【第20話】 紅い果実飴編 紅い果実飴屋の息子
夜姫は最後の一片まで大切に味わい、
胸の前でそっと小さく手を合わせた。
「……ごちそうさまでした」
控えめなその声は、
柔らかく、透き通っていて。
食事の終わりを告げるその仕草が、
あまりに丁寧で、無防備だった。
天照は――
揺れる睫毛の隙間から、その瞬間を見届けた。
「……なら、目的を果たしにいくか」
一拍置いて、
ほんの少し困り顔で覗き込む琥珀の瞳。
その優しさの欠片が、
夜姫の胸をぎゅっと締めつける。
夜姫は上目遣いで、
こっそり期待を忍ばせる。
拒まれるかもしれない、
でも——それでも言いたかった。
「じゃあ……半分こしてくれる?」
天照は視線をそらし、
負けたように小さく息を吐き、頷いた。
それが“了承”以上の意味を持つことを、
彼女はまだ知らない。
その途端――
「なんの話し?」
颯が割って入る。
夜姫は嘘がつけない。
「颯さんちの紅い果実飴を……
アマテラス様と、一緒に食べたかったの」
その一言だけで。
颯の心に、鋭い影が落ちた。
夜姫が恋を向ける先が
自分ではないと、悟ったから。
ほんの刹那の傷を押し隠し、
無理やり明るい笑みを貼りつける。
夜姫の髪に煌めく髪飾りを見て、
颯は夜姫の手をとった。
「嬉しいよ!
何本でも奢る!
アマテラス様にも、水波女みずはめさんにも!」
勢いよく夜姫の腕を引き、立ち上がる。
「夜姫!行こう!」
「……でも…」
天照とすれ違いざまに瞳だけが静かにすれ違う。
※まだ会計前のため、天照は止められない。
水波女は軽く片手を振り、
「ご馳走様でした〜」
と天照をひとり置いていった。
✦ ✦ ✦
颯の手は投げ捨てた忠告など知らぬ顔で、
夜姫の小さな手をしっかりと握り続ける。
天照は奥歯を噛み、
水波女と横に立つ。
「……あの小僧」
天照は苛立ちを隠さない。
人々の視線など気にもしない。
「お前もそのナリ、何の意味がある?
もう歩くのも面倒になってきたな……」
溜息をつき天照は澄み渡った空を仰ぐ。
やはり、黄昏都から出るべきではなかった。
すぐにこの場から飛んでしまいたい。
苛立ちに任せた天照の毒に、
水波女はすぐさま切り返す。
「貴方がいなければ、私は所詮ただの人間。
この装いに、きちんと意味はあります」
“貴方のせいで”
その言葉の棘に、天照の目が細まる。
「なぜ俺が寄せねばならん。
人間どもが寄るべきだろうが」
太陽神の珍しい、子供っぽい反撃。
水波女は豪快に笑い始めた。
「貴方にそんな感情的な一面があったなんて、
長生きはするものですね」
天照は水波女 を普段と変わらぬ目つきで睨む。
夜姫が背後を振り返り、こちらを振り返るが
すぐに腕を引かれ、また前を歩きだす。
「ですが、天照様。
あの方は――その容姿だけで心を許すほど、
浅い存在ではありませんよ」
夜姫の耳には届かない距離で。
天照の目が鋭く返す。
「相変わらずだな。
そういうお前は炎の対とどうだ。
女は不要。って言われてなかったか」
天照が悪い顔で水波女 の蒼い瞳を刺す。
「…最低。
だから、今日も上手くいかないんですよ」
声の温度が氷点下へ落ちる。
天照はほんの少しだけ視線を伏せた。
「……すまん。
アイツの事になると、どうもダメだ」
その不器用すぎる謝罪に、
水波女は全てを悟る。
「まだ幼いですが……
美しい方ですね。
常世には、あまり居ないタイプです」
「あんなのがいくつも居てたまるか…」
天照は淡々と言う。
しかしその声音はどこか違う。
「ええ。
――だからこそ、でしょう」
天照は答えない。
だが、その吐息は僅かに熱を帯びていた。
クス、水波女は微笑む。
✦ ✦ ✦
やがて石畳の先、
人で賑わう店の前に到着する。
列は長く、香りは甘く、
光に果実飴がきらめいていた。
「すごい……」
夜姫の瞳が、星を映す。
颯は誇らしげに胸を張る。
「夜姫が来た頃はまだ小さかった店。
今じゃ常世名物10選。
飴だけじゃなく、不動産もやってるし……
安心して欲しい」
祈りにも似た言葉。
(……安心?)
夜姫は小さく笑みを作る。
「すごいね。
飴、買ってもいい?」
満面の笑顔で、
「もちろん!」
颯は夜姫の手を離し、
店へ駆け込む。
その間、残された三人をざわめく列が静かに囲いはじめた。
水波女は夜姫の横顔を見て
小さく笑う。
「夜姫様……貴女は視線を集めやすい方ですね」
夜姫は、水波女 の言葉に怯える。
(ざわめいているのはこの女神のせいなのに…)
天照は苛立ちのまま囁く。
「嫌なら、離れろ」
夜姫はその言葉を
胸の奥でゆっくりと転がす。
(嫌…?水波女?…ちがう、
アマテラス様は颯のことを言っているんだ…)
そして……
不器用な答えが零れた。
灰青の瞳は石畳みの一点だけを見据えていた。
「わたし……嫌、
なのかな?」
天照の眉が、
わずかに震えた。




