初詣
初詣は、大淀川を渡った対岸にある粟野神社へ向かった。
昼前の時間、藤一郎とクラの父は話が盛り上がっていて暫く動きそうになく、次郎兵衛とマツは昼が過ぎて祖父と
初詣に行きおみくじを買ってもらう約束をしているため、今は出掛けないと言って家に残った。
ちなみに、クラと藤一郎が住んでいる小山田地区の北には高浜という地区があり、現在はこの高浜と五町(高岡町中心市街)を結ぶ「大の丸橋」が架かっている。明治10年にはまだ大の丸橋は無く、数百メートル上流に大きく湾曲して川幅が狭くなるところがあるためそこから舟で渡っていた。その渡しを「大丸渡し」と呼んでいたことが現在の橋の名に由来している。
また、この時代高岡町では大淀川のことは「左流川」と読んでおり、これは薩摩藩の関所から見て左を流れている川だったことに由来しているとの説もある。
大淀川の高岡域での渡しは全部で12箇所設けられていた。
クラと藤一郎は大丸渡しより手前の粟野渡しから舟に乗り、お目当ての粟野神社の鳥居の前に立った。
「なんであんげ冷やかすとですかね!」
クラは膨れてそう言った。
それもこれも、たった今乗ってきた渡し舟の船頭から
「ほー、振袖どん着て。二人はそんげな仲やったとね」
と分かりやすく冷やかされたからであった。
冷やかされただけならまだしも、藤一郎は
「クラは別嬪さんやかい、今のうちに唾つけちょこうと思いまして」
と船頭の親父に調子よく合わせてしまったのだ。
「ははは。悪かったてクラ。機嫌直して」
藤一郎は少し困った表情になって、クラの隣を歩いた。粟野神社の鳥居はすぐに見えてきた。初詣で賑わっている参道を歩いて、二人は社殿の前に立った。
二礼二拍手一礼をして二人は再び大淀川に面した参道を歩いた。
「何をお願いしたんですか?」
クラが、右側を歩く藤一郎に聞いた。
「ん?お願い?」
クラは藤一郎が一礼の際に長めに頭を垂れているのを見ていた。
「良く見てるなクラは。
その・・・争い事が起こらんようにとお願いしちょいた」
と右の頬を右手人差し指で掻きながら藤一郎は答えた。
「薩摩の反乱ですか?」
「ああ。起こらんに越したことはない。まして、西郷先生は江戸城を無血開城されたお方じゃ。一連の元士族の反乱は無益な争いじゃち思うちょりゃるじゃろ」
「オレも同じです」
「え?」
「オレも、藤一郎さんが戦場に行かんで済むようにお願いしました。あんまり大きい声で言うたらいかんことやけんどん」
武運長久を願うのが筋であることは理解していたが、本音を言えばクラは藤一郎と離れたくなかった。その気持ちがどうやら恋であると、日の当たる縁側で、あの泣きたくなるほど美しい藤一郎の横顔を見た時に気づいたのだ。
クラ12歳。藤一郎19歳になる年。
クラの淡い想いは決して藤一郎に届くことはないと思っていた。
「もし戦地に行っても、無事に帰って来れるようにてお願いしました」
と気持ちを悟られないように、嘘の願い事を付け足した。
「ありがとう。無事を祈ってくれたんやね」
実は。
藤一郎もまた、1年程前からクラへの気持ちの変化を感じていた。
しかし、二人の歳の差やクラはまだ少女であるが故、その気持ちは伝えないでおこうと決めていたのであった。
晴れ着を着たクラは本当に大人っぽく見え、もう気持ちを伝えてしまおうかと決心が揺らぎ
「てっきり、食べ物に困らんようにってお願いしたのかと思うちょったわ」
と自分の気持ちに蓋をするようにクラとの会話を茶化したのだった。
クラはその言葉にあからさまに怒り、藤一郎は平謝りをして、それから二人で甘酒を飲み、芋飴を舐め、たくさん話し、たくさん笑い、気づけばもう夕方になっていた。
「はあ」
渡し舟を待っている間、クラが大きくため息をついた。
「元旦早々、大きなため息やね」
藤一郎が笑ってクラに聞いた。
「帰りたくないです。初詣、楽しかった」
この気持ちも、クラは黙っておくつもりだったが、渡し舟がなかなか来ないことで藤一郎と過ごす時間が長くなっていた。渡し舟が来て向こう岸についてしまえば、この幸せな時間は終わると思うと、急に惜しい気持ちが強くなってきた。ため息をついた時は半分ヤケになっており、いっそこのまま藤一郎と二人でどこかへ行ってしまおうかと思ったほどだった。
「ああ、俺もだ。楽しかったな今日は」
「あの、藤一郎さん!」
意を決してクラは藤一郎を見た。
「藤一郎さん今年19でしょ?見合い、せんのですか?」
狭い村であるため、藤一郎にいくつかの縁談が持ち上がっていることは知っていた。
「急やな・・・。いくつか話はきちょるけど、まだ返事はできちょらん」
藤一郎は無論クラが気になっているために、見合いをする気が起きないでいたのだ。
「しっかりせんと。いずれ小山田の村をまとめる人やっちゃかい・・・その・・・」
──ああ、このまま言ってしもていいやろうか。
「えっと・・・その・・・オレが・・・」
──ダメや。頭がぼおっとする。なんも考えられん。
「オ・・・オレが藤一郎さんとこ嫁に入りますかい!」
──言ってしもた!言ってしもた!
「・・・・」
──いや藤一郎さん困っちょる!なんも言わんなったし!
「あ・・・・ああああのほら!船頭さんに言われて!唾!藤一郎さんに唾つけてもらいましたかい・・・そ・・・その気になったんは藤一郎さんのせいっちゅうか・・・・でもオレまだ12じゃかい・・・なんとか言ってください!」
舞い上がっているクラを見て、藤一郎は言葉が出てこなかったが、クラの一言で我に返った。
「嬉しい」
がなんとか絞り出した言葉だった。
「・・・・へ?」
「あ・・・あの、俺もそうなったらいいなと思ってたかい。クラが・・・嫁やったらて・・・クラが15になるまで待とうと思っちょった」
「えうそ・・・え・・・うそ・・・」
「あ、ねえちゃんや」
そう声をかけてきたのは弟の次郎兵衛であった。
「あ、藤一郎先生も。何しよるんですか二人とも」
クラも藤一郎も次郎兵衛の登場に驚き、言葉が出ないで固まっていた。
「そのセリフはどう考えてもオレのセリフやろ次郎兵衛」
あまりに悪いタイミングで現れた次郎兵衛に、クラは怒りを込めて言った。
「いや、ここで舟待っちょても、なかなか来んやろ?やかい、じいちゃんとマツと3人で大丸渡しかい乗ろうって話しちょって。まさかねえちゃんおらんやろうと思って念の為この渡しを見にきたつよ。ほら。もうじいちゃん達先に行って待っちょるかい行こうや」
次郎兵衛はクラの腕を掴んで歩き始めた。
「あ・・・じゃあ藤一郎さんも!一緒に!」
クラは咄嗟に振り返って藤一郎に手を伸ばしたがその手は藤一郎には届かず、藤一郎も気が動転していたために少し冷静になる時間が欲しかったこともあり、このまま粟野渡しで舟を待つことにしたのだった。
その後、クラは村で藤一郎を見ると変に意識してしまってうまく話せなかった。
ある朝は、サエと沢で野菜を洗っている際に塾に向けて出勤する藤一郎を見かけたサエがいってらっしゃいと明るく声をかけたのに対し、クラも小さい声で行ってらっしゃいと声をかけ、藤一郎と軽く手を振り合ったのをサエに見られ、どう言うことだとサエから厳しい追及を受けたのだった。




