【第14話】 翡翠湖――須佐男の誓い
北の森林を抜けた、翡翠湖のほとり。
日が傾き始める頃、小さな使い神たち――
コックル、トックル、サットル、ファッタル、テックル。
そして二柱の神は、薪を囲んで賑やかに過ごしていた。
湖の澄んだ水で育った魚を焼き、立ちのぼる香りが風に溶けていく。
使い神たちは薪を運び、湯を沸かし、果実をもぎ、落ち着きなく料理に励んでいる。
夜姫は慣れた手つきで魚の鱗を落とし、南の国で干し上げた特製の塩をぱらりと振り、串に刺して炭火へ並べた。
須佐男といえば――
「スゲェスゲェ!」
と、完全に応援隊だった。
普段は静寂に包まれたこの森も、今日は様子が違う。
翡翠湖の影では、小さな動物たちが、楽しげな神々を羨ましそうに覗いていた。
満腹になり、笑い声もひと息つく頃。
月が昇りはじめ、フクロウの声が森の深部で響いた。
使い神たちは薪の温かさにうとうとと揺られ、夜姫はそっと布をかけていく。
それを頬杖で眺めながら、須佐男はふっと目元を緩めた。
――この神は、空気が読める。
無邪気に見えて、誰よりも他者に敏感だ。
だからこそ、あの天照の唯一の友なのだ。
いつからか夜姫は気づいていた。
思っていたよりずっと大人で、思いやりの深い神なのだと。
須佐男は焔を見ながら、ぽつりと言った。
「本当いい女だよな〜姫は。
これ以上成長したら、俺ガチで惚れちまう
かもなぁ。」
火の粉が夜空へ散り、夜姫の胸がくすぐったく疼く。
彼の言葉はいつも、自信を与えてくれる。
須佐男は、こんな軽口ばかり叩くものの、並の存在ではない。
常世随一の高位神であり、天照より分かりやすく人気があることも確かだ。
その須佐男が、幼い自分を可愛がってくれている。
その優しさが嬉しかった。
「それって、遠回しにガキって言ってるでしょ?」
茶目っ気たっぷりに灰青の瞳を細めると、須佐男はどや顔で胸を張る。
「まぁな!!
なんてったって常世一のモテイケメン、須佐男様だからな!
こんな丸一日貸し出ししてやったんだぜ?
ありがたく思えよ〜?」
夜姫はくすくす笑い、眠る使い神たちの背中を撫でる。
そして――自然と、言葉が零れた。
「本当にね。
ありがとう。
今日の須佐男は、本当にかっこよかった。
最初から最後まで。
――常世一のイケメンかも……」
須佐男の翡翠色の瞳がきらりと光る。
「……っだろぉ、やっと気づいたか!?
この俺様の魅力に酔いしれたか〜!
たく、遅せぇんだよ!
何年一緒にいると思ってんだ?
まぁ、安心しな!夜姫ちゃんは俺が責任もって嫁に……?」
言葉が、夜空に吸い込まれた。
「ん……“かも”??」
夜姫は膝を抱え、須佐男の変わり続ける表情を眺めて笑った。
「本当にかっこいいよ。」
須佐男は一転、真剣な顔になった。
夜姫へ近づき、灰青の瞳を覗き込む。
「お前、アマちゃんとはどうなんだよ?
あ?俺に内緒でいけないことしてねぇよな?
マジ、やめろな?
なぁ大丈夫だよなぁ?!」
夜姫の瞳に一瞬、影が落ちる。
須佐男はそれを、見逃さない。
「アマテラス様と私はただの対、それ以上でも以下でもないよ。
アマテラス様の中じゃ私はずっと子供のまま……
最近ちょっと冷たいし。」
むぅ、と頬を膨らませる夜姫。
須佐男は思わず嘆息した。
「なにガチ恋の乙女してんだよぉ……
俺、マジ泣くぞ……!」
嵐の神が本気で涙目になる。
夜姫は微笑む。
「……須佐男も大好きだってば。」
須佐男は即座に笑顔全開になった。
「ナハハ!本命二人か?!
アマちゃん相手なら構わねぇぜ!」
夜姫の肩を抱き寄せ、耳元へ囁く。
翡翠の瞳は、真剣だった。
「じゃあさ、一つ約束しようぜ?」
夜姫も顔を寄せる。
「なになに?」
二人の口元が、いたずらっぽく曲がった。
「もしアマちゃんが夜姫ちゃんを傷つけることがあったら――」
翡翠の瞳が、真っ直ぐ灰青の瞳を射抜く。
「殺されても殺す……
負けても負けねぇ。
俺が勝つ……!!」
夜姫はぽかんと目を丸くする。
「お前の涙だけは絶対に見ねぇ。
俺が全部ぶっ壊してでも守る」
須佐男は、にいっと笑う。
それはまるで、目の前に広がる翡翠湖のように澄んだ瞳だった。
「なに。それ……?
須佐男がアマテラス様をやっつけちゃうの?」
「おうよ!
俺のマイハニーは笑ってないと困るんだよ!
絶対守ってやるからな!」
それは、冗談ではなかった。
焔が照らした横顔は、どこまでも優しくて強かった。
須佐男は笑い飛ばすように叫んだ。
「だからさっさと当たって砕けてこいや!!」
「なにそれ〜〜!!
結局、面白がってるだけじゃない!」
夜姫は須佐男の背中をぽかぽか叩く。
笑い声が夜に溶けた。
翡翠湖は静かに星を映す。
森の風が薪を鳴らし、優しく二人を照らしている。
『お前の涙だけは絶対に見ねぇ。
俺が全部ぶっ壊してでも守る』
夜姫は、この誓いを生涯忘れない。
自分が焦がれても手に出来ない想い。
その言葉には、確かな愛が詰まっていた。




