早川久美子 8
私は、電話の向こうとこちらの二人が一緒になって暗い闇を沈んでいくのを感じ、かごの鳥のように過ごす牧之条家で、これから明日香はどうなってしまうのだろうと考えた。
「明日香」
私は何もしてあげることができなかった。だから、ただ心を込めて明日香の名前を呼んだ。
「うん」
明日香は、そう言ったきりしばらく沈黙した。そして大きくため息をつくと、「何だか、全然わからない」と続けた。
わからない、ってなんだろう。
「ね、明日香、何があったの」
返事はなかった、しかし明日香はそこにいる。まるで周りを伺って息を潜めているかのようだった。
「明日は学校に行くから。相談したいことがあるの」
「ねえ、何があったの」
「ごめん、明日学校で。お願い」
小さな声でそう言うと、明日香は電話を切った。
かごの鳥、という言葉が頭をよぎった。
翌日、言葉通りに明日香は学校に来た。急病と聞いていたクラスの子達は、一層白さを増してやつれたように見える明日香を見て体調を心配し、一通り心配した後では、文化祭の写真を見せて明日香が不在だったことを惜しんだ。
二人きりになれる時間は、なかなかできなかった。休み時間のたびに、メイドカフェの盛況さを伝え、自分の推しの写真を見せに来るクラスメイトが明日香の席の周りに次から次へと現れた。私は調理担当であまり店に出ていなかったので、改めて写真を見てその仕上がりと盛り上がりに驚いた。女子の男装の可愛さに負けず劣らず、サッカー部や野球部や水泳部などの、運動部男子の女装も魅力的だった。夏休みの練習で焦げたくらいに日焼けした肌に、プラチナやブロンドのウィグと華やかなメイクがよく映えていた。
「男子なのにメイク上手なのね」という明日香の言葉に、みんなが笑った。
「わたしたちがメイクしてあげたのよ、楽しかった」
「運動部男子だってあんなに映えるんだから、安達くんだったらもっと綺麗だったと思うの、残念。久美子もそう思うでしょ」
そう言って、何人かの女子が頬を膨らませた。その言葉が聞こえたのか、席から豪毅が私を睨みつけた。その豪毅の視線に「違う違う、私は何も言っていない」と手を振って答えた。
明日香と話す時間は昼休みまでとれなかった。昼食を終えるとトイレに行くと言って皆から離れ、そのまま二人で階段を上がって屋上に向かった。
明日香のお母さんは、交通事故で亡くなった。
「パパに謝らなければ」とうろたえていた明日香のお母さんは、文化祭の前日に「さっき見つけたの、話さなければいけない」と言って慌てて明日香を連れ出したそうだ。
「監視が付いているから急いで」
そう言ってまだ青信号に変わっていない横断歩道を無理に渡ろうとして車に轢かれてしまったという。
「監視って」
呆然とした。
「明日香にも付いているの?」
明日香は暗い表情で「大丈夫よ、学校の中にまでは入ってこないから」と言った。
信じられなかった。
「そういう問題じゃないわ。自分の家の人間に監視つけるなんて、おかしいよ」
「そうなの」
明日香が諦めたように頷いた。「おかしいのよ、私の家。どうしてこんなことになっているのか、わからないままパパもママもいなくなってしまったけれど」
明日香の表情が、高校入学の時に戻ってしまっていた。自信のない、かごの鳥。
「ね、相談したいことって」
私は話題を変えた。
明日香は、ハンカチを取り出すと、そこに包まれていた写真を私に見せた。
「ママが事故で亡くなる時に、『写真を見て』と言ったの。見つけた、ってこれのことだと思う」




