第7話 遅れている砦
木材はあった。
人もいた。
道もあった。
それなのに、砦は終わっていなかった。
池田輝政は現場を一周し、最初にそれを確かめた。
川から少し離れた渡河点。倉庫が二棟。荷替えのための平地。そこを守るはずの木柵は半分しか立っていない。
堀は途中で切れ、門材は積まれたまま雨に晒されている。
「材が足りぬのではないな」
宗右衛門が言う。
「足りております」
新六が材木の山を見て答えた。
「使う順に置かれておらんだけです」
ローマ側の人夫もいる。
軍団兵も来る。
都市から雇われた労働者もいる。
だが朝に百人いた者が、昼には半分になる。別の命令で兵が引き抜かれる。荷車は石材運びへ回される。地主が伐採を止めたと怒鳴り込んでくる。
セウェラが蝋板を何枚も抱え、双方の話を聞いていた。
彼女が木材の印を示し、次に硬貨の印を示す。
地主は首を振る。
軍の担当者は別の板を出す。
都市の役人は自分の負担ではないと手を振る。
輝政はしばらく黙って見た。
日本ならどうする。
名古屋城の天下普請なら、割当が先にある。誰が石を出し、誰が人を出し、どの大名がどの持ち場を受けるかが決まる。
決まっていても揉める。
篠山でも、姫路でも、材木が山から勝手に城へ歩いてきたことなど一度もない。
奉行が走る。
勘定が詰める。
不足を別の持ち場から回す。
誰かが怒り、誰かが損をし、その損に理屈をつけて終わらせる。
目の前のローマ人は、掘ることも、測ることも、建てることもできる。
できる者が多すぎて、むしろ誰も全体を終わらせていなかった。
「殿」
主膳が声を低くする。
「これなら我らが仕切れば」
「仕切れるか」
「は」
「兵を返せと言われて、返さぬ権が我らにあるか。地主の木を切れと言って、切れるか。銭を払えと言われて、銭があるか」
主膳は黙った。
そこへポストゥムスが来た。
皇帝自ら現場へ来るとは思っていなかったので、日本側の家臣が一斉に身を固くする。
ポストゥムスは未完成の柵を一瞥し、輝政の前へ立った。
セウェラが間に入り、数字と身振りを組み合わせる。
皇帝が指を三本立て、次に七本。
日数らしい。
輝政は地面へ線を引いた。
今日。
完成。
その間にいくつ日が要るか。
皇帝の問いは、言葉より明確だった。
宗右衛門が輝政の袖を引く。
「殿。土がまだ読めませぬ。人夫も定まりませぬぞ」
「分かっておる」
「ならば十日」
主膳が言う。
「いや、二十日と申して、早く上げればよい」
新六が呆れた顔をする。
「二十日も食わせてもらえますかね」
その一言で、全員が黙った。
これが試験なのだ。
砦を作れるかどうかだけではない。
三百二十人を食わせる価値があるか。
その答えを、皇帝は工事で見ようとしている。
輝政はポストゥムスを見た。
若い頃、働きを見せれば主君が拾うと思っていた時代があった。
信長の下で、父も兄も、自分も、まず働きを示した。
だが今、目の前の皇帝が欲しいのは勇名ではない。
終わる仕事だ。
輝政は右手を上げた。
指を七本――片手ともう片方の二本――立てる。
「七日」
セウェラが確認するように数を刻む。
ポストゥムスの眉が上がった。
マルキアヌスが何か強く言う。
ルキウスは露骨に嫌そうな顔をした。
輝政はもう一度、七を示した。
「七日で、戦える形にする」
言葉は届かない。
だが期限は届いた。
皇帝が短く笑った。
その笑いが、面白がったものか、呆れたものかは分からない。
ただ一つ、輝政には分かった。
今から七日間、この砦は城ではない。
三百二十人の飯椀だった。
輝政は現場の人間を一人ずつ見た。
働きたくない顔ではない。
都市の人夫は、来ればよく働く。軍団兵は号令が通れば速い。地主側の車方も、荷を積めば黙々と運ぶ。
問題は、次の命令が誰から来るか分からないことだった。
ある兵は昼に別の持ち場へ呼び戻される。都市の人夫は賃金の確認が取れず帰る。木材を運ぶ車は、橋の修理へ優先的に回される。
輝政は主膳へ言った。
「人数ではなく、空く時刻を数えよ」
「時刻を」
「百人いる、と書いても、昼に五十人消えれば意味がない」
日本側の勘定方も、初めてローマ側の勤務割当を読むことになった。文字は読めない。セウェラが印を対応させ、誰が朝だけ、誰が一日、どの車が午後から使えるかを図にする。
輝政はそこに、普請場の馴染んだ匂いを感じた。
国が違っても、工事を止めるのは大抵、石より人間だ。
そして人間は、命令だけで動かない。
誰の仕事か。
誰が払うか。
誰が責任を取るか。
そこが曖昧なら、腕のいい大工が百人いても城は立たない。
皇帝が七日という数字を示した時、輝政はその重さを承知していた。
だからこそ受けた。
七日なら、失敗も成功も隠せない。




