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常世神話譚 ー夜姫と最高神の千年恋譚ー   作者: 福山蓮
【第一部 星を見上げる少女】
18/31

【第16話】 紅い果実飴編 紅い果実は恋の香り

 

 日が高く昇り、正午を過ぎた頃。


 常世の最高位の二柱は、


 人間界――常降とこふり

 祈壇区へと続く石畳の階段を降りていた。



 黄昏都の白い列柱は、背後で少しずつ遠ざかっていく。



 足元の石は、神殿街の磨き抜かれた白から、雨風に角を削られた灰色へと変わり、

 階段の隙間には名も知らぬ草花が顔を出していた。


 一段、また一段と降りるたび、肌に満ちていた神気は薄れ、代わりに湿った土の匂いと、

 遠くから漂う焼きたての麦の香りが混じり始める。


 周囲の草木も、見覚えのない形へと変わっていく。

 黄昏都の草花のように、祈りを宿して光ることはない。



 風に揺れる葉の一枚一枚には、

 人の世界でしか生まれない柔らかな生命力があった。



 夜姫は銀のポニーテールを嬉しそうに揺らし、

 少し先へ跳んでは、何度も振り返って笑った。



 天照は、首元まで隠した人の装いに、

 まだわずかな違和感を纏いながら後を歩く。


 神であることを押し込めたような衣は、彼の体には少し窮屈そうだった。



「アマテラス様は、何を着てもカッコいいんですね!


 今日はこれを見れただけで幸せです♡」



 夜姫は満開の花みたいに、何度も見上げる。


 天照は肩をすくめた。



「はぁ…お前は雑だな。

 ローブ羽織ればいいと思ってるだろ」



 夜姫は頬を赤くしながら笑う。



「えへへ。だって、持ってないんです。


 私は常に、アマテラス様の隣にいたいので

 他はいらないんですよ!

 天照様は滅多にこっちこないし!」



 天照は溜め息を吐いた。

 その横顔は、照れか、不快か、そのどちらもか。



「お前…須佐男には気を付けろよ。

 俺だからよいものの……」


「大丈夫!一番はアマテラス様だけです!」


「じゃあアイツは何番だ」


「え?二番? あ、コックル達も?同じかな?」


 また深い溜息。


(──コイツは…)



 ◇



 常降地区の中央広場は、人の熱で賑わっていた。

 石造りの店々が円を描くように並び、赤や生成りの日除け布が風に揺れている。


 焼きたてのパンと果実の甘い香り。

 香辛料をまぶした肉を炙る匂い。

 石畳を行き交う荷車の軋み、商人の呼び声、子どもたちの笑い声。


 テラス席では、昼の食事を楽しむ人々が陽光を浴びながら杯を交わしていた。



 黄昏都とは違う。


 祈りに満ちた静けさではなく、

 食べて、笑って、働いて、急いで、また笑う。


 眩しいほどの“生”が、広場のいたるところで息づいていた。



 天照が問う。



「……で、何が食いたい」



「本当にアマテラス様は食べ物ばかりですねっ」



 夜姫は頬を膨らませ──

 次の瞬間、灰青の瞳に星が宿る。


「あのね!初めて常世に来た日!

 アマテラス様に初めて会った日です!」


 天照の胸の奥を、何かがひとつ鳴らす。

 夜姫は必死に言葉を繋ぐ。


「その……来る途中、祝福祭の屋台で…!

 真っ赤な果実に、飴が――

 ジュワ〜っと甘酸っぱくて!!」



 身振り手振りまで全力だった。

 天照は呆れたように目を細めたが、その必死さに、苦笑を隠しきれなかった。


 広場の向こうには、飴色の艶を纏った紅い果実が串に並ぶ屋台も見える。


 陽を受けた飴は宝石のように透き通り、赤い果実の丸みをきらきらと閉じ込めていた。


「それが食いたいものか」


「はいっ!アマテラス様と絶対食べたいって!」


 天照は小さく息を吐く。

 だが声は柔らかかった。



「なら、行くか」

「やったぁぁ!!」



 走り出す夜姫は、今日も天照しか見ていない。



 だから。



「前を見──」



 ドンッ。



 夜姫は勢いのまま、誰かにぶつかって転んだ。

 人波がわずかに揺れる。



 天照はすぐに手を差し出したが、

 ほんの一瞬、遅かった。



 差し出される青年の手。

 若く低い声。



「大丈夫?」



 夜姫より少し年上に見える青年は、躊躇なく夜姫の腕を引き起こした。

 年頃は同じくらい。



 爽やかな笑顔が印象的な青年だった。

 夜姫は慌てて呼びかける。



「すみません……どこも痛くないですか?」



 青年の瞳が喜びに震えた。



「…覚えてる?僕だよ。

 祝福祭で飴をあげた…あの時の」



 夜姫の灰青の瞳が揺れる。



「……歯がなかった子?」



 青年は吹き出して笑った。



「歯なんて生え変わるよ!

 でも…やっぱり君だった。

 ずっと会いたかった。

 銀の女神様…」



 天照の表情が、冷たく険を増す。

 青年は夜姫に問う。



「ずっと忘れられなかった。

 奇跡だと思った。

 その髪も、瞳も。

 君の名前を……教えて?」



 夜姫は戸惑いの中、思わず唇が動いた。



「……夜姫」



 天照の眉が、わずかに動く。



「夜姫、よるひめ……よる……ひめ……」



 青年は、その名を宝飾のように響かせる。



「最高だ……

 僕は人間だけど、君が好きだ。

 ずっとずっと、この先もずっと!」


 夜姫は真っ赤になる。

 天照を見て、青年を見て、混乱は深まる。



「……なんで、私なんか覚えてたの?」



 青年は夜姫の手を離さず、微笑む。



「無理だよ…忘れるなんて。

 だって君は、太陽が振り返るほど美しい」



 気付けば――

 いつの間にか二人を囲むように、人々が集まり始めていた。



「見て…あの髪…銀色?」

「天使?…違う、神様…?」

「隣の男なんて、彫像みたいだ…」



 夜姫の銀の絹髪は陽光を受けて、星屑のように煌めいている。

 灰青の瞳は、昼の光を含んだ湖面のように澄み渡っていた。



 そして、その隣に立つ男――



 天照は、人の男より頭ひとつ高く見える長身に、

 光を受けるたび黄金にも見える短い髪。



 琥珀の瞳は深く、鋭い。



 首元まで隠した人の装いをしていても、肩の広さも、背筋の通り方も、そこに立つだけで周囲の空気を変えてしまう。



 どれほど人の姿へ落としたとしても、隠しきれる存在ではなかった。


 息を呑む気配が、二人の周囲で膨らむ。



「ほら、見ろよ……あの雰囲気、普通じゃない」

「触れたら消えそうな……」

「いや、触れたら焼かれそうだ」



 ざわめき。

 畏怖。

 憧れ。



 それぞれが入り混じった視線が、二人へと注がれる。


 夢中になって夜姫の手を握る青年が、ふと気付いた。



 広場を切り裂くように落ちる、夜姫のすぐ背後から伸びる長い影。



 ゆっくりと顔を上げた青年の瞳に映ったのは、


 恐ろしいほど静かな、

 圧倒的な存在。



 ――天照だった。



「ど、どうも……」



 彫像のようなその男の表情に、感情は見えない。



 天照が、口を開きかける。



 ふと、背後に高圧的な澄んだ神気が弾けた。



「あら……やっぱり、天照様?」



 夜姫の知らない、透き通った神の声。

 天照は面倒そうに目を細める。



「……水波女ミズハメか」


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