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地球はファンタジーにアップデートしました  作者: けろりぬ
第1部:ダンジョン黎明期
11/36

第11話:緑の深淵、広大なる地下樹海

翌日の土曜日。

朝の澄み切った光が、霧島山麓の自衛隊前線のベースキャンプを白く照らしていた。

だが、昨夜までの慌ただしさは跡形もなく、キャンプ内は異様な熱気と、張り詰めた規律に満ちていた。


昨日、『ダンジョン解放戦線』の武装集団が自滅し、警察と警備部隊によって一網打尽にされた事件は、朝の全国ニュースでも速報として大々的に報じられていた。

ただし、発表されたのは「立ち入り規制を破った不法侵入者が、高濃度魔素中毒によりゲート前で行動不能となり全員逮捕された」という事実のみ。

その背後にあった「悪意の検知によるダンジョンの自動排除システム」や、私が正規攻略者としてポータルを起動したことによって防衛線が確立されたという核心部分は、防衛省の強力な情報統制によって完全に伏せられていた。


「おはようございます、あかねさん。ゆうべはよく眠れましたか?」


研究棟の大型天幕の前で出迎えてくれたのは、橘一尉だった。

彼女はすでに完全な戦闘装備を整えていたが、その首元には、私が昨夜渡した『低級治癒薬』の小瓶が、専用の防護ポーチにしっかりと収められているのが見えた。


「はい! 兄ちゃんと一緒にポーションのストックを増やしてたら、ちょっと夜更かししちゃいましたけど……MPも体調も万全です!」


私はピクリと狐耳を立て、元気よく答えた。

左耳の付け根には、昨日サキが美術準備室で作ってくれた『鋼線蜘蛛の守護リボン』がしっかりと留まっている。深紅の布地に金色の刺繍。触れると微かに伝わってくる温かな魔力の膜が、私の後頭部と耳をふわりと包み込んでくれていた。


「よう、お嬢さん! 今日も耳の毛並みが最高だな!」


ドスン、と地響きを立てて現れたのは熊倉二曹だ。

彼もまた、傷一つない黒塗りのタワーシールドを背負い、両手には昨日以上の弾薬を詰め込んだ大型のタクティカルベストを着込んでいる。

そして、その二人の背後から、カタカタとキャスター付きのワゴンを押しながら、白衣の裾をなびかせて赤城燈主任が現れた。

眼鏡の奥の瞳は、今朝も獲物を狙う鷹のようにギラギラと輝いている。


「ふふふ……来たわね、あかねちゃん。昨日の『特級ライセンス』の交付手続き、朝一番で全て完了したわよ。もう貴女を止める法的な壁は何一つ存在しないわ。」

「あ、ありがとうございます、燈さん……。」

「礼には及ばないわ。それより、これから足を踏み入れる『第二層』について、昨夜の第一層ポータルから吸い上げた魔素観測データの解析が完了したの。……覚悟して聞きなさい。」


燈さんが端末を操作すると、ワゴンに載せられたホログラムプロジェクターから、巨大な光の立体映像が空中に投影された。

それは、霧島の地下深くへと伸びる、果てしない螺旋の塔のような図面だった。


「まず、この霧島第一ダンジョンの全体構造よ。……現時点で観測されている最深部は、”地下100層”よ」


「ひゃ、100層……!?」


私は思わず息を呑んだ。

第1話の会見で「人里離れた場所に現れたダンジョン」と聞いたときは、せいぜい数層から十数層程度の地下洞窟をイメージしていたのだ。100層。それはもはや、一つの独立した巨大な地下世界そのものではないか。


「ええ。しかもタチが悪いことに、これは『現時点』の深度に過ぎないわ。ダンジョンは星の地脈から魔素を吸い上げ、自己増殖と拡張を繰り返している形跡がある。今後、時間が経つにつれて100層を超えてさらに成長・深化していく可能性が極めて高いわね。」


燈さんが眼鏡を指先でクイと押し上げる。


「そして、貴女たちが今日挑む『第二層』。……第一層は、言わばダンジョンが人間を試すための『玄関マット』に過ぎなかったのよ。」

「玄関マットって……あんなに広かったのにですか?」

「そうよ。第一層の各フロアなんて、せいぜい体育館やサッカースタジアム程度の広さだったでしょう? ……第二層からは、空間の拡張率が物理法則を完全に無視し始めるわ。第二層に存在する各フロアの広さは、推定で”東京ドーム約20個分”よ。」


「と、東京ドーム20個分……!?」


熊倉二曹が目を見張り、口笛を吹いた。

東京ドーム一個分の建築面積が約4.7ヘクタール。それが20個分となると、およそ1平方キロメートル近く――ちょっとした地方都市の市街地がまるまる地下の一つのフロアに飲み込まれている計算になる。


「しかも、その広大無辺な空間もまた、ダンジョンの活性化に伴ってさらに拡大していく兆候を見せているわ。……そして第二層の環境は、洞窟ではないわ。広大な”地下樹海”よ。」


投影された立体映像が緑色に変化し、鬱蒼とした原生林の断面図を映し出した。


「頭上は数十メートルに及ぶ発光岩盤の天井。地表は巨大な樹木が生い茂る密林。視界は悪く、第一層で出現したホーンラビットやケーブスパイダーに加え、より大型で獰猛な新種モンスター――大蛇や巨大猪の生体反応が複数確認されているわ。さらに、自生している植物そのものがトラップとして機能している。毒胞子を撒き散らすキノコ、接触した生物を麻痺させる帯電蔦……足を踏み外せば、生きて帰ることは困難よ。」


「……まさに、本番ってわけですね。」


橘一尉が静かに呟いた。その声には、武者震いのような鋭い響きが含まれていた。


「ええ。けれど、危険ばかりではないわ。」


燈さんは不敵に口元を吊り上げ、画面を切り替えた。

そこに表示されたのは、古びた宝箱のアイコンだった。


「極めて低確率だけれど、ダンジョン内には自然発生する『宝箱』が存在することが、旭川や美濃の先行調査でも確認され始めたわ。八咫鏡の託宣データと照合した結果、宝箱はその外装の材質によって明確なレアリティが定められていることが判明しているの。」


画面に、六つの箱のアイコンが左から右へと並べられる。


『木製(コモン)』:初級の薬草、極小魔石、日用品

『鉄製(アンコモン)』:基礎的な武具、中級素材、まとまった魔石

『銅製(レア)』:特殊な魔導具、希少な鉱石、上級ポーション

『銀製(スーパーレア)』:強力な付加魔法付き武具、高純度魔石、未知の遺物

『金製(ウルトラレア)』:神話級の触媒、国家機密レベルのアーティファクト

『プラチナ製(レジェンダリー)』:惑星の理を揺るがす奇跡の遺産


「木、鉄、銅、銀、金、そしてプラチナ……。完全にRPGの文脈じゃないですか。」


私の言葉に、燈さんは「その通りよ。」と頷いた。


「システムが地球のオタク文化を学習したのか、あるいは人類の神話体系がシステムの原初形態を模倣していたのかは定かではないけれどね。……あかねちゃんの【万象識別】と【幸運】があれば、極上の宝箱を引き当てられるかもしれないわ。もちろん、生きて持ち帰ることが絶対条件だけどね。」


「了解しました。……行きましょう、橘さん、熊倉さん。」


私は背中のリュックを背負い直した。

中には、兄と一緒に作った『低級治癒薬』が五本、サキに補強してもらった採取道具、そして新しい白紙のスケッチブック。

未知の樹海、東京ドーム20個分の広さ、そして見たこともない宝箱。

恐怖よりも遥かに強く、オタクとしての探求心が全身の血を熱く滾らせていた。


「よし、第二層先行偵察任務、開始する!」


橘一尉の号令が響き、私たちは第一層のゲートへと足を踏み入れた。


---


第一層の入口ゲートをくぐり、昨日起動したばかりの『転移の礎(ポータル)』に手を触れる。

視界が青白い光に包まれ、次の瞬間には、第一層の最奥――第5フロアの神殿へと一瞬で転移していた。

何時間もかけて歩いた道のりを、文字通り一秒でスキップする感覚。これだけでも、ポータルの凄まじい価値が身に沁みる。


神殿の奥、ぽっかりと口を開けていた巨大な石造りの螺旋階段。

私たちは警戒を密にしながら、一段一段、地下深くへと降りていった。


螺旋階段を下るにつれて、洞窟特有の乾燥した岩の匂いが薄れ、代わりに濃厚な青葉の匂いと、腐葉土の甘く重い香りが鼻腔を満たし始めた。

遠くから、ザーッ……という風が木々を揺らすようなざわめきが聞こえてくる。地下深くであるはずなのに、風が吹いているのだ。


そして、最後の段を降り立ち、視界が開けた瞬間――。


「……う、そでしょ……。」


私の口から、呆然とした呟きが漏れた。

隣に立つ熊倉二曹が、持っていたタワーシールドを取り落としそうになりながら上を見上げる。


「おいおいおい……これが、地下だっていうのかよ……!?」


そこは、言葉通りの『世界』だった。

天井は遥か五十メートル以上の上空にあり、そこには無数の青白い発光岩盤が、まるで夜空の星々や天の川のように張り巡らされていた。

その柔らかな青白い光に照らし出されているのは、地平線の彼方まで続く、見渡す限りの鬱蒼とした大森林。


樹齢数百年はあろうかという巨木が立ち並び、樹冠は複雑に絡み合って緑の屋根を作っている。

幹の太さがダンプカーほどもある巨木の表面には、鮮やかな燐光を放つ苔やシダ植物がびっしりと群生し、木々の間を冷涼な魔素の風が吹き抜けていた。


「東京ドーム20個分……数字では聞いていましたが、実際に目にすると圧倒されますね。」


橘一尉が小銃を胸元に引きつけ、油断なく周囲の巨木の根元をスキャンする。

見渡す限りの緑、緑、緑。

足元には、ふかふかとした腐葉土が敷き詰められ、踏みしめるたびに靴底から微かな魔素の粒子が立ち上る。


「あかねさん、索敵を。【地脈感応】で何か掴めますか?」


「……はい、やってみます。」


私は深呼吸をし、大木の一本にそっと右手を触れさせた。

同時に、頭の上の狐耳をピンと立て、意識を足裏から広大な樹海の地下へと沈めていく。


【地脈感応】。


ズズズズズ……ッ!

脳裏に流れ込んできた情報量の膨大さに、私は思わず「くっ……!」と呻き声を上げてこめかみを押さえた。

第一層の洞窟とは、次元が違っていた。

木々の根、地下水脈、腐葉土の層、そして空間を満たす魔素の奔流。

すべてが複雑怪奇に絡み合い、まるで巨大な生きた迷宮の内臓を覗き込んでいるかのような感覚。


「あかねさん!?」

「だ、大丈夫です……! ちょっと情報が多すぎて酔いそうになっただけです……。」


私は息を整え、焦点を絞り込んだ。

広大すぎる樹海の全体を一気に捉えるのは無理だ。自分たちを中心とした半径数百メートルの範囲に索敵の解像度を集中させる。

すると、立体マップの輪郭が徐々にクリアになっていった。


「……見えました。私たちの現在地は、第二層・第1フロアの最北端です。ここから南に向かって、緩やかな下り傾斜が続いています。そして……、」


私の狐耳が、風の音に混じる複数の異質な生体反応をキャッチした。


「モンスターの気配があります。前方八十メートル、密集した巨木の陰に……第一層の角ウサギ(ホーンラビット)が三頭。でも、第一層のやつらより魔力の反応が二回り大きいです。」

「やはり、階層が進んだことで個体のステータスが底上げされているようだな。」


熊倉二曹がシールドを構え直し、首の骨をゴキリと鳴らした。


「それと、橘さん、熊倉さん。モンスターだけじゃありません。……足元と頭上に気をつけてください。」


私は足元の腐葉土から生えている、奇妙なキノコを指差した。

高さ三十センチほど。傘の表面が毒々しい紫色と黄色の斑点模様で覆われ、微かに呼吸するようにペコペコと脈動している。


【万象識別】。


『名称』:紫斑毒胞子茸(しはんどくほうしたけ)

『分類』:環境トラップ/菌類

『特性』:振動感知、広域毒散布

『詳細』:半径三メートル以内に一定以上の振動や物理的接触を感知すると、傘を破裂させて高濃度の神経毒胞子を全方位に噴出する。吸い込むと激しい呼吸困難と運動麻痺を引き起こす。

『採取方法』:根元の菌糸を傷つけず、熱を与えずに採取ナイフで慎重に刈り取ることで、高品質な毒薬の触媒として回収可能。


「うわ……踏んだら即アウトの地雷キノコです。」

「地雷キノコだと……!?」


熊倉二曹が慌てて足を引っ込めた。そのブーツのわずか十センチ先に、もう一本の紫色のキノコが生えていたのだ。


「さらに、頭上のあの蔦……、」


私が見上げた先、巨木の太い枝からカーテンのように垂れ下がっている、青白い筋の入った黒いツタ植物。


『名称』:雷紋絡繰蔦(らいもんからくりづた)

『分類』:環境トラップ/植物

『特性』:接触帯電、自動巻き付き

『詳細』:生物の体温や魔素を感知すると、獲物に瞬時に巻き付き、体内に蓄積された電撃を一気に放出して感電死させる。絶縁性の手袋で切り離せば、雷属性の魔導繊維として利用可能。


「触れば感電、踏めば毒胞子……。まさに天然の要塞ですね。」


橘一尉が冷徹に呟いた。

軍事的な視点で見れば、これほど侵入者を阻むのに適した地形はない。

だが、私――オタク兼採取専門サポーターの視点は、全く別の方向を向いていた。


「……でも、これ、全部『素材』ですよ。」

「え?」

「この毒キノコ、慎重に根元から刈り取れば、燈さんの研究室で麻酔薬や解毒薬の材料になります。それにあの帯電するツタ、サキに見せたら絶対に強力なスタン装備や防具の補強材に加工できます!」


私はリュックから、園芸用スコップと精密ピンセット、そしてサキが持たせてくれた絶縁ゴムコーティングの手袋を取り出した。

恐怖よりも先に、採取欲が両手を動かしていた。


「あかねさん、まずは安全の確保が先です。前方のホーンラビット三頭を排除してから――」

「あ、それなら一石二鳥の作戦があります!」


私はニヤリと悪戯っぽく笑った。

頭の中の立体マップには、前方の角ウサギたちの巡回ルートと、この『毒胞子茸』の群生ポイントが完璧に重なり合っていたのだ。


「熊倉さん、あのウサギたちに向けて、少しだけ右に角度をつけて【挑発の咆哮】を撃てますか? 私たちの正面ではなく、あそこの倒木の間を通るように誘導したいんです。」

「あん? 倒木の間……? ああ、なるほどな!」


熊倉二曹は私の意図を即座に察知し、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。

タワーシールドを構え、巨木の間から姿を覗かせると、深呼吸をして喉を震わせる。


「――オラァッ!! 獲物はここだぞ、クソウサギ共ッ!!」


【挑発の咆哮】!

赤い衝撃波が巨木の間を縫って森の奥へと突き抜けた。


キィィィッ!

茂みの奥から、第一層の個体よりも一回り巨大な――体長一・五メートルほどもある獰猛な角ウサギ三頭が、赤い目を血走らせて飛び出してきた。

額の黒い螺旋角はより太く、鋭利に研ぎ澄まされている。

三頭は熊倉二曹のヘイトに釣られ、最短ルートである倒木と巨木の狭い隙間へと猛然と雪崩れ込んできた。


その足元には――びっしりと群生した『紫斑毒胞子茸』。


ボフッ! ボフッ! ボカンッ!!


ウサギたちの乱暴な足音が地面を叩いた瞬間、無数の紫のキノコが一斉に炸裂した。

紫色の濃厚な毒煙が、濃密なカーテンのように狭い通路を満たす。


キィッ!? ギチッ、ギャアアッ!?


勢いよく突進していた三頭が、突然の毒の煙をまともに吸い込み、泡を吹いてその場に激しく転倒した。

猛烈な神経毒がウサギたちの頑強な肉体を瞬時に冒し、手足をガクガクと痙攣させて動けなくなる。


「環境トラップをそのまま敵の罠に利用するとは……お見事です!」


橘一尉が素早く飛び出した。

【クイックスプリント】で風のように間合いを詰め、小銃を構える。


「【精密射撃】――【徹甲撃】」


タアンッ! タアンッ! タアンッ!


抑制された三連射。

毒で身動きの取れないウサギたちの眉間へ、魔素を帯びた徹甲弾が吸い込まれるように撃ち込まれた。

分厚い頭蓋骨が砕け散る鈍い音。

三頭の巨大角ウサギは、反撃の隙すら与えられず、一瞬にして光の粒子へと分解されて霧散していった。


サラサラサラ……と青白い光が樹海の大地に溶けていく。

そして、その足元には――。


カラン、コロン。


漆黒の角、真っ白な極上の毛皮、そして第一層のものより一回り大きな『小魔石』が、それぞれ三つずつ、綺麗にドロップしていた。


『パッシブスキル:【万象解体】適用。』

『ドロップ率補正:+30%(確定ドロップ成功)』

『素材品質:上質(B−ランク)へ昇格。』


「よしっ! 弾薬の消費も最小限、トラップの排除も完了です!」


私は駆け寄り、保存袋に素材を手際よく回収した。

さらに、炸裂せずに残っていた無傷の毒胞子茸の根元をナイフで慎重に切り取り、密閉容器へと収めていく。


「がはは! まるで熟練の罠猟師だな、お嬢さん!」

「ふふ、敵の進路にトラップを仕掛けてハメるのは、タワーディフェンス系ゲームの基本ですから!」


私が狐耳を揺らして胸を張ると、橘一尉も小銃に新たな弾倉を装填しながら、感心したようにため息をついた。


「敵の戦力と環境を同時に無力化し、素材まで回収する……。あかねさんと組んでいると、戦術の教科書を書き換える必要性を痛感しますね。」


私たちはそのまま、樹海を南へと進んでいった。

鬱蒼とした森の中を、私はスケッチブックを片手にマッピングしながら歩く。

巨木の配置、危険な植物の群生エリア、そして頭上の発光岩盤の配置。

私の描く地図によって、未知の密林が少しずつ、人類の安全な航路へと書き換えられていく。


だが――第二層の洗礼は、これだけで終わるはずがなかった。


---


第1フロアを進み始めてから約一時間。

東京ドーム数個分はあろうかという距離を踏破し、森の木々が一段と巨大化し、薄暗い湿地帯へと差し掛かった時のことだった。


ピクンッ……!


私の左耳――サキの守護リボンが結ばれた耳が、これまで一度も感じたことのない、強烈な重圧を捉えて激しく痙攣した。


足元の腐葉土から伝わってくる地脈の波形が、まるで大津波の前の引き潮のように、一点に向かって急速に収縮していく。


「……止まってッ!!」


私の悲痛な叫びに、二人が反射的に急停止した。

熊倉二曹がタワーシールドを構え、橘一尉が私の前に滑り込む。


「あかねさん、何が――」

「来ます……! これまでと規模が違います! デカい……とにかく、デカいのが二つ!!」


私の視界の中の立体マップ。

前方五十メートル、鬱蒼とした大木の天蓋の上。

そして、左手の湿地帯の泥の中。

二つの巨大な魔力反応が、信じられない速度で私たちを挟み撃ちにするように急接近していた。


ズズズズズズ……ッ!


大地が揺れた。

湿地帯の泥が爆発するように吹き飛び、そこから現れたのは、巨大な丸太のような漆黒の胴体だった。

全長十メートルはあろうかという、禍々しい大蛇。

その鱗は鋼鉄の鎧のように鈍い光を放ち、頭部には三対の紅い単眼がギラギラと蠢いている。


【万象識別】!


『種族』:フォレストパイソン(樹海大蛇)

『危険度』:Eランク(中級上位)

『特性』:強靭締め上げ、麻痺毒牙、擬態迷彩

『弱点』:喉元の逆鱗(魔素コア)、電撃属性


「大蛇……! なんてサイズだ!」

熊倉二曹が息を呑んだ、その瞬間――!


頭上の天蓋を突き破り、轟音とともに何かが降ってきた。


ドガァァァァンッ!!


数トンの土砂と倒木が吹き荒れ、私たちの視界を塞ぐ。

土煙の向こうから現れたのは、軽トラックを遥かに凌駕する巨躯を誇る、全身を岩のような剛毛で覆われた巨大な猪だった。

その口元からは、湾曲した白銀の牙が四本、まるで重機のショベルのように突き出している。


『種族』:アイアンタスク(鉄牙巨猪)

『危険度』:Eランク(中級上位)

『特性』:超突進、岩石外殻、ノックバック無効

『弱点』:鼻先、および四肢の関節


「グルオオオオオオッッ!!」

「シャアアアアッッ!!」


猪の地響きのような咆哮と、大蛇の耳をつんざく威嚇音が、樹海をビリビリと震わせた。

Eランク中級上位。第一層のボスに匹敵しかねない脅威度のモンスターが、同時に二体!


「挟撃だと……!?」

橘一尉の顔に、初めて焦りの色が浮かんだ。

「熊倉二曹、猪を抑えられますか!?」

「やってやるが……あの質量を受け止めたら、シールドごと吹き飛ばされるかもしれん!」


熊倉二曹の額に脂汗が流れる。

相手は重戦車のような巨猪と、死角から絡め取ろうとする大蛇。

どちらか一方に気を取られれば、もう一方が後衛の私を確実に食い殺す。

HPのない世界。あの大蛇に巻き付かれれば骨が粉々に砕け、あの猪に跳ね飛ばされれば即死だ。


絶体絶命。

だが、その極限の恐怖の中で、私のオタク脳は信じられないほど冷静に回転していた。


(落ち着け、笹貫あかね。焦るな。情報を読め。弱点は何だ? 環境は何がある?)


私は頭上の木々を見上げた。

そこには、先ほど採取を諦めた、青白い筋の入った黒いツタ――『雷紋絡繰蔦』が、網の目のように何十本も垂れ下がっている。

そして、大蛇の弱点は『電撃属性』。

猪の足元は、水分をたっぷり含んだ『泥炭湿地』。


「……橘さん! 熊倉さん! 私の指示を信じてください!」

私の鋭い声に、二人がハッと息を呑んだ。


「熊倉さん、猪を受け止めないでください! 突進の直前で【クイックスプリント】……じゃなくて、横へ跳んで躱してください!」

「なにっ!? 躱したら後ろのお嬢さんに直撃するぞ!」

「大丈夫です! 私は結界で耐えます! 橘さんは、大蛇の頭上……あの黒いツタの束を狙ってください!」


「ツタを……!? 了解!」

橘一尉には、もう何の迷いもなかった。


「ブモオオオオッッ!!」


アイアンタスクの蹄が大地を爆砕した。

時速八十キロを超える猛烈な突進。大木を何本も薙ぎ倒しながら、白銀の四本牙が一直線に私たちめがけて迫る。

死の壁が迫るような圧倒的な威圧感。


「今だ、熊倉二曹ッ!!」

「くそったれがあああっ!!」


激突のコンマ五秒前、熊倉二曹が横の泥炭へと決死のダイブを敢行した。

突進の射線上に、完全に無防備な私の姿が晒される。


「グルアッ!?」

獲物が逃げなかったことに狂喜した猪が、首を跳ね上げて私を串刺しにしようと突進速度を一段引き上げた。

距離、わずか三メートル!


「【結界】――全出力・斜角展開ッ!!」


カキィィィィンッッ!!


私の体内のMPが、一気に80ポイント吹き飛んだ。

だが、私は正面に壁を作らなかった。

猪の突進軌道に対し、”四十五度の角度をつけた滑り台のような傾斜結界”を地面から立ち上げたのだ!


ドガアアアアッッ!!


正面衝突ではない。

猪の突進エネルギーは、傾斜した光の坂道によって真上へと跳ね上げられた。

結界の表面をガリガリと削りながら、数トンの巨躯が宙へとカタパルトのように射出される。


「ブモッ!? ガ、ブヒィッ!?」

宙を舞い、空中で無様に足をバタつかせる巨猪。


そして、その落下地点の直下には――獲物を横取りしようと鎌首をもたげていた、大蛇の頭部があった!


「橘さん、今ですッ!!」

「貫け――【徹甲撃】!!」


タアンッ!


橘一尉の放った魔導徹甲弾が、頭上に垂れ下がっていた『雷紋絡繰蔦』の巨大な結び目を完璧に撃ち抜いた。

ブチリと千切れた数十本の帯電ツタが、落下の衝撃とともに、宙から落ちてきた巨猪と、それを見上げた大蛇の頭上へと網のように降り注ぐ!


バチバチバチッ! ドゴォォォォォンッッ!!


「ギャアアアアッッ!?」

「シャアアアアッッ!!」


数トンの猪が、大蛇の頭部を押し潰すように直撃。

さらに、二頭の体温と魔素に反応した『雷紋絡繰蔦』が一斉に活性化し、高圧電流を放出したのだ。

湿地帯の泥水が導線となり、青白い激しい放電が二頭の巨躯を包み込む。

大蛇は弱点である超高圧の電撃に焼かれて激しくのたうち回り、猪は落下の衝撃と麻痺で白目を剥いて痙攣した。


完璧な同士討ち、そして環境トラップによる完全な無力化。


「す、すげえ……! 結界を跳び箱にして敵同士をぶつけやがった……!」

泥だらけで立ち上がった熊倉二曹が、呆然と叫んだ。


「熊倉二曹、呆けている暇はありません! 確実に息の根を止めます!」

「おうよッ! 【ヘビーチャージ】!!」


橘一尉の正確無比な連射が、麻痺した大蛇の喉元の逆鱗――露出した魔素コアを撃ち抜く。

同時に、熊倉二曹の渾身のシールドスタンプが、身動きの取れない猪の鼻先へと炸裂した。


ズドォォォォンッ!!


二つの巨大な咆哮が重なり合い、そして――霧散した。

十メートルを超える大蛇と、軽トラサイズの巨猪の身体が、息を呑むほど膨大な光の粒子へと変わり、樹海を昼間のように照らし出した。


光の吹雪。

幻想的な光のシャワーが降り注ぐ中、私の頭の奥で、再び澄んだ鐘の音が鳴り響いた。


『――経験値が一定値に達しました』

『笹貫あかねのレベルが【3】に上昇しました』

『橘玲香のレベルが【3】に上昇しました』

『熊倉剛のレベルが【3】に上昇しました』

『MPの最大値が上昇しました:260 → 330』

『スキル【妖術】が【妖術(中級)】へ進化しました』


「はぁ……はぁ……っ!」


私はその場にへたり込んだ。

全身の毛穴から汗が噴き出している。けれど、レベルアップの心地よい魔力の奔流が、疲労を急速に癒やしてくれた。


「あかねさん……!」

橘一尉が駆け寄り、私の身体を抱き起こしてくれた。その瞳には、深い敬意と驚愕が満ちていた。

「怪我はありませんか? 痛むところは?」

「はい……大丈夫です。結界の角度を逸らしたので、衝撃は逃がせました……!」

「がははっ! お嬢さん、お前ホントに女子高生か!? あの突進をジャンプ台にして敵の上に落とすなんて、どんな発想力してんだよ!」


熊倉二曹が泥だらけの顔で大笑いした。

三人で顔を見合わせ、泥だらけの姿に思わず笑いがこぼれる。

そして、光の粒子が完全に晴れた地面を見て、私たちは言葉を失った。


大量の素材。

大蛇の鋼鉄のような黒鱗の束、猛毒を含んだ牙、巨猪の頑強な四本の白銀牙、そして拳骨ほどもある美しい『中魔石』が二つ。

だが――それだけではなかった。


二頭が消滅した、まさにその中心部。

泥炭が押し固められた大地の窪みに、それは静かに鎮座していた。


「……あ」


私の声が漏れた。

橘一尉と熊倉二曹が息を呑む。


そこにあったのは、幅六十センチほどの、頑丈な金属で覆われた箱。

赤みを帯びた重厚な金属光沢――青白い木漏れ日を浴びて、鈍く、だが確かに気品ある輝きを放っている。


木製ではない。鉄製でもない。


「……銅」


熊倉二曹がゴクリと喉を鳴らした。


「銅の……宝箱だ……!」


燈さんが言っていた、レアリティ表。

木(コモン)、鉄(アンコモン)を飛び越えた、』第三位階・銅製(レア)の宝箱』。


「出る確率、数パーセントって言ってましたよね……?」

私の震える問いに、橘一尉が慎重に銃口を下げながら頷いた。


「ええ。Eランクの中級上位個体を二体同時に、しかも完勝で撃破したことによるボーナス……あるいは、あかねさんの称号とスキルが引き寄せた奇跡かもしれません。」


私は立ち上がり、泥を払って宝箱へと歩み寄った。

頭の上の狐耳が、宝箱の表面から漏れ出る甘い魔素の香りを捉えてピクリと動く。

サキの作ってくれたリボンが、微かに共鳴するように熱を帯びていた。


しゃがみ込み、銅の蓋にそっと指先を触れさせる。

【万象識別】を発動する。


『名称』:樹海の銅宝箱

『トラップ判定』:なし(安全)

『品質』:レア(希少)

『施錠状態』:解除済み


「罠はありません……開けますね。」


二人が固唾を呑んで見守る中、私は銅の留め金に手をかけ、ゆっくりと重い蓋を持ち上げた。


キィィィ……と、静かな金属音が樹海に響く。

中から溢れ出たのは、目も眩むような眩い金色の光だった。


広大なる第二層、その深淵の入り口で。

私たちは、ファンタジーがもたらした真の『宝』と、ついに巡り合おうとしていた。


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