その全部で
「夏奈ちゃん、大丈夫?そこに体温計置いてるから熱計っててよ」
正人が台所からそう声を掛けてくれる。
「……ん」
なんだか、体がだるい。
今は何もしたくないなぁ、明日の会社も休みたいなぁ。
トン…トントン……トン。
という不器用な彼の包丁の音を聞きながら、そう呑気に考える。
脇に挟む体温計はひんやりとしていて、心地よかったし、肩までちゃんとかかった毛布に正人の優しさをぬくぬくと感じた。
「正人ー、7度5分ー」
私が気怠げに答えると、正人の包丁のトントンという音がやんで、彼は私の隣までやってきた。
「……ふふっ。何着てるの?そのエプロン久しぶりに見たなぁ」
正人は何年前かに私が衝動的に買った焦げ茶色一色のエプロンを着ていた。
そんなのとってくれてたんだ。買った本人も忘れてたのに。
そんな小さなことにもドキドキが止まらない私はやっぱり正人っていう存在にハマってしまってるんだ。
「え?これさ、夏奈ちゃんが似合う似合うって買ってくれたやつだよ。
ていうか、下がってよかった。夕方はさ8度後半台をずっと行き来してたから、てっきりインフルかと思ってたんだけど」
だから、サイドテーブルに保険証か。
「……キスしていい?」
私の隣に座って、正人が上目遣いで私を覗き込む。
こんな技どこで身につけたのよ。
まるでそれが、待てを食らった子犬みたいなで可愛くって。
でも、きっと私がそんな風に正人のことを可愛いって思うってことを予測して、こんな風に上目遣いしてくるんだなぁって思うと、私ってつくづく愛されてるのかなぁなんて自惚れちゃうよ。
「私がいいよっていうの知ってるくせに。キスくらい奪ってよ」
だから、そんな正人に負けたくなんかないから私は精一杯の強気で正人にそう言う。
「……大好きだよ、夏奈」
夏奈ってちゃん付けせずに私の名前をよぶのは、正人から私への大好きだよっていう言葉に等しい。
「……そんなの今更でしょう?」
ねぇ、正人。
やっぱり私はダメダメだよ。
正人の優しさに痛いくらいに浸っちゃってて、ここから抜け出すなんて考えられない。
私達はさ、何処まで青春を続けられるかな?
ねぇ、永遠なんてないってことくらい知ってるけど。
今だけは永遠だってあるんだってことを信じさせて?
正人のその細くて強い腕で。
その赤みを帯びた唇で。
私の中をぐるぐると回ってるその舌で。
現実から私を掬い上げてよ。




