【第1話】 常世の国へ
これは、遠い遠い昔の話。
まだ神と人とが寄り添って生きていた頃の物語。
神は人を守り、人は神を敬う。
同じ街で暮らすこともあれば、
離れ離れに生きることもあった。
この世界のすべてを含め、
人々はそれを――常世と呼んでいた。
常世の国は、大きく二つに分かれている。
下界と呼ばれる、人間が多く住まう地――常降。
上界と呼ばれる、神々のみが住まう地――黄昏都。
黄昏都は神気が濃く、
人が踏み入ることは決して叶わない、憧れの都。
そこは、人が長く留まることを許されない
強い神気に満ちた大地だった。
神は数百、あるいは数千の年月を寿命とし、
常世の国全土に加護をもたらす存在として
人々から崇められている。
神の出自は三つあると語られている。
神同士の愛から生まれる者。
人の祈りによって昇る者。
そして――
祈りそのものが零れ落ち、形を成した存在。
常世の最高神・天照は、
その“例外”だった。
そして今日。
同じく“零れ落ちた神”が、
この国へ迎え入れられようとしていた。
国中が、祝福の準備に湧いていた。
◇
白い花びらが舞う、春先のこと。
少女はみすぼらしいローブを深くかぶり、
常降の街の賑わいの中を歩いていく。
弦楽と管楽器の華やかな音。
揺れる旗の色彩。
甘く香ばしい屋台の匂い。
そのすべてが、
生まれて初めて触れる世界のように
少女の胸を熱くした。
「嬢ちゃん、腹減ってないかい?」
屋台の主人が声を掛けてきた。
差し出された大きな赤い果実飴の手には、
どこか父性の温かさがあった。
「今日は祭りだからな!
夜の神様が生まれてくれたんだ。ありがてぇ日だ!」
少女の瞳が、わずかに揺れる。
「……いいの?」
その瞬間、主人の後ろから
少年がぴょこんと顔を出した。
「昨日抜けたんだ!
ずっと痒いの我慢して、昨日まで耐えたんだぞ!
偉いだろ!」
前歯の抜けた笑顔に、
少女は思わずローブの下でクスッと笑った。
「わ~〜!笑ったな!?
お前だって同じくらいだろ!
歯がないくせに笑うな〜!」
頬を膨らませて怒る仕草が、ひどく可愛い。
主人が肩を押さえて宥め、
少女に紅い果実飴を差し出す。
——食事をするのは、初めて。
そっと口元へ運び、一口かじる。
カリッ。
次の瞬間、
甘酸っぱい果汁が弾けるように広がった。
「お……おいしい~~っ!」
少女の声が弾む。
主人は豪快に笑い、少年も跳ねるように喜んだ。
「そんなに腹減ってたか!
もっと食うか?」
少女が大きく頷いた、その瞬間——
ふわり、とローブが外れる。
陽光を反射する銀の髪。
月光を湛えたような、淡い灰青の瞳。
二人は目を見開き、息を呑んだ。
「……わぁ……」
少年が、信じられないというように呟く。
主人も立ち尽くしていた。
少女は慌ててローブを被り直し、
深く頭を下げる。
そして、駆け出した。
「本当にありがとう!
また……絶対来ます!」
小さな足が石畳を軽やかに打ち鳴らし、
祭りの喧騒の中へと溶けていく。
胸の奥が、じんわりと温かい。
いい街だ。
優しい祈りに満ちている。
——この国を護る神々は、
どんな姿をしているのだろう。
春風に背中を押され、
少女は常降とこふりの街を抜けて行く。
黄昏都たそがれとへと続く石畳の階段は、高山地帯の麓から始まっている。
その一帯は祈壇区と呼ばれ、祈祷所や教会が折り重なるように建ち並ぶ、ひとつの街だった。
少し冷たい風が、頬を撫でる。
その先で、
幾重にも連なる石畳の階段が高台へと伸び、黄昏都へ続いている。
高鳴る胸に、思い切り息を吸い込む。
少女は一歩を踏み出し、上界——黄昏都を目指した。
この先に、新しい世界が待っている。
そして、少女はまだ知らない。
この国との出会いが、
淡く、切なく、夢のような——
千年の恋と祈りの物語の始まりとなることを。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
よろしければ、ブックマークして続きをお待ちいただけると嬉しいです。




