内山神社大祭
クラが10歳になる年の春
一家は揃って、大淀川の対岸である内山地区の大祭に出掛けた。
内山神社周辺は大勢の人で賑わっており、クラも美味しそうな菓子やおもちゃに見惚れた。
祖父母は老舗の醤油屋の主人のところにおり、父は次郎兵衛と、母はマツと手を繋いで歩いていた。クルクル回る風車に目を奪われた一瞬、クラは家族と逸れてしまった。
だが、特段焦ることはなかった。この辺はクラの歳であれば帰れない距離ではないし、知り合いの子達も大勢見かけた。ひとしきり友達と遊んで帰ろうという思いにすぐに切り変わったのだ。
「クラちゃん!」
クラが振り返ると
「サッちゃん」
早速友達のサエがクラを見つけて駆け寄ってくるところだった。二人は同じ地区に住んでいて同い年。最近はお互いの家の手伝いをし合っている仲だった。
「さっきそこで藤一郎さん見かけたっちゃが」
とサエがくらいに言う。
「え⁉︎」
クラの声が裏返る。
藤一郎は17歳になっており、この内山地区で塾の講師となっていた。
サエは、クラは藤一郎のことを好きなのだと思っており、何かにつけてはこうしてクラを冷やかすのだ。
「やかいオレは別に藤一郎さんのこと好きやないて」
少し驚きはしたが、恋心を抱いたことはない。クラが幼い頃から持っている侍への憧れは未だ健在で、池田家への忠誠心もまだ持っているのであった。
それから、クラの一人称はオレであることもお忘れなきよう。
「おいコラ、そこの娘!」
二人はその大声に驚いて体をびくつかせた。恐る恐る声のした後ろを振り向くと
「せっかくの大祭にガキがうろうろするな!目障りや。帰れ」
結っていない伸び放題の髪と白髪混じりのヒゲ。何日の洗濯していないであろう小袖に袴。明らかに酒に酔っていて臭い。帯刀していることで、数年前まで士族であったことは窺い知れた。
「は・・・はい!申し訳ありませんでした」
とサエは二度頭を下げてその場を去ろうとした。が、クラはその場から動かず、その酔っぱらいをじっと見ていた。
「ほらクラちゃん行こう」
サエがクラの袖を引っ張ってその場を去ったが、去り際もクラはその男から目を背けなかった。
誰もいない路地までクラを引っ張っていき、サエが
「クラちゃん何考えちょっとね!」
とクラを叱った。
「あの人刀持っちょったやない!怒らせたら切られるかもしれんとよ?」
廃刀令は明治9年に成立した。明治8年のこの時代は、元士族の帯刀は個人の判断に委ねられていたのだ。
「あんな手入れもしちょらん刀、怖くもなんともないわ。池田様ならあんな奴絶対許さんわ。武士の風上にもおけん!」
クラは怒っていた。それが、子供だから帰れと言われたことに対してなのか、帯刀が武士の特権と言わんばかりの男の態度や、それでいて武士としての嗜みを全て怠っていることへの怒りなのかは分からなかった。
「見ちょったど、クラ!」
路地の奥から男子が3人歩いてクラとサエに近づいてきた。
男子は正右衛門、勝之進、景之で、それぞれ地主、商家、士族の息子たちであり、塾の同級生同士。クラ、サエより歳が3つ上で、この村に生活物資を買いに来る二人をよく揶揄うのだった。
「ああもう、なんで正右衛門たちにまで・・・クラちゃん帰ろう」
サエが泣きそうな表情になりながらクラに言った。
「さっき侍に女子供は帰れち言われよったどが!お前ら女で子供やろうが。さっさと帰らんか」
正右衛門がこれでもかと言わんばかりに二人を見下したトーンで話しかけた。
「あんな奴侍じゃないわ!」
案の定クラは男子3人衆に一歩も引かずに応戦する気満々だ。
「それに、女子供が大祭を楽しんじゃいかん決まりがあるとか正右衛門」
「お前のそういう態度が前かい気に入らんかったつよクラ。今日は許さんど」
正右衛門の鼻息が荒い。いつにも増して興奮している。
「父上が言いよった。お前は岡田以蔵の生まれ変わりやて」
「岡田以蔵?」
クラはその名を聞いたことがなかった。
「土佐勤王党の志士よ!天誅の名人て言われよったけど、捉えられて女も耐えた拷問で泣き喚いて仲間の名前を全部喋ったとよ。お陰で土佐勤王党は衰退。情けない武士の代表格やわ!」
と言って正右衛門が笑った。
クラは少し目線を落とし
「岡田以蔵・・・」
と囁くように言った。
「おいカゲ。あれ出せ」
正右衛門が景之に言うと、景之はニタニタ笑いながら懐に手を入れた。グッと奥にまで手を突っ込み、ヌッと布で包まれた細長いものを出して正右衛門に手渡した。正右衛門が布を剥ぐとそれは脇差であった。
「父上かいも・・・も・・・もろたつよ(もらったの意)」
景之も鼻息荒くそう言ったが嘘で、父の脇差を黙って持ってきたのだ。
「ク・・・クラ・・・お前・・・ここで全部・・・・き・・・きき着物脱げ」
「はぁ?」
男子3人衆は3者とも鼻息が荒く、極度の緊張や興奮からか目も血走っている。
正右衛門からのあまりに唐突な要求にクラは思いっきり怪訝な表情で返答した。
「嫌やわ、なま寒い。女の裸が見てえとか?」
「ち・・・ちちち違う!お前に恥をかかすとよ。男を馬鹿にしたらどんな目にあうか教えちゃるわ」
「男を馬鹿にしてるんやないわ。あんたに呆れちょるだけよ」
「やかましい!」
そう言うと正右衛門は脇差を鞘から抜いた。短刀とはいえ、よく手入れのされた刀だった。
「おおおお前が脱がんなら、サエ!お前が脱げ」
剣先をサエに向けて正右衛門が言う。切先は震えており、よほど興奮しているものと思われた。
「ひ・・・ひ・・・」
青ざめた顔でサエが固まっていると
「早くしろ!」
と正右衛門が怒鳴った。怒鳴られた拍子にサエの体はびくつき、ぎゅっと目を瞑って震える手で帯に手を掛けようとした時
「脱がんでいいよサッちゃん」
とクラから言われて目を開けた。
クラの肩が目に入ってきて気がついた。袖から見えるクラの拳を見て確信した。
クラは震えていた。
毅然と振る舞っているが、やはりクラも怖いのだと思うとサエも思い直し、帯から手を離して男子3人衆を睨んだ。
「お前たち・・・いい加減にしちょけよ!」
と言って正右衛門が脇差を振り上げた。
クラはずっと脇差の動きを目で追っていた。
振り下ろしはじめた瞬間、しまったと思った。
ギリギリ正右衛門の間合いに入っていることに気がついた。
交わしきれない。
すると胸の辺りに衝撃を感じた。
後ろに引っ張られ振り下ろされた切先はクラの鼻先数センチを掠めた。
「えらい物騒やのぉ。正右衛門」
声の主はクラにはすぐにわかった。
「藤一郎さん」
藤一郎は後方から自らの右腕でクラを引き寄せ、正右衛門の一撃を交わしたのだった。
「い・・・池田・・・先生・・・」
後退りしながら正右衛門が言う。
「そん脇差は景之のお父上のもんじゃろうが。きちっと返しちょけ」
藤一郎にそう言われ、なす術のない正右衛門は走って去った。その正右衛門に次いで勝之進、景之も走り去った。
「ふう。大丈夫やった?クラ、サエ」
その言葉を聞いて、サエは泣き出してしまった。
「なんかされんかったか?怖かったやろ」
と藤一郎はサエの頭を撫でた。
クラは藤一郎を気をつけの姿勢で見て
「な・・・なんも!怖いことありませんでした」
と答えたが、藤一郎はそうかそうかと言って、同じくクラの頭も撫でた。
クラは思わず涙が溢れそうになったが、藤一郎が右腕を隠していることに気がついた。
「藤一郎さん、右腕・・・まさか・・・」
「ん?ああ、クラはよく見てるなぁ」
と言って困った表情になって右腕をクラに見せた。
小袖の袖が切られ、腕からは滴るほどの出血があった。藤一郎はクラを庇って右腕を正右衛門に切られていたのだ。
「い・・・いかん!手当せにゃ」
慌てるクラ。
「大丈夫やが、これくらい。文旦の棘が刺さった方が痛いくらいやわ」
「ダメです!ちょっと・・・待っちょって・・・」
懐から手拭いを出して傷口を押さえた。
「すまない。これじゃあ格好がつかんわ」
と言って藤一郎が無邪気に笑った。
「いえ・・・藤一郎さん来てくれんかったら、今頃オレ・・・真っ二つやったかい」
言ってみてゾッとした。みるみる恐怖が湧き上がってきて、藤一郎の傷口を押さえている右手が震えてしまった。
藤一郎がクラの手の上に自分の左手を乗せて
「一歩も引かんで偉かった。本物の侍のごたったど」
と声をかけた。
その言葉を聞いて、クラもとうとう泣き出してしまったのだった。




