早川久美子 7
そう明日香が切り出した。
「私が中学一年生の時にパパが家を出て行ってしまったことは話したよね」
私は黙って頷いた。
「私たち家族はすごく仲が良かったのに、パパが出て行ってしまった時、ママはその理由を教えてくれなかった。それにとても怒っていたの。私がパパに会いたいと言っても、ママはもう会うつもりもないと言って、それきり。私はその時から、ずっと不安で悲しい思いをして暮らしてきた」
明日香が辛いことを思い出すように目をぎゅっとつむり、目尻に浮かんだ涙を拭った。
「それなのに数日前、パパに会わなければ、謝らなければって。そうママが急に言い出したの。その日は、ママがお祖母様や叔父様たちと長いこと話をしていたから何かあったのだろうとは思う。でも、ママに事情を教えてと聞いても混乱しているみたいで、ただ探さなければと言うだけなの」
「探す?」
お父さんを探すということなのだろうか。
「でもパパのことを言っているのではないみたいなの」
明日香は、ママの様子が怖い、また相談させてと続けた。
夏休みが明けるとすぐに実力テストに突入してしまった。そのあとも文化祭準備と部活に追い回されて、明日香と話す機会は全然取れなかった。それでもたまに教室で言葉をかわすと、お母さんの様子は「落ち着いている」ということだった。文化祭が終わったら一度ゆっくり話をしたい、そう言って不安そうでありながらも笑顔を作る余裕がある明日香に、私は「強くなったな」と思い、そして安心した。
しかし文化祭の当日、明日香は学校に現れなかった。
文化祭前日に夜遅くまでかけて装飾部門のスタッフが組み上げた「黒メイドと白執事」という派手な看板と廊下側の壁を埋め尽くす装飾の前では、早朝から準備をしていたメイド服を着て女装した男子と、執事服に身を包んで男装する女子がお互いに写真を撮って盛り上がり、廊下を通り過ぎる他のクラスの子達から大きな歓声を受けていた。
開店を待つばかりの熱気の中で、圧倒的な支持を得て選出された明日香が現れないことを皆が心配し、「牧之条さんはどうしたの?」と何人かに尋ねられた。
「何か聞いてない?」
そう尋ねられても、明日香はスマホも携帯電話も、メールアドレスすら持っていなかった。まさに「かごの鳥」であり、連絡をするには牧之条家に電話をして取り次いでもらわないといけなかった。そして、それはなかなかにハードルが高いことだった。
先生によれば、明日香は急病とのことだった。
「体調を壊してしまって、数日休むそうだ」と朝のホームルームで伝える先生の口調は、何かを隠しているような妙に平坦なものだった。そして、ホームルームが終わると私は先生に呼び出された。
「牧之条から口止めをされているので、僕からは話すことはできないのだが、早川には牧之条から連絡すると言っていた。力になってやってくれ」
いったい何があったのですかと聞いたが、牧之条から自分で説明するから話さないでくれと言われているので、と教えてくれなかった。
しかし、「牧之条自身に何かあったということではないんだ、それは安心してくれ」と言う先生の言葉で、私は確信した。
明日香のお母さんに、何かあったのだ。
その日の夜も翌日も、何度かスマホのディスプレイに「牧之条家」と表示させた。電話をしようかと思いながら、その度に「牧之条から連絡すると言っていた」という先生の言葉を思い出して、消した。
文化祭の翌日の片付けにも、明日香は現れなかった。みんなで作り上げた店内装飾や黒板アートや看板を、黙々と壊していく。祭のあとの寂しさが漂っていて、確かに何かが成し遂げられ、そして終わったことを告げているように思えた。
「色々変えようと思って」
そう言って笑ってくれた明日香がこの場にいないことが、一層寂しく感じられた。
その夜も何度かスマホを見た。何度目かに手に取った時に、鈍い振動とともにスクリーンに「牧之条家」と表示された。私は深呼吸してから電話に出た、嫌な予感が当たらないでと願いながら。
「明日香?」
呼びかけた私に、明日香は「久美子」と消え入りそうな声で答えた。
「ママが、死んじゃった」




