第9話:美術準備室の秘密基地と、手作りリボン
臨時休校が明けた月曜日の朝。
二月の澄み切った青空の向こうには、いつもと変わらず薄い白煙を吐き出す桜島がそびえていた。
だが、登校する生徒たちの風景は、わずか数日前とは決定的に異なっていた。
校門の前には、物々しい警察車両と警備員の姿。
登校してくる生徒たちの中には、身体の一部が微かに発光していたり、やたらと身のこなしが素早くなっていたりと、覚醒による初期パラメーターの変化に戸惑う姿が散見された。
そんな中、私の姿は相変わらず浮きまくっていた。
ブレザーの背中から覗くふさふさの黄金の尻尾。頭の上で周囲のざわめきを拾ってピクピクと動く狐の耳。
先週のようなパニックじみた騒ぎこそ落ち着きを見せ始めていたものの、遠巻きに向けられる好奇の視線とヒソヒソ声は相変わらずだ。
「あーかーねぇぇぇーーっ!」
昇降口を抜けた瞬間、猛然と背後から抱きついてきた温かい塊があった。
丸眼鏡を光らせ、ブレザーのポケットから怪しげなノギスとメジャーを覗かせている親友――サキだ。
「おはようサキ。朝からテンション高すぎ。」
「当たり前でしょ! 休校中の二日間、ずっとスマホとにらめっこして掲示板に張り付いてたんだから! っていうか、休校中RINE送っても『ちょっと忙しい』って返信ばっかりで全然構ってくれなかったじゃん! 何してたのよー!」
「あはは……色々あってね。」
私は苦笑いを浮かべながら、サキの追及を曖昧に受け流した。
兄と二人でキッチンの換気扇をフル回転させ、夜な夜なポーションの量産に励んでいたなんて、廊下のど真ん中で言えるはずもない。
教室に入ると、朝のホームルームのチャイムが鳴った。
教壇に立った担任の先生の表情は、どこか疲労の色が濃かったが、黒板に大きくチョークで文字を書き殴った。
『新カリキュラム:現代魔素概論および基礎適性実習』
「えー、全員席に着け。知っての通り、文部科学省から緊急の学習指導要領改訂案が通達された。今日から週に三コマ、この『ダンジョン共生社会』に向けた特別授業が組み込まれる。」
教室中がざわざわと色めき立つ。
「先生! 具体的に何するんですか!? 魔法の撃ち方とか!?」
男子生徒が身を乗り出して尋ねると、担任は大きなため息をついた。
「バカ言え。そんな危険なことを学校でやれるか。まずは魔素の基礎知識、それから各自のジョブ特性の把握と安全管理だ。……いいか、浮かれるなよ。ステータスが発現したからといって、お前たちは選ばれし勇者になったわけじゃない。怪我をすれば血が出るし、死ねば生き返らない。現実を履き違えるな。」
先生の厳格な釘刺しに、教室の熱気がスッと冷める。
『HPのない世界』。
その残酷なリアリティは、文科省の教育現場にも確実に浸透し始めているようだった。
ダンジョンは夢のテーマパークではなく、一歩間違えれば人類を飲み込む危険地帯なのだ、と。
授業の内容は、ダンジョンから漏れ出す魔素の性質や、覚醒者が社会で果たすべき役割についての座学が中心だった。
先生が教科書代わりのプリントを配る間、私は机の下で、昨晩兄の晃と一緒に作った『低級治癒薬』の小瓶をそっと指先でなぞっていた。
この現実の厳しさを、私はすでに霧島ダンジョンの暗闇の中で、肌で知っている。
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そして、放課後。
「あかね、ちょっと来て!」
終業のチャイムが鳴るや否や、サキが私の手首を掴んで教室の外へと引っ張っていった。
「え、ちょっとサキ!? どこ行くの!?」
「いいからいいから! 最強の作業場を確保したの!」
連れて行かれたのは、特別棟の最奥――使われなくなって久しい、旧校舎の『美術準備室』だった。
埃をかぶった石膏像や絵の具のパレットが積み上げられた薄暗い部屋。だが、部屋の中央の大きな作業机の上だけは綺麗に片付けられ、彫刻刀、精密ドライバー、ピンセット、さらにはどこから調達してきたのか小型の万力や糸車まで並べられていた。
「じゃーん! ここ、美術の先生に頼み込んで『ジョブ実習研究スペース』として正式に許可もらったの!」
サキは誇らしげに胸を張った。
そして、部屋の鍵をカチャリと閉めると、眼鏡の位置を直して真剣な顔で私に向き直った。
「で? 白状しなさい、あかね。……アンタ、休校中に何があったの?」
親友の鋭い眼光。
普段はお気楽なオタク仲間だが、こういう時の勘の良さは侮れない。
私は小さく息を吸い、周囲に誰もいないことを狐耳で確認してから、サキの耳元に顔を寄せた。
「……小声で聞いてね。絶対に、誰にも言っちゃダメだよ。」
「ゴクリ……。」
「実はね……私、自衛隊の人たちと一緒に、霧島ダンジョンに潜ってきたの。」
静寂。
ドサッ、とサキの手からノギスが床に落ちた。
丸眼鏡の奥の目が、限界まで見開かれる。
「……は? ちょ、え? ダンジョン? 霧島の!? あのテレビで立ち入り禁止って言ってた最難関の!?」
「声が大きいってば!」
慌ててサキの口を手で塞ぐ。
サキは私の手をペシッと払い、肩を激しく揺さぶってきた。
「ちょっと待ってアンタ正気!? 生きてる!? 噛まれてない!? 四肢は揃ってる!? なんでそんな命知らずなことしてんのよバカぁっ!!」
「大丈夫、無傷だよ! ほら、この通りピンピンしてるから!」
私がその場でくるりと回って尻尾を振って見せると、サキは胸を押さえてへなへなと椅子に座り込んだ。
「心臓止まるかと思った……。自衛隊の護衛付きって言っても、ダンジョンだよ!? モンスターが出たんでしょ!?」
「うん。角の生えたウサギとか、軽自動車サイズの蜘蛛とか。」
「ヒエッ……!」
「でもね、自衛隊の橘さんと熊倉さんがすごく強くて、私のサポート魔法と索敵で、誰一人怪我せずに第一層を踏破できたの。それでね……これを見てほしいの。」
私は背負っていた通学リュックの底から、厳重にプチプチで包んでいた保存袋を取り出し、作業机の上に広げた。
「これ……何?」
「ダンジョンのドロップ品だよ。私のスキルで手に入れた素材。」
袋の中から現れたのは、淡い燐光を放つ『月光苔』、清涼な芳香を漂わせる『浄魔草』、そして――白銀の糸玉のように美しく輝く『鋼線蜘蛛の糸』だった。
サキの目が、一瞬でオタクから職人のそれへと変わった。
恐る恐る手を伸ばし、ピンセットで蜘蛛の糸を一本だけつまみ上げる。
「な……何これ……? めちゃくちゃ細いのに、全然切れない……! それに、このシルクみたいな手触りと、内側からじんわり温かいこの感覚……。」
サキの目の前に、青い半透明のウィンドウがパッと展開された。
彼女の初期ジョブ【見習い細工師】の鑑定機能が働いたのだ。
『対象』:鋼線蜘蛛の糸(良質)
『素材特性』:超高張力、耐刃、防弾、魔導伝導率(中)
『細工適性』:防具織物、高耐久ワイヤー、魔導装飾品
「……嘘でしょ。防弾チョッキ以上の強度があって、織物として加工できるの……!?」
「うん。サキのジョブ、細工師でしょ? この素材、サキなら何かに加工できるんじゃないかなって思って。」
サキはしばらく絶句していたが、やがてプルプルと肩を震わせ始めた。
そして、顔を上げたその表情は――。
昨日、ポーションを完成させた時の兄・晃と、まったく同じ狂気と歓喜の笑みを浮かべていた。
「あかね……アンタ、神? 女神なの? それともキツネの神様!?」
「えっ、ちょ、サキ!?」
「こんな最高級のファンタジー素材、普通の細工師が一生かかっても手に入らない国宝級じゃないのよ! これを私に弄らせてくれるの!? マジで言ってるの!?」
「う、うん。サキにしか頼めないし……。」
「決まりッ!!」
サキは机をバンと叩いて立ち上がった。
「この美術準備室は、今日から私たち『チーム・あかね』の秘密開発工房よ! あかねがダンジョンで極上の素材を獲ってきて、私が最高のアタッチメントに加工する! これでアンタの専属クラフターの座は私のものね!」
「あはは……頼もしいよ。あ、ちなみにうちの兄ちゃんも【錬金術師】に覚醒してて、昨日自宅でポーション作ったよ。」
「お兄さんも!? あの無駄に顔がいいオタクのお兄さんが!? なんなの笹貫家、生産チートの一族なの!?」
サキは頭を抱えて叫びながらも、手はすでに猛烈なスピードで動き始めていた。
作業机の引き出しから、手芸用の小さな織り機と、特殊な染料、そして金色の留め具を取り出す。
「よし、まずは手始めにこれを作るわ! ずっと気になってたのよ!」
「何を?」
「アンタの耳と尻尾用の、耐魔・防刃アクセサリーよ!」
サキの手元で、鋼線蜘蛛の糸がシャカシャカと心地よい音を立てて紡がれていく。
彼女の指先から、淡い黄色の魔力が糸へと浸透し、繊維同士が信じられない密度で編み込まれていくのが見えた。【見習い細工師】のスキルが、無意識のうちに発動しているのだ。
「あかねの耳と尻尾って、急所なんでしょ? 銃弾やモンスターの爪から守らなきゃいけないのに、防具屋に行っても獣人用の防具なんて売ってないじゃない。だから、私が作るの!」
サキの真剣な横顔。
ただの好奇心や物欲じゃない。
私の命を心配し、危険なダンジョンへ向かう私を、自分の技術で守ろうとしてくれている。
その温かい想いが胸にじんわりと染み込んできて、私の狐耳が嬉しそうにパタパタと揺れた。
わずか三十分後。
サキの華麗な手業によって、一つの小さなアイテムが完成した。
「できたっ! 名付けて――『鋼線蜘蛛の守護リボン(試作一号)』よ!」
サキが誇らしげに掲げたのは、深紅の布地に金色の刺繍が施された、手のひらサイズの上品な和風リボンだった。
中央には、私が持ち帰ったホーンラビットの角を小さく削り出した留め具があしらわれている。
「つけてみて!」
サキに促され、私は左の狐耳の付け根に、パチンとクリップでリボンを装着した。
その瞬間――。
フワッ、と頭の周りに微弱な魔力のシールドが展開される感覚があった。
【万象識別】でリボンを読み取る。
『名称』:鋼線蜘蛛の守護リボン(試作一号)
『品質』:良質(C+ランク)
『製作者』:サキ(見習い細工師)
『効果』:頭部への物理・魔素ダメージを15%軽減。聴覚妨害・音響トラップ耐性付与。
『詳細』:笹貫あかねのために作られた専用装飾品。極細の鋼線蜘蛛糸を高密度で編み込み、可愛らしさと防護性能を極めて高い次元で両立している。
「……すごいよサキ! ちゃんとステータスに効果が出てる! 耳の付け根が守られてる安心感がすごい!」
「ふふん、当然でしょ! しかも見た目も最高に可愛い! 黒髪に赤いリボン、そして狐耳……完璧なビジュアルじゃない!」
サキはスマホを取り出し、私の写真をパシャパシャと連写した。
「はいはい、写真はこれくらいにして。」と苦笑いしつつ、私は鏡に映った自分の姿を見た。
無機質な自衛隊の装備とは違う、友達の手で作られた温かい防具。
これがあれば、次の探索も絶対に乗り越えられる。そんな確信が湧いてきた。
その時、美術準備室の窓の外から、けたたましいサイレンの音が響いてきた。
「……え?」
サキと二人で窓辺に駆け寄り、カーテンの隙間から校門の方を見下ろす。
校門の前に、赤色灯を激しく点滅させたパトカーと、自衛隊の黒塗りの業務車が滑り込んでくるのが見えた。
車から降りてきたのは、険しい表情をした橘一尉だった。
スマートフォンがポケットの中で激しく震える。
画面を見ると、橘一尉からの緊急着信だった。
『あかねさん、至急校門前へ来てください。緊急事態です。』
スピーカーから漏れる橘一尉の声は、これまでにないほど緊迫していた。
『霧島規制区域の第二検問所が、何者かによって突破されました。立ち入り禁止の山中へ、違法な装備を持った集団が侵入しています。……ダンジョン内部で交戦が発生する恐れがあります。』
サキと顔を見合わせる。
日常の学校生活のすぐ裏側で、世界は確実に、歪んだ方向へと加速し始めていた。
「サキ、ごめん。行かなきゃ。」
「……うん。あかね、絶対無茶しないでね。そのリボン、ちゃんとアンタを守ってくれるから!」
「ありがとう、サキ!」
私は新しいリボンをきゅっと指先で確かめ、美術準備室を飛び出した。
未知の探索から、今度は『ダンジョンを巡る人間の欲望』との対峙へ。
私の足取りは、迷うことなく校門の前へと向かっていた。




