第10話:拒絶の門、愚者たちの末路
夕闇が急速に濃くなる国道を、自衛隊の業務車が赤色灯を回しながら猛スピードで駆け抜けていた。
サイレンの甲高い電子音は、窓を締め切った車内にもビリビリと振動を伝えてくる。
助手席の橘一尉は、手元の端末で防衛省と警察庁の暗号通信ラインを睨みつけ、ハンドルを握る熊倉二曹の横顔には普段の豪快な笑みは微塵もなかった。
「橘さん、侵入者の状況は……?」
後部座席で耳につけたばかりの赤い守護リボンを指で押さえながら、私は尋ねた。
制服のブレザーの上から、サキに加工してもらったばかりの鋼線蜘蛛の糸が微かに熱を帯びているのを感じる。
「警察と自衛隊の合同警備線を強行突破したのは、武装した大型バン三台。自称『ダンジョン解放戦線』を名乗る過激派集団です。」
橘一尉が冷徹な声で状況を読み上げる。
「表向きは『ダンジョンの国有化・独占に反対し、全人類への即時開放を求める市民団体』を騙っていますが、実態は違法な魔石投機を目論む海外の闇資本、そして暴力団のフロント企業から資金提供を受けた傭兵崩れの集団です。市販の散弾銃や違法改造銃、催涙ガスを所持し、警備の隙を突いて第二検問所のバリケードを破砕しました。」
「ダンジョンの独占反対、ねえ……。」
熊倉二曹が吐き捨てるように唸った。
「安全が確認できてねえ危険地帯だから隔離してんだってのが、なんで分からねえのかね。誰よりも先に潜って、魔石やらドロップ品やらを根こそぎ奪って闇市場で売り捌く腹積もりなのは見え見えだ。」
「現在、彼らは立ち入り禁止区域を強行突破し、霧島第一ダンジョンのゲート前広場――私たちがベースキャンプを設営している区域へ向かって突入しています。……あかねさん、貴女を現場へ連れて行くのは、万が一彼らが内部へ侵入した場合、ダンジョン深層での追跡・制圧において貴女の索敵能力が必要不可欠と判断されたためです。」
「はい。わかってます。」
私は頷いた。
人を撃つような戦闘には参加できない。けれど、もしあいつらがダンジョンの中で暴れてモンスターを刺激したり、暴走させたりしたら――その被害は麓の霧島市街や、さらには鹿児島市にまで及びかねない。
それだけは、絶対に防がなきゃいけなかった。
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車が急ブレーキとともに前線のベースキャンプの広場へと滑り込んだ。
そこは、数時間前まで整然と機能していたはずの場所だった。
だが今、広場の中央には、フロントグリルをぐしゃぐしゃに大破させた三台の黒いワンボックスカーが乗り捨てられていた。自衛隊の簡易バリケードが押し倒され、路上には威嚇射撃の空薬莢や煙幕の残骸が散乱している。
「橘一尉! 熊倉二曹!」
現場指揮を執っていた警備小隊長が、防護マスクを外して駆け寄ってきた。
「状況は!?」
「それが……!」
小隊長は困惑と戦慄が入り混じった、奇妙な表情を浮かべていた。
「侵入者は総勢十二名。小銃で威嚇しながら本部テントを無視し、そのままダンジョンゲートへと突進しました。われわれが警告射撃を行おうとした矢先……彼らはゲートの前で、全員が勝手に自滅しました。」
「自滅……?」
橘一尉が眉をひそめ、熊倉二曹が目を丸くする。
私たちは小隊長に案内され、青白く発光するダンジョンゲートの直前へと足早に向かった。
そして、その光景を目撃した瞬間、私の狐耳がゾクリと総毛立った。
「……う、あ……あぁ……っ!」
「た、助け……息が……目が、燃える……ッ!」
ゲートの前、わずか数メートルの泥の上に、全身黒ずくめのタクティカルベストを着込んだ男たちが、折り重なるように転がっていた。
違法改造されたライフルや鉄パイプ、大型のダッフルバッグが手からこぼれ落ちている。
男たちは口から泡を吹き、激しく全身を痙攣させ、自らの喉を掻きむしりながら血走った目で虚空を睨みつけていた。何人かはすでに激しい嘔吐を繰り返したあと、白目を剥いて完全に気絶している。
「こいつは……酷い魔素中毒(酔い)だな。」
熊倉二曹が眉をひそめて呟いた。
「それだけではありません。」
研究棟から駆け込んできた赤城燈主任が、白衣のポケットに手を突っ込み、眼鏡を押し上げながら冷然と言い放った。
「霧島ダンジョンは国内最難関。ゲート周辺から噴出する魔素の濃度と圧力は、一般人の肺胞を内部から焼き尽くす猛毒のようなものよ。あかねちゃんの【環境適応】や【霊狐の加護】のような超希少な耐性スキルを持たないレベル1の一般人が、無防備な生身で突っ込めば、数歩歩くだけで三半規管が破壊されて昏倒するのは自明の理よ。」
燈さんは転がっている男の一人を、爪先で小突いた。
男の胸元には、淡い光を放つステータスウィンドウが辛うじて浮かび上がっていたが、その文字は酷くノイズ混じりで歪んでいた。
『名前』:???
『ジョブ』:なし(資格剥奪)
『状態』:拒絶・精神汚濁による過呼吸
「……ジョブが、ない?」
私が呟くと、燈さんがニヤリとマッドな笑みを浮かべてこちらを振り返った。
「そうよ、あかねちゃん。警察庁のデータベースと照合したけれど、この連中は全員、前科持ちや国際指名手配の傭兵たちだったわ。……そして、地球アップデートのシステムが下した審判は明白だった。」
燈さんがゲートを見上げる。
「このファンタジー化をもたらした大いなるシステムはね、単なる無機質なプログラムじゃないのよ。人間の深層意識、魂のあり方を厳密にスキャンしている。他者を害し、法を犯し、暴力を私欲のために振るう『犯罪者』には、そもそもジョブもスキルも与えられない。神聖な魔素の恩恵を受ける資格そのものを剥奪されているのよ。」
「資格剥奪……。」
「ええ。そして決定打は、貴女たちよ。」
「えっ、私たちが?」
驚く私に、橘一尉が神妙な顔で頷きを返した。
「先日、あかねさんと私たちは第一層を踏破し、最深部の『転移の礎』を起動して生還しました。ダンジョンシステムは、私たちが『正規の手順を踏んで攻略した探索者』であることを完全に学習・記録したのです。」
私はゲートの空間の裂け目に【万象識別】の意識を向けた。
すると、視界に浮かび上がったのは、以前とは決定的に異なるゲートのステータスだった。
『対象』:霧島第一ダンジョン・外門
『状態』:統制下(正規攻略者データ同期済み)
『防衛プロトコル』:悪意干渉の検知・自動排除
『入場条件』:適正ステータス保有、および悪意ある略奪・破壊衝動の不保持
「門が……拒絶してる。」
「そうよ。」
燈さんが満足そうに腕を組んだ。
「あかねちゃんたちが正規に地脈を調律し、ポータルと同期したことで、このダンジョンは『秩序ある挑戦者のための試練の場』として固定されたの。そこへ、金儲けと暴力の私欲に塗れた資格なき犯罪者集団が雪崩れ込もうとした。……結果はどうなると思う?」
燈さんが指を鳴らす。
「ダンジョンそのものが、侵入者を『異物』『害虫』と判定して、全力のカウンターショックを叩き込んだのよ。ゲートの表面に張られた見えない拒絶結界に激突して跳ね飛ばされ、同時に濃縮された悪意返しの魔素を浴びせられて、このザマってわけ。」
「う、あ……あがっ……!」
転がっていた解放戦線のリーダー格らしき男が、泥を掴みながら呻き声を上げた。
胸ぐらを掴み上げた熊倉二曹が、冷徹な声で宣告する。
「終わりだ、コソ泥ども。ダンジョンは貴様らのような私利私欲のクズが土足で踏み入っていい場所じゃねえんだよ。」
周囲から警察官と完全武装の隊員たちが駆け寄り、身動きの取れない侵入者たちに次々と手錠をかけて拘束していく。
銃声を一発も交わすことなく、ダンジョン解放戦線の強行侵入は、完全な門前払いで幕を閉じたのだった。
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侵入者たちが護送車へと詰め込まれ、広場に再び静寂が戻る。
赤色灯の光が遠ざかっていくのを眺めながら、私は冷え切った夜空を見上げた。
澄んだ星空の向こうに、うっすらと紫色のオーロラのような魔素の光帯が揺らめいている。
「……少し、怖くなりました。」
ぽつりと漏らした私の言葉に、橘一尉が隣に歩み寄ってきた。
「人間が、ですか?」
「はい。ダンジョンができて、魔法が使えるようになって……すごいって、未知の世界を探検したいってワクワクしてたんですけど。……やっぱり、それを奪い合ったり、悪いことに使おうとする人たちも出てくるんですよね。」
私の頭上の狐耳が、しゅんと力なく垂れ下がる。
力を持つということは、欲望を持つということだ。
今日現れたのは末端のチンピラに過ぎないかもしれないけれど、これからダンジョン資源の価値が世界中に知れ渡っていけば、もっと巨大な、国家や軍隊の欲望が渦巻くことになる。
その時、トン、と私の頭の上に大きな手のひらが置かれた。
熊倉二曹だった。
「心配すんな、お嬢さん。」
不器用な、でも温かい力強さ。
「悪いこと企むやつらがどれだけ群がってこようが、このダンジョンはお前たちみたいな真っ直ぐな奴しか受け入れねえってことが、今日ハッキリ証明されたじゃねえか。それに――、」
熊倉二曹が親指で自分の胸板と、隣の橘一尉を指差した。
「人間の悪意を止めるのは、お嬢さんの仕事じゃねえ。俺たち自衛隊と、警察の仕事だ。お前はただ、お前の大好きな未知の薬草を見つけて、地図を描いて、後ろから俺たちを助けてくれりゃあいい。泥臭い汚れ仕事は、全部大人が引き受けてやるよ。」
「熊倉二曹の言う通りです。」
橘一尉も、静かに微笑んで私の肩に手を添えた。
「貴女のその純粋な知的好奇心と、仲間を守ろうとする優しい心が、この霧島の最難関ダンジョンに認められたのです。私たちは、その誇り高い『最初の探索者』を、全力で守護します。」
「……橘さん、熊倉さん。」
垂れていた耳が、ピンと前を向く。
背中の尻尾が、ふわりと温かい安心感に包まれて小さく揺れた。
サキが作ってくれた耳元の赤いリボンが、夜風に揺れてサラサラと心地よい音を立てる。
私は一人じゃない。
頼れる大人がいて、心配してくれる家族がいて、背中を押してくれる友達がいる。
それなら、どんな困難が待ち受けていようと、私は私のやり方でこのファンタジーの時代を歩んでいける。
「さて! 深刻なお話はおしまいよ、あかねちゃん!」
パンッ、と乾いた拍手の音とともに、赤城燈主任が割り込んできた。
その手には、自衛隊の端末ではなく、何やら分厚い書類ファイルが握られている。
「侵入者たちのドタバタで忘れるところだったわ。第一層の制圧とポータル開通、そしてこの撃退劇のデータ……防衛省のトップ連中が狂喜乱舞してるわよ。あかねちゃん、貴女の功績に対する正式な『報酬』と『権限』の第一弾が、たった今承認されたわ。」
「報酬……ですか?」
「ええ。まず、防衛省特務枠としての特別手当……まあ平たく言えば、高校生が一生遊んで暮らせる桁の報奨金ね。それから――、」
燈さんが悪戯っぽく眼鏡の端を押し上げ、私に一枚のプラスチックカードを差し出した。
漆黒のカードの表面には、金色に輝く八咫鏡の紋章と、私の顔写真、そして太い文字でこう刻まれていた。
『探索者暫定ライセンス:特級(管轄:防衛省・内閣府)』
『登録名:笹貫あかね』
『付帯権限:国内全ダンジョンへの優先入場権、採取素材の非課税・私的利用権』
「特級……ライセンス……!?」
「日本国内で、現時点でこのカードを持ってるのは貴女ただ一人よ。これで貴女は、誰にも文句を言わせず、国家の完全なバックアップのもとで、堂々とダンジョン素材の採取と研究が行えるわ。」
燈さんが私の耳元に顔を寄せ、怪しい笑みを深める。
「さあ、あかねちゃん。第一層のサンプル分析も順調よ。次は……いよいよ、誰も見たことのない『第二層・地下樹海エリア』への本格潜入ね。……私を、もっとゾクゾクさせてちょうだい?」
「ひゃいっ……が、がんばります……!」
マッドな主任の熱烈なプレッシャーに引きつりながらも、私は手渡された黒いカードをしっかりと握りしめた。
黎明期の混乱の中で、日常と非日常は確実に混ざり合い、新しい秩序を作り始めている。
悪意ある者たちを拒絶し、真の探求者にのみ微笑む、未知の迷宮。
その広大なる地下の世界へ向けて、私たちの冒険は、まだ始まったばかりだった。




