【第15話】 常世の日常
常世は今日も美しい。
少し強い陽光、眠りを誘う風。
並の神では踏み込めない、強い神気に満ちた静寂の丘で、咲き乱れる蒼い花は、ゆっくり揺れていた。
天照は古樹の根に背を預け、
遠い空の色を睨むように、まぶたを閉じていた。
(……静かだ)
風の音しか聞こえない。
そんな贅沢な時間は、この場所にしかない。
――バタバタッ…
(……嫌な足音)
ハッと意識が引き戻される。
体を少し起こそうとした瞬間。
ドサッ
「……?」
眉間に渋い皺を寄せ、視線を上げる。
陽にきらめく銀髪。
白磁の肌。
灰青の瞳が笑っている。
夜姫が――
天照の腹に跨っていた。
「なんだ。夜姫か…」
低い声。
うっすら険がある。
「なんだじゃないでしょ〜?
アマテラス様!えへへ、探したんですよ?
見つけちゃった」
(図々しいにも程がある)
「せっかくヒトが気持ちよく昼寝してたのに…
お前には配慮ってものがないのか?」
咎める言葉にも、夜姫は笑顔のまま。
そして後ろ手の花束を差し出し、
「じゃじゃーーーん!!」
天照の顔がひくりと動いた。
「最近口調がやかましい奴に似てきてないか…
お前は俺の対だぞ?
嵐の対じゃないんだからな。」
夜姫は胸に手を当てて堂々と宣言した。
「はい!もちろんアマテラス様専属の私です
っ!」
陽光が、
少女をひとつの“恋”へ照らす。
天照は花束を受け取りはしたが、
わざと片手でぶらりと下げてみせる。
「花より飯。」
夜姫は、膝の上で衣をぎゅっと掴み、
寂しく呟いた。
「花より、“夜姫”って言ってほしい…」
その言葉は、
幼さと女らしさの境界線だった。
(……厄介だ)
押し寄せる恋慕は、
無垢で、容赦がなく、
天照の理性を刺す。
星屑を含んだ灰青の瞳が
真っすぐ琥珀の瞳を見ている。
天照は逸らさないまま
額と額をぶつけた。
ゴツンッ
「ぃ…イタイ!!」
「夜姫…俺は眠い。昼寝するぞ」
がしっと腰を掴み、
夜姫の身体を隣に放る。
「きゃっ…」
幼い声じゃない。
かすかな艶が混じる。
(……やめろ。そういう声出すな)
背を向け、目を閉じる。
だが背中には、
ほんのり柔らかい体温が押し寄せた。
夜姫は当たり前のように寄り添い、
鼻先を彼の背に押し当てる。
「……………。」
眠れない。
刻一刻と時は流れる。
風の音。
夜姫の寝息。
ゆっくり時間が満ちていく。
やがて――
「…アマ…テラス…さま…」
寝言。
天照はゆっくりと振り返り、
額を合わせて呼んだ。
「おい。夜姫…起きろ」
「むにゃむにゃ…アマ…」
「起きろ。夜姫。」
ぱちり。
まつ毛の長い、灰青の瞳。
至近距離。
「「きゃ、きゃぁああああああ!!
(嬉涙)し…死んじゃう!」」
ゴチン!
「ガキ。そんなんで俺に迫ろうっていうのか?
お前はいつまで経っても子供だな。」
夜姫は額を押さえながら、
上を向いてぽそっと。
「…ケチ。」
続いて、天照の喉に刺さる一言。
「じゃあ、私が須佐男のお嫁さんになってもいいんだ?」
間。
天照の横目が鋭く光る。
「……は?」
喉の奥で感情が弾けた。
だが、悟られたくない。
「なぜそこでアイツの名前が出る?
…お前がそうしたいなら、好きにすればいい
さ。」
夜姫は、そのわずかな動揺を
ちゃんと見抜いていた。
(嬉しい)
確信した笑みが零れ落ちる。
「ねぇ、アマテラス様。
ちょっとだけ私のこと好きだよね?」
無垢な笑顔。
しかし、言葉は鋭い矢。
天照は苦笑し、頬をつまむ。
「対だからな!あまり調子にのるなよ?」
夜姫はつままれながら頬を緩ませた。
夏の常世の風が二人を撫でる。
天照はぽつりと呟いた。
「腹…減ったなぁ。」
夜姫の全身が跳ねる。
「そうだ!アマテラスさま!
なら、人間界へ行きましょう!
私も食べたいものがあるの!」
天照は、動こうとしない。
だがその琥珀色の瞳には、
もう決意が映っていた。
天照は、抗わず握られた手を見つめた。
灰青の瞳には――迷いなど一つもない。
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