第6話 ローマ人も城を造る
榊原宗右衛門は、面白くなかった。
朝からずっと面白くない。
ローマ兵が掘る溝は真っ直ぐだった。
人夫が適当に掘っているのではない。先に杭を打つ者がいる。縄を張る者がいる。深さを確かめる者がいる。その後ろから土を上げ、上げた土を土塁へ回す。
無駄が少ない。
「速いな」
輝政が言った。
宗右衛門は返事をしなかった。
速い。
認めたくなくとも速い。
しかも、兵がやっている。
普請専門の人足だけではない。武装した兵が槍を置き、班ごとに作業し、合図が鳴れば持ち場を替える。
「殿」
宗右衛門はようやく言った。
「こやつら、戦場でこれを毎度やるのでしょうか」
輝政が頷く。
「そのようだな」
「ならば、我らが柵の立て方を教えて驚かせる、という手は使えませぬ」
「使わぬ方がよい」
さらりと言われ、宗右衛門はますます面白くなくなった。
そこへ男が来た。
三十半ばほど。軍人にしては鎧が軽く、帯から測量具や定規らしい物を下げている。指先には墨ではなく土が入り込んでいた。
男は宗右衛門の腰の鋸を見た。
宗右衛門も男の測量棒を見る。
互いに、顔より道具を先に見た。
セウェラが胸を指して名を言う。
「ルキウス・マルケッルス」
宗右衛門は自分を指した。
「さかきばら、そうえもん」
ルキウスが真似をする。
「サカ……」
そこで諦めた。
宗右衛門も「ルキウス」だけを覚えることにした。
ルキウスは鋸を借りたがった。
宗右衛門が渡すと、刃を指でなぞり、木片へ当てる。押すのではなく引く側で切れると気づくまでに少しかかった。
一度理解すると、目の色が変わった。
宗右衛門も相手の測量具を借りる。
単位は分からない。だが垂直を見る道具、距離を揃える道具だということは分かった。
「悪くない」
宗右衛門が日本語で言う。
ルキウスは何か返した。
たぶん同じようなことを言っている。
そこまではよかった。
問題は、宗右衛門が地面へ門の図を描いた時だった。
敵がまっすぐ入れぬよう、入口を折る。内側にも柵を置く。曲がり角で止め、横から攻める。
宗右衛門は木片を敵役として動かし、曲がり角で止めた。
ルキウスは図を見た。
次に、露骨に顔をしかめた。
「なんだ」
通じないのを承知で宗右衛門が言う。
ルキウスは兵を示す木片を十ほど並べた。
門から外へ出す。
一つ目の曲がり角で列が詰まる。
次の木片がぶつかる。
さらに、馬を示す大きな駒を置いた。
曲がれない。
「こちらが出る時のことを言っておるのか」
宗右衛門は腕を組んだ。
「城門は敵を入れぬためにある」
もちろん、ルキウスには届かない。
宗右衛門は敵役の駒を再び曲がり角へ置き、上から石を落とす仕草をした。
ルキウスは自軍の駒を外へ走らせ、逃げる敵を指す。
二人は睨み合った。
弥七郎が隣で面白そうに見ている。
「笑うな」
「笑っておりませぬ」
「口が笑っておる」
輝政は止めなかった。
二人に好きなだけ地面を掻かせた。
最後には、宗右衛門の線とルキウスの線が地面いっぱいに重なり、どちらの案か分からなくなった。
ルキウスは棒を置き、宗右衛門を見た。
その顔に、最初の珍品を見る色はない。
代わりに、厄介な同業者を見る色があった。
宗右衛門にも、それはよく分かった。
「殿」
「なんだ」
「こやつとは、たぶん仲良くできませぬ」
「それは結構」
「なぜです」
「仲良くせずとも仕事はできる」
輝政が言った時、軍営の向こうから使者が来た。
ポストゥムスからだ。
セウェラが身振りと地図を使い、何かを伝えようとする。
川。
倉庫。
道。
柵。
途中で止まった印。
宗右衛門が眉を寄せた。
「工事か」
ルキウスの顔が、わずかに曇る。
これほど手際のよい者たちにも、終わらぬ普請があるらしい。
輝政はその表情を見逃さなかった。
「見に行こう」
今度は、異国の失敗を見る番だった。
午後、ルキウスはさらに日本側の道具を見たがった。
鉋を手に取り、刃の向きで首を傾げる。宗右衛門が木片へ当て、薄い削り屑を一枚引くと、ルキウスは子どものような顔をした。
次に彼は自分の工具箱から、鉄製の測量具と下げ振りを出す。今度は宗右衛門が黙った。
互いに「自分の方が上だ」と言葉で主張することはできない。だから道具が代わりに喋る。
宗右衛門は、ローマ側の木材が日本のものと癖が違うことにも気づいた。乾き方、節、切り口。自分の鋸がどこでも同じように働くわけではない。
「材まで異国か」
呟くと、ルキウスが何か尋ねた。
宗右衛門は木目を指し、鋸を指す。ルキウスも頷き、別の材を持ってくる。
そこから二人はしばらく、門の話を忘れて木を切った。
職人同士の会話は、言葉より早い時がある。
だが門へ戻れば、また喧嘩になった。
輝政はその様子を見て、むしろ安心した。
相手の技術者が、こちらへ遠慮していない。ならば失敗する前に止めてくれる。
その日の終わり、ルキウスの部下が未完成の前線拠点の図を持ってきた。
宗右衛門は、図の端に何度も書き直された線を見た。
上手い者がいても、仕事は止まる。
技術とは別の理由で。




