【第18話】 紅い果実飴編 工房の静謐
店主は二人の空気を察し、
奥の使い込まれた一枚板のテーブルへと導いた。
古木の年輪が無数の時を刻むその場所は、
まるでここだけ時の流れが異質だった。
ショーケースの中——
真鍮、金銀、銅。
天井から吊るされた無数の小さな作品。
季節の花が静かに添えられ、
この工房がただの店でなく、
一人の職人の祈りであると分かる。
夜姫は思った。
(この人間は……工匠の神にも負けない)
店主は、照れ隠しをするように言った。
「いや……これくらいしか能のない男でな。
だが——見てほしい」
そっと差し出された小箱が開かれる。
そこにあったのは、
夜姫の灰青の瞳とまったく同じ色を宿す髪飾り。
そよぐ風を封じたような繊細な装飾。
窓辺の光を受ければ、星が揺れるほどの輝き。
夜姫の息が、止まった。
「……綺麗。
これを……私のために?」
その瞬間、青年・颯が慌てて割って入る。
「ちょっ、待って!
それ、僕が言うつもりだったんだから!」
必死に笑顔を繕いながら、
震える声を真っ直ぐ夜姫へ向ける。
「君の瞳がね……
ずっと、忘れられなかったんだ」
夜姫は宝石のように瞬く瞳で微笑んだ。
「ありがとう。
本当に……とても嬉しい」
——その瞬間。
ガガランッ!!
激しく扉が鳴った。
空気が、変わった。
広場で人々がひれ伏したはずの太陽神・天照が、
扉を潜った瞬間には、
もう夜姫のすぐ傍に立っていた。
天照の琥珀の瞳は静かだった。
だが、その静けさこそが怒りだった。
「何をフラついている。
飯は、どうする」
その声はいつもの調子。
しかし夜姫には、剣と変わらない。
——“バレたら次はない”
その言葉が、喉を締めつける。
夜姫は震える声で、差し出した。
「あ……あのね。
これ……私のために造ってくれたんだって。
すごく綺麗でし——」
天照は一瞥し、
夜姫の言葉を断ち切るように低く言った。
「——それ以上、言うな」
一瞬の沈黙。
「……人の手が、近すぎる」
世界が、色を失った。
夜姫の手から、光が落ちる。
だが——
バァン!!
颯が机を叩き、立ち上がった。
「アンタは失礼だ……
最高神だか太陽神だか知らないけど、
夜姫はお前の奴隷じゃない!
これは職人の魂だ!
僕はこの髪飾りのために
今でも毎月、支払いをしてるんだぞ」
怒りの声は震えていた。
夜姫の笑顔を奪われた怒りで。
天照は無表情のまま、颯へ顔を向ける。
「人が、神に刃向かうか」
「夜姫を、人を、なんだと思ってる!
僕らは……ただ従うだけの存在じゃない!」
空気が震える。
光がたわむ。
二人の間に、見えない嵐が走る——
カラン………
美しい鈴の音。
「天照さま。
早すぎて、追えなかったわ」
水波女みずはめが隣に立つ。
愛想よく蒼の瞳が、わずかに弓なりに笑う。
店主が、ぽつりと漏らした。
「美男美女じゃ……
作品にしたいくらいだ」
その言葉が、
夜姫の胸を、容赦なく抉った。
夜姫は、静かに髪飾りを置いた。
「……私には、勿体ないお品です。
相応しい方が現れたら……お譲りください」
そして、小さく震える声で続ける。
「颯さんも……
私のために、使わないで」
目線を落とした、その先。
ショーケースの奥——
“非売品”と書かれた札の下で、
金の髪飾りが眠っていた。
孤独を背負うように、
光の届かぬ隅で、黄金に輝いている。
琥珀色の宝石。
——天照の瞳と、同じ色。
夜姫の胸が、ひどく痛んだ。
(私には……似合わない)
幼い自分には…、
触れてはいけない光。
そんな気がした。
静寂——
そのすべてを終わらせる声が、落ちる。
「……天照様。
いい加減になさい」
店に入るなり、
水波女は全てを察した。
言葉はない。
足を止めることもない。
ただ一瞬、
静かな湖面を撫でるように、
夜姫へと視線を向ける。
――ああ、なるほど。
その灰青の瞳に宿る揺らぎ。
指先に走る、かすかな緊張。
そして、
天照の“距離の取り方”。
水波女は、すでに答えを得ていた。
だからこそ、
ゆっくりと、静かな声で告げた。
「夜姫さ……ん。
あなたはね……綺麗すぎるの」
水波女 の配慮とその言葉に、
夜姫の指先が、わずかに強張る。
「あなたに相応しいものなんて、
この世に、そう存在しないわ」
否定ではない。
けれど、突き放すようでもない。
夜姫は言葉を失ったまま、
手の中の髪飾りを見つめる。
水波女は、そっと一歩近づき、
夜姫の掌へ、髪飾りを戻した。
淡く、ひんやりとした感触。
水の神の指先には、
揺れる水面のような光が宿っている。
「でもね」
静かに、諭すように。
「気に入ったのなら——
人の好意は『受け取る』ものよ?」
夜姫の胸が、きゅっと縮んだ。
(……私が?
受け取っても……いいの?)
遠慮。
恐れ。
身の程。
そのすべてが、胸の奥で絡まり合う。
——その時。
天照の視線が、夜姫を捉えた。
琥珀色の瞳。
熱を孕みながらも、
どこか居心地悪そうに揺れている。
責めるでもない。
拒むでもない。
ただ、
逃がさぬように、見ている。
「……でも……」
夜姫はその琥珀の瞳から逃れようとすぐに逸らす。
声は、小さく、震えた。
その言葉を遮るように、
水波女の手が、夜姫の手を包み込む。
冷たく、しかし確かに温かい。
「あなた以外、誰が似合うというの?」
夜姫は、はっと顔を上げる。
「これは——
あなたのために、作られたものよ」
蒼の瞳が、真っ直ぐに射抜く。
その眼差しは、
氷の刃のように鋭く、
それでいて、深海の底のように優しかった。
逃げ道は、与えない。
けれど、突き放しもしない。
颯も、店主も、
言葉を挟むことなく、ただ頷いた。
必死に。
誇りを込めて。
夜姫は……勇気を振り絞り、
天照を見る。
彼の瞳は、
確かに——揺れていた。
迷い。
躊躇。
そして、抑えきれない何か。
やがて。
天照は、小さく息を吐いた。
低く、静かに。
それでも、逃げずに口を開く。
「……俺は」
一拍。
「お前を、
下に見た覚えはない」
夜姫の胸が、かすかに跳ねる。
「考えろ、夜姫」
その声は、鋭さよりも、
不器用な真剣さを帯びていた。
「お前は、いつも——
自分を、安く見すぎだ」
叱責ではない。
命令でもない。
ただ、事実を突きつける声。
天照は一瞬、
ショーケースの奥に眠る
金の髪飾りへと視線を流し——
それから、
夜姫の手元にある髪飾りへと戻す。
そして。
その指先が、
ほんの一瞬、止まった。
迷いではない。
確認でもない。
――戻れないと、理解した上での静止。
絹のような銀糸の髪へ、
丁寧に、迷いなく挿す。
——カチッ。
小さな音。
だが、それは確かに、
夜姫の世界を震わせた。
店主は息を呑み、
颯は言葉を失い、
水波女は、ただ黙って天照を見つめる。
天照は、気まずそうに視線を逸らし、
「……そこそこ、似合っている」
それだけ言った。
それ以上は、言わない。
夜姫の胸が、熱くなる。
「……ありがとう、ございます」
声が、今にも崩れそうだった。
その空気を割るように、
颯が大きく胸を張る。
「ど、どういたしまして!」
店主も照れくさそうに笑う。
天照は、わずかに早足で背を向けた。
「行くぞ。
……飯だ」
夜姫は慌てて深く礼をし、
その背を追う。
水波女は、ゆっくりと踵を返し、
颯へと声をかけた。
「あなたは、どうするの?」
蒼い瞳が、真っ直ぐに射抜く。
「今日を逃したら、
二度と会えない子かもしれないわよ?」
その言葉に、
店主が、そっと颯の背を押した。
「人生賭けた恋なら……
行ってこい」
颯は顔を真っ赤にして頷く。
「……お、おうっ!!
夜姫!待って!」
そして夜姫の後を追い、
駆け出した。
────こうして。
三柱と一人の、
不思議すぎるダブルデートが、
幕を開けた。
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