四日目(上)
やはり待ち合わせは十三時で、手持ち無沙汰になった由美はロデオドライブとは対照的に比較的庶民層の店が立ち並ぶ通りを散歩していた。
キースに何かプレゼントでも出来ないだろうか、と通りを見渡して気付く。彼はきっと、望めばこの通りの中のあらゆる商品を手に入れることが出来るだろう、と。一つ、そんな彼でも手に入らないものがあるにはあるが。
「でも……重い」
思わず出た言葉に一人頷きながら、それが売っているであろう店を探す。十数分後、緑の屋根の小洒落た外観の小さな店にそれをみつけた。『open』の文字を確認して、そうと入ってみる。頭上でちりん、という涼やかな音が鳴った。
色とりどりの糸。大小様々な針。一瞬目を奪われた由美だが、レジにいる年配の女性に会釈して、お目当の物がある場所に足を動かした。
何か手作りの物をプレゼントしよう、と考えて思い付いた物が編み物だが、いかせん由美は余り器用な方ではない。辛うじて簡単な指編みが出来る程度だ。しかも、中々に“重い“プレゼントと言えるのではないか。
だけどまあ、布を小さな袋状にして中に綿を詰め込んで糸を通すだけのお守りくらいなら良いかな、と由美は灰色のフェルトを手に取った。
キースの瞳は確かに灰色だ。でも……と、由美は紺碧色のフェルトも手に取って、レジにいるお婆さんの元に向かった。
「あー……Hello. Is there gray and blue felt? えっと、this color and this color ……mix……」
自分の英語力の低さに声を萎めながら、両手に持つ灰色と紺碧色をアピールする。お婆さんは温かい笑顔で頷いて、店の奥から数枚のフェルトを持ってきてくれた。その内の一枚に由美は目を輝かす。
「うわあ、凄い。……ピッタリだ」
灰色をベースにして、淡く青みがかっている。確かに彼の瞳の色だ。
「so good! Thank you very much!」
それからキースの髪色をイメージして渋めの黄色い太い糸とフェルトを縫う用の針と糸を買ってホテルに戻った。
「……いっ」
訂正しよう。由美は余り器用ではない、のではなく、不器用だ。血が出るとまではいかないが、チクリと刺さる針に四苦八苦している。
一般的なお守りの形にしてただ縫うだけの作業だが、時計を確認するともう十三時前だ。ため息を一つついて、待ち合わせの場所に急いだ。
昨日と同じ車に乗り込み、キースに微笑む、
「こんにちは、キース」
「ああ、こんにちは。……君もスカートを持っていたんだな」
冗談めかして言うキースに、アセビも悪戯っぽい笑みで返す。今日はデニムのスカートにTシャツというシンプルな服である。
「今日は、どこに行くの?」
「遊園地に、と思っている」
「……そっかあ。ありがとう」
そう言う由美の声にどこか感慨深い色が含まれていた。一人では到底考えられなかったが、二人となると別だ。少しだけ、自分の世界が広がった気がする。けれど、その十数分後、キースの携帯電話が鳴ったことで、状況は変わることになった。
少し荒っぽい声。英語で何かを言っているらしいが、早口過ぎて由美には何を言っているか分からない。しかし、電話切って由美の方に振り向いたキースの顔で、悪い報せだったのだと悟る。
「すまない。仕事が入った。僕はこれからホテルに戻らなければならない」
「……あー残念だね。全然大丈夫だから。気にしないでさ、お仕事頑張って」
「由美さんは……」
少し眉を下げたキースに、由美は少し考えた。
「部屋ですることがあるから、本当、気にしないで」
「……それは、僕の前ででもできることか?」
由美は一瞬目を泳がせたが、ゆっくりと頷く。
「まぁ、できる……かな」
「それなら僕の部屋で。僕はあまり話せないが、言ってくれたら何でも用意する」
「ありがとう」
何はともあれこれで時間が作れた。お守りも完成するだろう、と由美は微笑んだ。
ホテルに着き、由美は一度自室に戻り手芸道具一式を袋に入れてキースの部屋まで向かう。やはり数人の屈強な男の丁寧なお辞儀には慣れないが、ひとまずキースの部屋まで辿り着いた。
「お邪魔し……あ、ごめん」
広い部屋の一角でコンピュータ数台を前にキースが座っている。その姿に声をあげるべきでなかった、と後悔する。
「ああ、いや。……由美さん。来てくれてありがとう」
「ううん。キースの部屋のほうがソファの座り心地とかも良いし、私としても嬉しいよ」
「遠慮なく寛いでくれ。一応、そこに茶は用意してある」
キースはテーブルを指差して手短にそう言うと、またくるりと椅子を回してモニターに顔を戻した。忙しいことが全身から感じられる。
「ありがとう」
キースに渡すプレゼントを作っているところを本人に見られるのは極力避けよう、と考えていたから都合が良い。とは言っても、リスクを冒してでもキースを見ていたいという方の気持ちが勝るのも事実だ。
由美はソファに腰を下ろして、袋から作りかけのお守りを取り出した。出来るだけ丁寧に丈夫に、を合言葉に形作っていく。やり始めたら熱中してしまうもので、部屋にはキースのコンピュータの唸り声しか聞こえない。
部屋に来て大体一時間ほど経った頃、由美のお腹が盛大に鳴った。ああ、これ作ってたからお昼食べてない、と頭の片隅で理解する一方、恥ずかしさから一瞬パニックになり、ヂクリと針を指に刺してしまった。
「……い゛っ」
思わず出た声に口元を抑える。横目でキースを伺うと、椅子をくるりとこちら側に向けている途中だった。そればかりか、彼は立ち上がり、由美の方に向かっているではないか。
「どうし」
「ストップ! ストップ、キース。ちょっと待って、ちょっと目を閉じてて!」
言い終わるや否や手芸道具を滅茶苦茶に袋に放り込み、ぎゅっと口を縛ってクッションの上に置く。
「良いよ。ちょっと針刺しちゃっただけだけど」
「……針?」
不器用なの、と言う由美に近付いたキースの表情が徐々に険しくなる。
「由美さん、血が……」
「え?! あ……」
確かに左手の人差し指の先から血が出ている。意識すれば急に痛くなった。由美の隣に座ったキースは、由美の左手を掴み、素早く口を開く。
「すぐに医者を呼ぶ」
「……いや、え、大丈夫。こんなの舐めとけば治るし」
一分後の由美は、これがフラグになってしまったのか、と頭を抱えることになる。
彼は、ゆっくりと由美の人差し指を口元に近付けた。それから彼がその薄い唇をやけに官能的に開いたそのとき、由美は右手でキースのおでこにでこぴんした。
「ばっか。……他人の血ってすんごい危険なんだよ? だめ、だめ」
中学生の頃、保健の授業で習った遠い記憶が蘇る。キースはおでこをさすり、弁明するように、けれど少し拗ねた声で言う。
「……由美さんのだから大丈夫だろうと思った」
「なにその謎理論。……まあ、気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
頷いたキースは、懐からハンカチを取り出して由美に差し出した。ハンカチを受け取り、はたと気付く。手触りがただのハンカチではない。上品な光沢と相まって、思わず血で汚すのを躊躇ってしまった。
キースはそんな由美の右手からハンカチをすっと取り戻した。それから由美の足元に跪く。更に由美の血が出ている人差し指を優しく捕まえて、そっと柔らかに血を拭った。
「痛くないか?」
顔を上げずにそう聞くキースの頭をぼう、と見つめる。まるで自分がお姫様にでもなったみたいだ。彼の控えめな力加減に、なぜだか無性に泣きそうになる。
「ううん。大丈夫。ありがとう」
夢心地な気分を取り払うように、由美はわざと明るい声でそう言った。
「絆創膏を持ってこさせる。……軽食も」
遠慮がちに言ったキースに、由美は、あ、と声を上げた。
「お昼、食べれてないの。だから、がっつり、食べたい……かも」
急に恥ずかしくなって声を落とした由美に、キースはゆるりと頷いた。
「何か希望はあるか?」
「あー……ピザとか」
その返事にキースは電話をし始めた。数分後絆創膏が届き、それからしばらくしてピザ三枚と山盛りのフルーツ、フレッシュなジュースなどが運び込まれてきた。
キースは一度コンピュータの前に戻っていたが、匂いに釣られてか由美の右隣に座った。
「キースも食べるの? というか、よく考えたらこんな量一人で食べきれないね」
「ああ。少しだけ」
そう言ってピザ一切れを口元に運ぶ仕草が妙に上品でしばし見惚れてしまう。
「うまいぞ?」
「あ、うん。……そうだね」
はっとした由美は小さめのピザを一口食べた。伸びるチーズとプチリと弾けるコーンの相性が抜群だ。
「日本は、どういう所なんだ?」
ピザを片手にキースがぼつりと由美に尋ねた。
「んー……。経済とか政治とか、そんなに高尚なことは言えないけど、四季がはっきりとあって、それぞれ美しくて、平和で……なんだろ、伝統的な文化が残っている所は……こう……わびさびっていうのを感じるかな」
「わびさび?」
「うん。……プラス方向に感傷的になるかんじ」
自分で言っていてもこてりと首を傾げてしまう。案の定彼は数拍の沈黙の後、無難な感想に留めた。
「不思議なものだな」
「あーごめんね、わかりづらくて。言葉に出来ないんだよね。……あ! 日本の写真見せてあげるよ。部屋にあるカメラに何枚か入ってると思うし」
ばっと立ち上がった由美を眩しそうに見つめたキースは、そっと手首を掴んで彼女を座らせた。
「冷めないうちに食べろ。……写真はディナーのときにでも見せてくれ」
楽しみにしている、と囁いたキースに、由美はうん、と頷いた。それからピザが無くなるまで会話して、キースは仕事に、由美はお守り作りに戻った。
握り拳半個分程の綿をお守りの形になったフェルトに詰め込んでいく。神社などに売ってあるお守りは、きちんと祈祷された紙や木の板が中に入っているらしい。せめて気持ちは詰め込もうと、綿をぎゅっと握り締めて「頑張れ」と心の中で呟いた。
しっかりと綿を詰めて、ならして、紐を通して片結びにする。きゅっと縛って、ほうと息を吐いた。間に合った。良かった。安堵と達成感が同時に湧き上がってくる。お守りと道具を袋に丁寧に戻して由美は立ち上がった。
「キース。部屋にカメラ取りに行ってくるね」
「ああ」
由美の顔を見ずに返事をしたキースにひらりと手を振って、自室に向かう。机の上に無造作に置いてあるカメラを手に取り、代わりに袋を置いて三十八階に舞い戻った。
「戻ったよー。……寛がせてもらうね」
今度は返事さえなく、キースは手を上げるのみだった。ぽふんとソファに座った由美は、カメラを起動し、履歴を確認する。
桜、風鈴、花火、紅葉、雪だるま、そして、元彼氏に元親友。
ぐっと眉を寄せて忌々しい写真をごっそりと消していく。それから暇を持て余した由美は、キースの背中をじっと見つめた。




