が、少女の肌を撫でていった。


 ふと振り返り、少女は足を止めた。


 つい先ほどまで見えていた街はなく、緑に覆われた階段だけが、どこまでも下へ続いている。


 この階段は、受け入れた者だけを先へ通す。


 なぜか、そう分かった。


 上るほど、神気は強くなる。

 人であれば息をすることすら苦しいはずなのに、胸の奥は不思議と高鳴っていた。


 緑の香りがむせ返るほど濃くなった頃、急に視界が開けた。


 最後の一段を上る。


 そこには、一面の緑と、天へ届きそうな列柱の道が広がっていた。


 石肌は長い年月に磨かれ、無数の蔓が絡みついている。

 柱の向こうに並ぶ宮には、屋根のない場所も多い。


 それでも日差しは柔らかく、肌を焼くような熱さはなかった。


 少女が一歩踏み出した瞬間、春の風が吹き抜けた。


 背後に気配を感じ、振り返る。


 いつからそこにいたのか。

 数十人ものローブ姿の従者たちが並び、深く頭を下げていた。


 その中央に立つ一人が、奥へ進むよう手を差し出す。


 風が樹々を揺らし、常世草の花びらをさらっていく。


 鳥たちが、一斉に飛び立った。


 その向こうで、一柱の男がゆっくりとこちらを向いた。


 その刹那、少女は確信した。


 ――あぁ。


 この人が、この都の太陽なのだ。


 太陽を閉じ込めたような、深い琥珀色の瞳。

 その奥に、静かな炎が揺れていた。


 ただ立っているだけで、辺りの空気まで温度を帯びていく。


 男は迷うことなく、少女へ向かって歩き出した。


 やがて目の前まで来ると、片膝をつき、視線の高さを合わせる。


 低く、温かな声がした。


「お前が、夜姫か」


 真っ直ぐに見つめられ、少女の頬が燃えるように赤くなる。


「あの……夜姫と申します。

 貴方が……アマテラス?」


 かすれた声で尋ねると、男は楽しそうに笑った。


「ああ。俺が太陽神・天照だ」


 思っていたよりも快活な声だった。


「対の神は、お前しかいない。

 長い付き合いになる。よろしくな」


 差し出された大きな手に触れた瞬間、小さな指先はすっぽりと包み込まれた。


 つま先から頭のてっぺんまで、熱が一気に駆け抜ける。


 周囲で見守っていた神々から、小さな笑いが漏れた。


 二柱の邂逅に沸いたのかと思ったが、どうやら違う。

 皆が見ていたのは、真っ赤になって固まる夜姫だった。


 天照も気づいたらしい。

 夜姫の顔を覗き込み、ぷっと吹き出した。


「なんだ。もう俺に惚れたか?

 これからやっていけるのか?」


 子供をからかうような、悪戯っぽい笑みだった。


 夜姫の心臓が、また大きく跳ねる。


「さて。

 お前にはやってほしいことが山ほどあったんだが……困ったな。

 ここまで幼いとは」


 天照は顎に指を添え、改めて夜姫を眺めた。


 ――近くで見ると、神殿に飾られた彫像よりも整っている。


 夜姫の思考は真っ白になった。

 足が地から浮いているようで、息まで震える。


 その瞬間、轟音が天地を揺らした。


「どけどけどけェェェ~~~~ッ!!!!

 俺にも見せろォォォォォオオ!!」


 突風が巻き起こり、砂が舞い上がる。

 周囲の木々が一斉に騒ぎ始めた。


 風を引き連れた男が、空から飛び込んでくる。


「きゃーーー!!」


 若い女神たちから、悲鳴にも似た黄色い声が上がった。


 痩せた長身に、日に焼けた小麦色の肌。

 必要最低限の衣から、引き締まった身体が惜しげもなく覗いている。


 本人は女神たちの歓声など慣れきっているのか、悪びれもなく歯を見せて笑っていた。


「どの女神が夜姫?! どこ?!

 俺の未来の嫁!!」


 天照の眉が、ぴくりと跳ねる。


「須佐男……」


「ん?! ……んん?

 ちょっと待て。これ?! この子?!

 子供?! ちっっっさ!!!」


 須佐男は夜姫の目の前まで飛んでくると、上から下まで遠慮なく眺め回した。


「うひゃー、アマちゃ〜ん!!!

 お前、もう手ぇ握ってんのかよ!!

 早いな、天照!!

 ほら、俺にも見せろ見せろ!!」


 須佐男は、天照と繋がれていない方の手を勝手に取った。


 夜姫の顔から、さっと血の気が引く。


「やば。近くで見ると、さらにちっさ!!

 はいはい、お嬢ちゃーん。

 お名前はぁあ!?」


「あっ……夜姫と申します。

 夜の神……です……」


「ひゃ〜〜〜!!! ヤバ!!

 ちっこいクセに神格バッキバキ!?

 俺、殺されちゃうかと思った!!

 なんだこれ?! 可愛すぎる!!」


 天照は須佐男の手を叩き落とした。


「いつ呼んだ。

 今日は来るなと言っただろ」


 須佐男は払われた手をふうふうと吹きながら、天照の怒りなど少しも気にしていない。


 そのまま馴れ馴れしく天照の肩を抱き、急に真顔になった。


「なぁ、アマちゃんっ!!

 これ、離すなよ!!

 絶対に綺麗になる!! 俺が保証する!!

 今から毎日手ぇ繋いどけ!!

 逃したら、一生後悔するやつだぞ?!」


 天照の笑みが消えた。


 それでも須佐男は、楽しそうに肩を揺らしている。


「ほおら、怒った!

 ケケ……図星だろ!?

 分かる。分かるぜ?! 可愛いもんなぁ!!

 さっすがアマちゃん、見る目あるじゃねぇか!!」


 先ほどまで笑っていた神々が、そっと距離を取った。


 夜姫は思った。


 ……死ぬ。


 助けを求める夜姫の視線に気づくと、天照は小さく息を吐いた。


 肩に回された須佐男の腕を外し、夜姫の頭へ手を置く。

 大きな掌が、髪を崩さないようそっと触れた。


 そして、もう一度片膝をつく。


「まぁ、確かに愛らしいな」


 夜姫と目線を合わせ、悪戯っぽく笑った。


「百年経ったら考えてやる。

 それまで頑張れよ!」


 夜姫の顔が、耳まで真っ赤になる。


「うひゃああああ!!

 アマちゃん、今の聞いたぞ!!

 夜姫ちゃん! 俺たちもう家族だ!!」


 天照は須佐男の耳をつまみ、容赦なく引き上げた。


「黙れ。帰るぞ。

 お前は少し仕事しろ」


「いででででっ!!

 待て待て待て!! 耳! 耳は取れる!!」


 天照は騒ぐ須佐男の耳をつまんだまま、夜姫を振り返った。


「夜姫。また会いに行く。

 頼りにしているからな。

 お前も、いつでも俺を訪ねて来い」


 陽光の中で笑う天照が眩しくて、夜姫は声も出せずに何度も頷いた。


 そのまま引きずられていく須佐男が、夜姫へ向かって大きく手を振る。


「夜姫ちゃーーん!!

 アマちゃん本命いねぇからな!!

 俺もイケるからなぁ!!」


「黙れ」


「んごごごごっ!!」


 天照に口まで塞がれ、須佐男の声が遠ざかっていく。


 嵐のように現れた男は、嵐のように連れ去られていった。


 夜姫は春の光の中に立ち尽くしたまま、二柱の背中を見送る。


 胸は熱く、息はまだ震えている。

 足も、しばらく動きそうになかった。


(……これが……私たちの“はじまり”……?)




挿絵(By みてみん)




【黄昏都】


標高は高く、針葉樹と広葉樹が混在する神の都。


列柱と神殿街が深い森に飲み込まれるように点在し、遠くには海と灯火市が見えています。


通年穏やかで過ごしやすく、青い空と白い常世草の花、揺れる緑に包まれた神々の理想郷です。

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