【第9話】 太陽の昼餉
散々汗を流し、
皆の腹が減ったところで、一時解散となった。
「一緒に食うぞ」
背後から声が飛んできたが、
天照は片手を上げて断った。
腹は減っていた。
けれど、仲間の輪に最後まで馴染みきれたことはない。
戦いの余韻で、気分は悪くなかった。
むしろ、晴れていた。
天照は歩幅を緩め、
黄昏都の中心――神殿街へ戻る。
列柱の端を、音もなく歩いた。
天照にとって、
人も神も大差はない。
それぞれが勝手に生まれ、
勝手に群れ、
その輪の中で完結している生き物。
余計な干渉はいらない。
視界の端を、
戯れる者、抱き合う者、群れる者が通り過ぎていく。
戦いの輪には入れる。
笑い合うこともできる。
ただ、その先へ続く最後の一歩だけは、
いつも踏み込めなかった。
ふと、
微かな神気が肌に触れた。
石段を下り、
左へ折れた先。
神殿街の喧騒から少し離れ、
夜を閉じ込めたような静けさを纏う宮がある。
(……なんだ?)
焼けた油と、肉の匂い。
近づくほどに、
香ばしい匂いが強くなる。
窓からそっと覗き込むと、
銀の髪がちょこまかと揺れていた。
……混ぜる。
……分ける。
……運ぶ。
……あ。
……落とした。
泣いている。
天照は、その場に立ち尽くした。
表情が忙しい。
喜怒哀楽が、一秒ごとに入れ替わる。
落ち着きがない。
だが、不思議と苛立たなかった。
(……そもそも、アレはなぜこんな場所で飯を作っている?)
(飯など、望めばいくらでも湧くというのに)
しばらくして、
ようやく何かが完成したらしい。
夜姫は、
両手を上げて喜んでいた。
見届けた満足感に、
天照は思わず小さく息を吐く。
宮へ背を向け、
歩き出そうとした――その瞬間。
バン!!
扉が勢いよく開いた。
天照は、一瞬だけ身じろいだ。
自分が驚いたことにも驚いた。
「アマテラス様っ!?」
小鳥の囀りのような声。
粉だらけの顔。
丸い灰青の瞳が、きらきらと輝いている。
(……なぜだ)
天照は琥珀の瞳を細めた。
(気配は、完璧に隠していた)
夜姫は、湯気の立つ皿を抱えて駆け寄ってくる。
「やっぱり!
気づいたら、アマテラス様の気配がして……」
息を弾ませながら、
皿を差し出した。
「これ、アマテラス様に食べてほしくて……。
が、がんばったんです!」
皿の上には、形の崩れた何か。
湯気の向こうには、必死な想い。
一瞬、言葉に詰まる。
天照は夜姫の前へ膝をつき、
灰青の瞳を見つめた。
頬についた小麦粉を、
指先でそっと払う。
「ガキが、無理するな」
言った瞬間――
胸の奥がざわついた。
夜姫の唇が、
泣きそうに震える。
しまった、と天照は思った。
(いかん……泣く。泣かせた……)
次の瞬間。
夜姫が跳んだ。
天照の口に全力で押し込む。
「……ッ? ゴホッ」
(この俺に――口へ叩き込んだ……!?)
現実と少女の慟哭と視線が
一気に押し寄せる。
ゆっくり咀嚼し、飲み込む。
夜姫は真っ赤。
絶望と期待が混じった顔で
じっと見上げてくる。
視線が痛い…
心臓が少し跳ねた。
「……ぅ……うまい」
言葉が喉から落ちた。
次の瞬間、
夜姫の瞳が世界を照らした。
「ほんと!?
ほんとに!?
アマテラス様、美味しいって言った!?」
夜姫の喜びが弾ける。
跳ねる銀。
笑う瞳。
(……眩暈がする)
こんなにも真っ直ぐで、
こんなにも馴れ馴れしい者は、今までいなかった。
天照は、丸裸にされたような気がした。
守り方さえ知らない胸の内側を、直撃されている。
ようやく状況に気づいた食神やコックルたちが、
厨房の奥から慌てて駆け寄ってきた。
そして、
夜姫を口々に褒めそやす。
天照は、少し笑った。
「広場で動いたからな。
腹が減っていた」
夜姫は桃色を帯びた頬で、微笑んでいた。
「形は悪いが、味は最高だ。
……次はもう少し、それらしく頼む」
胸の奥が、
妙に軽い。
柔らかい。
須佐男を真似るつもりはなかった。
だが――
身体が勝手に覚えていた。
片目を閉じ、
無邪気にウインクする。
瞬間、夜姫は固まる。
その横で、
食神たちが一斉に崩れ落ちる。
(ああ……やってしまった)
天照は夜姫の頭を、
ぽんと一度叩いた。
「……じゃあな。ご馳走さん」
耳元でそう囁くと、
そのまま空を切るように飛び上がる。
挑発でも、
誇示でもない。
ただ――やりたかった。
✦ ✦ ✦
静寂の丘。
柔らかな日差しが降り注ぐ午後。
天照は古樹の根元で風に身を預けながら、
ゆっくりと瞼を閉じた。
光は満ち、
世界は今日も動いている。
自分は、
その中心にいる。
……なのに。
ひとり、
眠りにつく直前。
胸の奥で、
銀の光が揺れた。
思考は、そこで途切れる。
春の陽を孕んだ風が、
天照の髪を優しく揺らした。
世界は静かに、
新しい物語の気配で震えていた。
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