↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地球はファンタジーにアップデートしました  作者: けろりぬ
第1部:ダンジョン黎明期
23/36

第23話:美濃の大河と、湿原の小さな奇跡

月曜日の朝。

澄み渡る岐阜の青空のもと、美濃中央ゲートの熱気は前日にも増して高まっていた。

一般開放二日目。平日であるにもかかわらず、有給休暇を駆使した社会人や大学生、専業探索者を目指す者たちが、早朝から列をなしている。


「あかね、忘れ物はない? ブローチの魔力循環よし、アンクレットの留め具よし! これで酸も泥もへっちゃらよ!」

ホテルのエントランスで、見送りのサキが私の装備を念入りにチェックし、満足げに親指を立てた。

「ありがとう、サキ! ホテルでの留守番、よろしくね。」

「任せなさい! 昨日採ってきた銀斑鈴蘭を乾燥させて、兄貴直伝のレシピで高級アロマオイルの試作に入っとくわ!」


サキに見送られ、私と橘一尉、熊倉二曹の三人は、特務専用ゲートをくぐって美濃ダンジョン第1層へと再突入した。


実は、東京都23区丸ごと分という広大無辺な第1層において、”第2層へと降りる大階段は、エントリーゲートから本道を歩いてわずか一時間ほどの距離”に位置していた。

自衛隊の先行工兵部隊が敷設した仮設舗装路と黄色い誘導ロープが最短ルートを真っ直ぐに貫いており、道迷いの危険なく安全に階段まで辿り着けるよう設計されているのだ。


「自衛隊の開拓スピードには毎度恐れ入るぜ。こんな立派な道まで作っちまって。」

熊倉二曹がタワーシールドを背負い、アスファルトのように踏み固められた道をスタスタと歩く。

「これなら、第1層のモンスターに慣れた一般の探索者たちも、すんなり第2層へ挑戦できますね。」

橘一尉も周囲を油断なく見渡しながら歩調を合わせる。


道中、すでに第1層のスライム狩りや薬草摘みで自信をつけたらしい、数組の一般探索者パーティーとすれ違った。

彼らは私の白無垢巫女装束と頭の上の狐耳に気づくと、「あ、あかねちゃん!?」「おはようございます!」「今日も頑張ってください!」と口々に手を振ってくれた。

私も「おはようございます! 無理しないでくださいね!」と笑顔で手を振り返す。

殺伐とした空気はどこにもない。ここは、人類が初めて手に入れた「共生」のフロンティアなのだ。


平坦な一本道を歩くこと五十分。

緑の絨毯の向こうに、古代ギリシャの列柱を思わせる白亜のアーチと、地下深くへと緩やかに下る幅十メートル以上の大階段が現れた。

第2層への入り口だ。階段の周囲にはJDAの検問所が設けられ、職員が常駐して探索者のダンジョン証をチェックしていた。


「あかね特務探索員、橘一尉、熊倉二曹。ご苦労様です! 第2層への入場、認証完了しました!」

敬礼で見送られ、私たちは大階段を一歩一歩下っていった。


---


階段の最後の段を降り立ち、視界が開けた瞬間、肌を撫でたのは第1層よりも一段と湿り気を帯びた、みずみずしい風だった。


「……おお、水音が聞こえるな。」

熊倉二曹が耳を澄ませる。

遠くから、サラサラ……ゴボゴボ……と、大河が雄大に流れる音が響いていた。


第2層の環境も、基本は第1層と同じく温暖な大草原だ。

だが、視界の奥を眺めると、草原の緑はより濃く深まり、無数の水路や小川が網の目のように大地を這い回っていた。

そして地平線の彼方、視界の中央を東西に真っ二つに分断するようにして、川幅数百メートルはあろうかという巨大な大河――『美濃大河』が、青く煌めきながら横たわっている。

川の向こう岸には、霧煙る広大な湿地帯と葦原(あしはら)が果てしなく広がり、さらにその先、第3層へ続く階段があるはずだった。


「さて、ブリーフィング通り、”本日の目標地点はこの『中央の大河』の河原まで”とします。」

橘一尉が手元の端末を操作し、立体マップを投影しながら確認する。

「第3層へと続く下り階段は川を越えた湿地帯の最深部にあり、ここからノンストップで歩いても丸一日以上を要します。私たちは今夜の新幹線で鹿児島へ帰還するスケジュールですから、深追いは厳禁です。」


「はい! 大河の手前まででも、十分すぎる広さがありますもんね!」

私は元気に頷いた。

美濃ダンジョンは霧島と異なり、”10階層ごとにフロアボスが鎮座する構造”になっている。

つまり、第1層から第9層まではボスが存在せず、純粋な探索と素材収集に専念できるのだ。今回はボス戦のプレッシャーもなく、心ゆくまで未知の自然と触れ合える。


「それにしても……あかねさん、足元が随分と軽やかですね。」

橘一尉が私の足首に視線を落とし、微笑んだ。


「ふふ、サキが作ってくれた『緑風の鈴音アンクレット』のおかげです!」

私はトントンと、水気を多く含んだ柔らかい草原の上でステップを踏んでみせた。

本来なら足先がズブズブと沈み込み、泥水が跳ねるような湿った土壌。

だが、アンクレットから放たれる微細な風の魔素が、私の靴底と大地の間にクッションを作り、まるで乾いた芝生の上を走っているかのように抵抗なく跳ね回ることができた。


「よしっ、索敵と鑑定を開始します! 【地脈統御】!」


私はしゃがみ込み、水路の脇の土に右手を当てた。

頭の上の狐耳をピンと立て、意識を大地の水脈へと溶け込ませていく。

霧島での過酷な死闘を経て、私の探査スキルは【地脈統御】へと進化している。

大地の起伏だけでなく、水流の速度、地下の泥炭層の深さ、そして植物が吸い上げている魔素の波長までが、鮮明な情報となって脳裏を埋め尽くした。


「……すごい、やっぱり第1層とは植生が全然違う!」

私の目がキラリと輝いた。

「橘さん、熊倉さん、すぐそこの水路の浅瀬を見てください!」


私が駆け寄ったのは、膝下ほどの深さの澄んだ小川。

川底の小石の隙間に、淡い青紫色の光を放ちながら揺らめく、細長い水草の群生があった。


【万象識別】!


『名称』:紫水仙草(しすいせんそう)

『品質』:上質(B+ランク)

『分類』:水生霊草/解毒・冷却・精神安定

『詳細』:第2層の清らかな水流でのみ育つ希少な水草。周囲の水を自ら浄化する特性を持つ。乾燥させて煎じることで、重度の熱病や火傷、魔素熱を即座に鎮静化させる『冷却解熱薬』の主原料となる。


「水生薬草……! しかも解毒と火傷に効く上物です!」

私は巫女装束の袖をたすき掛けで縛り、素早く園芸用スコップを川底へと差し入れた。

清らかな水が跳ねるが、サキの巫女服は水を一切吸わず、水滴を玉のように弾き返す。


『パッシブスキル:【万象解体】適用。』

『最高純度(Aランク)で採取成功。』


「とれたぁ! 一株も傷つけずに引っこ抜けました!」

「がはは! さすがは名人芸! 川底の草まで瞬時に見抜くたぁ恐れ入るぜ!」

熊倉二曹が感心して見守る中、私は採取した紫水仙草を次々とアイテムボックスの中へと吸い込ませていった。


さらに、小川の岸辺の黒々とした泥炭層に目を凝らすと、そこには黒檀のように滑らかな、奇妙な塊がいくつも顔を出していた。


『名称』:美濃黒泥炭(みのぐろでいたん)

『品質』:良質(Bランク)

『分類』:土壌資源/超高熱源燃料・魔導触媒

『特性』:無煙完全燃焼、高カロリー保持

『詳細』:数千年の魔素が凝縮した泥炭。乾燥させることで、石炭の五倍以上の熱量を無煙で放出し続ける極上の製錬用燃料となる。また、陶芸や耐熱レンガの原料としても最高峰。


「燃料用の黒泥炭……!? これ、石炭の五倍の熱量が出るって書いてあります!」

「なっ……! 無煙で石炭の五倍の熱量だと!?」

橘一尉が息を呑み、即座に手帳にメモを取った。

「現在、国内の製鉄所やガラス工房がダンジョン素材の加工温度を上げられずに苦慮しています。この黒泥炭があれば、超高熱を必要とする特殊合金の精錬が一気に実用化へ進みますよ!」


「熊倉さん、スコップだと崩れちゃうので、大きく四角く切り出してもらえますか!?」

「おうよ! 工兵スコップの出番だな、ブロック状に切り出してやるぜ!」

熊倉二曹が大型スコップを泥炭層にズブリと突き立て、レンガ大の黒泥炭を次々と掘り起こしていく。

それを私が片っ端からアイテムボックスへ放り込む。

重量ゼロ、容量四千百リットル。どれだけ重い泥炭の塊だろうと、私の足取りには羽毛一本分の負担すら生じない。

まさに、歩く資源回収重機だった。


---


大河を目指して南下する道中、私たちは第1層よりも一段階手強くなったモンスターたちとも遭遇した。


水路の泥の中から突如として飛び出してきたのは、ドッジボール大の、鮮やかな黄緑色をしたスライムだった。

表面がブツブツと泡立ち、鼻をつくツンとした刺激臭を放っている。


『種族』:アシッドスライム(強酸粘液体)

『危険度』:Eランク

『特性』:強酸溶解液射出、打撃耐性

『弱点』:火属性攻撃、中心の魔核


ピュッ! ピュッ!

アシッドスライムが身体を縮ませ、目にも留まらぬ速さで強酸の塊を連射してきた。

金属をもジュウジュウと溶かす危険な溶解液。


だが――。

「【堅守の構え】!」

熊倉二曹の耐寒セラミックシールドが、酸の弾丸をガキィンと弾き返す。

シールドの表面から白い煙がわずかに上がるが、コーティングが酸の浸食を完全にシャットアウトしていた。

さらに、飛び散った酸の霧が私の足元や胸元へと降り注ぐ。


フワッ……!

その瞬間、私の胸元に留められていたサキお手製の『銀斑鈴蘭の薬効ブローチ』が、淡い銀の光を放った。

ブローチから放たれた清浄なアロマの風が、酸性の霧を中和し、ただの無害な水滴へと変えて地面へ落としたのだ。


「……サキのブローチ、完璧に効いてます! 酸の臭いすら全然しません!」

「素晴らしい防御性能ですね。……では、反撃に移ります。」


橘一尉が小銃を構える間もなく、私は前へと進み出た。

「妖術――【狐火・熱波】!」


ポンッ!

指先から放たれた小さな赤い火球が、アシッドスライムのド真ん中へと着弾した。

水分を多く含む粘液体が、高熱によって一瞬で沸騰し、風船のようにパンッと弾け飛ぶ。


シュウゥゥゥ……!

スライムは光の粒子となって消滅し、足元には【万象解体】によって、濁りのないガラス瓶に入った『強酸溶解液』と、極小魔石、そして――。


「あ、また食べ物だ!」

転がり落ちたのは、手のひらサイズの小さな紙包み。


『名称』:純白砂糖の包み(特級)

『詳細』:粒子が極限まで細かく精製された、雑味ゼロの極上砂糖。お菓子作りに最適。


「スライムからお砂糖が出た! サキにお菓子作ってもらお!」

私が嬉しそうに砂糖を拾い上げると、橘一尉が苦笑いを浮かべた。

「美濃のモンスターは、本当に生活に密着したドロップばかりですね。一般の探索者たちが夢中になるのもよく分かります。」


さらに進むと、体長一メートルを超える巨大なバッタ『ブレードローカスト』が草むらから飛び跳ねて斬りかかってきたり、頭部に立派な一本角を生やした小型の牛『ホーンカーフ』が突進してきたりしたが、どれも霧島の狂暴なモンスターに比べれば動きが素直で、熊倉二曹のシールドバッシュと橘一尉の足止め射撃で、危なげなく無傷で突破することができた。


角牛からは『極上牛フィレ肉』がドロップし、私のアイテムボックスの食品庫エリアは急速に豪華さを増していったのだった。


---


大河までの中間地点、広大な葦原が広がる浅瀬の地帯に差し掛かった時のことだった。


ピクンッ……!

私の左耳――サキの巫女リボンが結ばれた耳が、風のざわめきの向こうから、切迫した人の声と、金属の激しい衝突音を捉えた。


「……橘さん! あっちの水路の向こうから、人の叫び声が聞こえます!」

「叫び声!? 探索者か!」

熊倉二曹が顔色を変える。


「四名……いえ、五名です! モンスターの群れに囲まれて、逃げ場を失っています!」

「救助に向かいます! あかねさん、誘導を!」

「はい、こっちです!」


私はアンクレットの推進力を活かし、水気を帯びた草むらを風のように駆け抜けた。

橘一尉と熊倉二曹が、足音を轟かせて私の背中にぴったりと追従する。


葦の群生をかき分けて開けた場所へ出た瞬間、凄惨な光景が目に飛び込んできた。


川の支流に挟まれた中州のような狭い岩場。

そこに、革鎧を着込んだ若い男女四人の探索者パーティーが、背中を寄せ合って追い詰められていた。

前衛の男子二人が構える真新しい鉄の盾には無数の凹みが刻まれ、後衛の女子生徒が握る杖を持つ手は恐怖でガタガタと震えている。

足元には、肩から血を流して倒れ込んでいるリーダーらしき青年。


そして、彼らを取り囲んでいたのは――十頭を超える、獰猛な『リバーコボルト(水棲コボルト)』の群れだった。


第1層のコボルトとは違い、青黒い鱗が混ざった皮膚を持ち、手には錆びた銛(もり)や短槍を握りしめている。

水路を巧みに泳ぎ回り、逃げ道を完全に塞ぎながら、弱った獲物をじわじわとなぶり殺そうと包囲を狭めていた。


「おい、しっかりしろ! 傷口を押さえろ!」

「ダメ、血が止まらない……! 回復ポーション、さっきスライム戦で使い切っちゃったよ……!」

「嘘だろ……こんなところで死ぬのかよ……!?」


絶望に染まる少年たちの瞳。

リバーコボルトの一頭が、血の匂いに興奮して舌なめずりをし、倒れた青年めがけて銛を振り上げた――!


「グルルァッッ!!」


「させないっ!!」


私の叫びと同時に、巫女装束の袖から両手が突き出された。


「【結界】――遠隔展開ッ!!」


カキィィィィンッッ!!


中州の探索者たちを丸ごと包み込むようにして、透明な八角形の光のドームが瞬時に立ち上がった。

振り下ろされたコボルトの銛が、結界の表面で火花を散らして弾き飛ばされる。


「ギャンッ!?」

「え……!? な、何だこれ……光の壁!?」

突然の障壁に、呆然とする若者たち。


そして、その頭上を、重戦車のような巨躯が飛び越えていった。


「――オラァッ!! 新米のガキどもをいじめてんじゃねえぞ、生臭イヌ共がッッ!!」


ドッガァァァァァンッッ!!


熊倉二曹のタワーシールドが、中州の泥を爆散させながら着地と同時に炸裂した。

【ヘビーチャージ】の衝撃波が円形に吹き荒れ、包囲していたコボルト五頭が一瞬にして真横へと吹き飛んで水路へと叩き落とされる。


「【挑発の咆哮】ッ! 全部俺を見ろぉッ!!」

咆哮の赤い波動が空気を震わせ、残るコボルトたちの敵意が強制的に熊倉二曹へと集束する。


「増援です! 動かないでください!」

後方から滑り込んできた橘一尉が、中腰で小銃を構えた。

「【精密射撃】――薙ぎ払え!」


タタタンッ! タタタンッ! タタタンッ!

電光石火の六連射。

飛びかかろうとしたコボルトたちの武器の柄、そして膝関節が、魔導弾によって寸分の狂いもなく撃ち抜かれた。

悲鳴を上げて泥の上に転がるコボルトたち。


戦意を完全に喪失した残りの群れは、「キャンッ! キャウンッ!」と情けない声を上げて水路へと飛び込み、下流めがけて蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。


わずか十五秒足らずの制圧劇。


「……す、すげえ……」

「助かった……のか……?」

鉄の盾を抱えた男子生徒たちが、腰を抜かしてその場に座り込んだ。


「大丈夫ですか!?」

私は結界を解除し、足首のアンクレットで水路をピョンと飛び越えて中州へと駆け寄った。

白無垢の巫女服を翻して膝をつく私を見て、若者たちが息を呑む。


「あ……あかねちゃん……!? 本物の……!?」

「喋らないでください! 傷を見せて!」


倒れていた青年の右肩には、銛で抉られた深い刺創があり、鮮血がどくどくと溢れ出ていた。

顔色は青白く、ショック状態に陥りかけている。

『HPのない世界』。失血死のタイムリミットが迫っていた。


「血が止まらないんです……! 私たちの持ってたポーションじゃ、傷が塞がらなくて……!」

泣きじゃくる女子生徒に、私は優しく微笑みかけた。

「大丈夫。私の兄ちゃんが作った、とっておきの薬がありますから。」


私は胸元の空間――アイテムボックスから、エメラルドグリーンに輝くコルク瓶を取り出した。

兄・晃が丹精込めて調合した『中級活力治癒薬』。

コルク栓を抜き、青年の肩の生々しい傷口めがけて、緑の雫を数滴、直接垂らした。


ジュウ……ッ。


清涼なミントの香りが漂い、傷口が淡い緑の燐光に包まれる。

次の瞬間、裂けていた筋肉と皮膚の断面が、まるで早回しの映像のように急速に引き合って塞がり始めた。

溢れていた血液がピタリと止まり、わずか五秒後――光が収まった時、青年の肩には、傷跡の赤い線すら残っていなかった。


「……え?」

青年が目を瞬かせ、自分の肩を恐る恐る触った。

「痛みが……ない……? 腕が、動く……?」

「嘘……傷が、完全に消えた……!?」

仲間たちが信じられないものを見る目で絶句する。


「バイタル正常。失血による貧血も、ポーションの活力成分で急速に回復していますね」

駆け寄ってきた橘一尉が青年の脈を取り、ホッと息を吐いた。


「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます!!」

若者たちが涙を流しながら、何度も何度も頭を下げた。


「第1層でスライムを倒せて、調子に乗って第2層の奥まで来ちゃったんです……。水辺なら薬草がたくさんあるって聞いて……そしたら、急にコボルトの群れに挟み撃ちにされて……」

肩を落として震えるリーダーの青年に、熊倉二曹が分厚い手のひらをドンと背中に叩きつけた。


「がはは! 反省できるなら上出来だ! 誰だって最初は失敗する! だがな、命があってこその冒険だ。引き返す勇気を持て。それがプロの第一歩だぞ!」

「……はい! 肝に銘じます!」


「これ、持って行ってください。」

私はアイテムボックスから、第1層で採れた『野良ルビーベリー』と、兄の低級治癒薬の予備を二本、彼らのリュックへと手渡した。

「出口までの最短ルートを地図に記しておきますね。無理せず、ゆっくり戻ってください。」


「あかねちゃん……本当に、ありがとうございました!」

四人は深々と一礼し、私の描いた安全マップを握りしめて、元気に手を振りながら第1層への帰路へと歩き出していった。


その去りゆく背中を見送りながら、私は胸に手を当てた。

誰かを救えた温かさが、全身を満たしていく。


「素晴らしい救助活動でしたよ、あかねさん。」

橘一尉が優しく微笑みかけてくれる。

「へへ……兄ちゃんのポーションが役に立ってよかったです! サキのブローチも、酸や毒を防いでくれたから躊躇なく前に出られました!」


仲間たちの力が、ここで見知らぬ誰かの命を繋ぎ止めた。

これ以上の喜びはなかった。


---


救助を終え、再び歩みを進めること一時間。

草むらの背丈が低くなり、目の前がパッと開けた。


「……着きましたね。」


橘一尉の声に、私は足を止めた。

眼前に広がっていたのは、息を呑むほど雄大な、”『美濃大河』の河原”だった。


川幅三百メートルを超える巨大な清流。

地下を流れているとは思えないほど澄み切った水が、エメラルドグリーンの光をたたえて滔々と流れている。

川底の白い砂利が透けて見え、水面には時折、銀色の鱗を持つ魚型モンスターがパシャリと跳ねていた。


そして、対岸――。

川の向こう側には、白い朝靄に煙る、果てしない湿地帯と鬱蒼とした葦の海が地平線まで広がっていた。

あの湿原を丸一日歩き通した先に、第3層への扉があるのだ。


「でっけえ川だなあ……! 鹿児島の甲突川どころの騒ぎじゃねえぞ!」

熊倉二曹が河原の白い砂利を踏みしめ、水筒に澄んだ水を汲む。


「本日の探索は、ここまでですね。」

橘一尉が時計を確認し、満足そうに頷いた。

「現在時刻は午後二時。ここから第1層のゲートまで引き返し、新幹線に乗れば、今夜のうちに鹿児島へ帰還できます。」


「はい! 大満足です!」

私は河原の大きな流木に腰を下ろし、河風に吹かれながらアイテムボックスの中身を確認した。


新種の高機能薬草『銀斑鈴蘭』、水生霊草『紫水仙草』、超高熱源の『美濃黒泥炭』、緑風の魔銅鉱、野良ルビーベリー、大地の白蕪、極上牛フィレ肉、そして純白砂糖。

どれも、これからの日本の産業や医療、そして私たちの生活を豊かにしてくれる素晴らしい宝物ばかりだ。


「サキちゃん、待ってるだろうよ。ホテルに戻ったら、この黒泥炭と魔銅鉱でどんな話になるか楽しみだぜ。」

熊倉二曹が笑う。

「ええ。赤城主任も、持ち帰るサンプルを見てまた悲鳴を上げるでしょうね。」

橘一尉も楽しそうに目を細めた。


私は立ち上がり、白無垢の巫女羽織の裾を払った。

川の向こう、まだ見ぬ第3層、第4層、そして第10層のボスが眠る深淵へと思いを馳せる。


今回はここまで。

けれど、私たちは必ずまたここへ戻ってくる。

全国の探索者たちと一緒に、一歩ずつ、確実にこの新しい世界を開拓していくために。


「帰りましょう、橘さん、熊倉さん! 鹿児島へ!」


私の弾むような声に、二人が力強く頷いた。

美濃の大河のせせらぎを背に、私たちは夕暮れの光に染まり始めた草原の道を、誇らしい足取りで歩み出したのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。