早川久美子 7
翌日、私たちはめいめいにクイズ研究会に向かった。「情報はできるだけ隠したい」という柳沢君の言葉が気になってしまい、日中明日香と会話をするのもためらわれてしまった。息を潜めているというのは、こういうことを言うのかもしれない、とても息苦しい。
四人揃うと、柳沢君が「今のところ収穫なし。日付をたどって色々調べたけど、この日に起こった歴史的な事件はたくさんあって、それにバツ印をつけて排除することで何かを限定することなんてできそうになかったよ」と言って、疲れた表情で頭を下げた。「力になれてなくてごめん」
あれこれと二人で頭をしぼってくれたのだろう、豪毅の方も疲れた表情をしていた。
対照的に明日香は、心なしか明るい表情だった。今日は研究会に来る前に図書室に一旦寄ってからきたということだった。
「気分転換とカムフラージュよ」と明日香が微笑んだ。
「俺たちと違って、明日香は少し元気そうだよな」と豪毅が軽い調子で話しかけた。
「写真を渡して少し気持ちが軽くなったかな。それに三人がいてくれて心強いの」
明日香が表情を少し明るくして二人を見た。本当にため息が出るような美少女だ。柳沢君が一瞬だけど口元を緩めた。柳沢君が照れるなんて初めて見た。一方の豪毅は何の反応も示さなかった。美人の姉二人に可愛がられて育った豪毅にとってはこんなやりとり普通なのだろう。私は先が思いやられてため息をついた。
「久美子も疲れた感じだな。俺たちと一緒で背負い込んだからな」
何てことを言うんだ、と思って豪毅を睨んだ。隣に座っている明日香が急に肩を縮めた。
「ごめん、久美子。巻き込んじゃって」
「違う、明日香。私はあなたの力になれたら嬉しいし、全っ然負担でもないし、巻き込まれたなんてこれっぽっちも思っていないよ。何なのよ、豪毅は」
急にまくし立てた私の慌てぶりを見て、明日香が小さな声で笑い始めた。
豪毅がそれを待っていたかのように「それでさ、明日香に聞きたいことがあるんだ、両親のこと」と、軽い調子で語りかけた。
和らいでいた明日香の表情が少し硬くなった。豪毅はそれには気付かないのか、軽い調子のまま「写真の日付と番号は、法則のあるものじゃなさそうなんだ。それで、明日香の両親しか知らないことがキーになってんじゃないか、って邦雄と二人で考えたんだよ。あんまり立ち入ったことを聞くのは悪いとは思うんだけどさ」と続けた。
考え込む明日香に、豪毅が「何でもいいから二人に共通する出来事とか趣味とかない? そこにヒントがあると睨んでんだけどよ」と続けた。
しばらく考えを巡らせていた明日香は、心を決めたように「はい」と答えると、「ママから聞いた話ばかりだけど」と話を始めた。
「ママとパパは、同じ高校の卒業生なの。でも高校の時には付き合っていなくて、大学に入ってからお母さんが入っていたサークルに学外からお父さんが参加して、それから付き合い始めたって言っていました」
「同じ高校って? 場所は東京?」
柳沢君の言葉に、少し躊躇してから明日香が答えた。
「根津高校」
都立の最難関で、その立地と進学率の高さから日本の最高峰の大学と渡り廊下でつながっていると噂すらされる高校だった。
「え」と豪毅が声をあげ、明日香が少し肩をすくめた。
私たちの巣鴨北高校だって悪くはないが、根津高校はその上をいく。
「パパは高校生の時からずーと、ママのことを好きだったに違いないって、ママは言っていました。高校生の時もクラスが一緒になったことがないのに、思い出してみると困った時はいつも近くにいたような気がするって。ママ自身もひょっとすると、とは思ったことがあるらしいけれど、パパはそんなことを一言も言わないし、態度もはっきりしないし。相談したりする時に頼りになる人だから、何となくそのまま流してしまっていたって。大学のサークルにわざわざ学外から参加してきたのを見て、あれ、もしかすると、と思ったって」
「へー」
間の抜けた豪毅の声に、私は頭を抱えた。
「安達くんって」と明日香が珍しく豪毅に話しかけた。「こういう話に興味がないのね」
「え、なんでわかるの」
豪毅がそう答えると、明日香がちらりと私に同情するような視線を送り、話を続けた。
「大学は京都です。もともと東野流が明治維新の東京遷都に合わせて分派した流派なので、京都で一度は学ぶことになっているの」
「じゃあ明日香も?」
私の言葉に頷いて、「そう言われてはいるけど、自分で決めたい」と寂しそうに答えた。高校一年の時からもうそんなことを言われているなんて、本当に「かごの鳥」だ。
「ママは茶道部と華道部の掛け持ちで、パパは、茶道部に参加していたそうです」
「京都か」と柳沢君が呟いた。
「その後のことはあまり聞いていません。パパは大学院に進んでその後に就職して、しばらくして結婚して牧之条家に入ったの。でも大変だったんだろうな、と今なら思います。ママが東野流を継ぎたくなくなったのはパパのせいだ、パパが外の変な空気を持ち込んだからだと、お祖母様や大叔父様たちから非難ばかりされていたって、そうママが言っていました。パパは辛そうにしている姿を私たちの前では見せなかったけど、きっと落ち着ける場所はなかったんだと思います。私は妹か弟が欲しくてママに何度も頼んだことがあるんだけど、『ごめんね』といつも言われていました。今ではわかります、後継ぎになるような子供を増やしたくなかったんじゃないかな」
柳沢君が顔を上げた。
「女性が当主を継ぐの?」
「はい。今はお祖母様が七代目で、お母さんが八代目になることになっていました」
「明治維新の時に分派してできた新しい流派なのに、もう七代目なんだね」
「空襲などで矢継ぎ早に当主が亡くなったそうです」
なんで柳沢君はそんなことに気がつくんだろうと、私は少し怖くなった。
「じゃ、次は明日香が家元、ってこと?」
無邪気に豪毅が聞いた。あ、そうか。
「継ぎたくない」
はっきりとした明日香の口調だった。
「怖いんです、あの家。お祖母様も大叔父様も東野流を維持することが全てで、そのためならなんでもするの。普通の会社員だったお父さんの態度も考え方も気に入らないって」
ため息をついて、それでも明日香は話を続けた。
「パパがいなくなる前のことだけど、高校時代の私は残酷だったかもってママは言っていました、お父さんが諦めないでくれてよかった、一緒になれて幸せだって。それなのに」
明日香は急に言葉に詰まると、下を向いてしばらく黙り込み、「パパ」とつぶやいた。
明日香の話は不思議だった。それほど仲が良かったご両親なのに、どうしてお父さんは家を出てしまい、お母さんの方も会おうとしなかったんだろう。写真のことと言い、明日香の家のことと言い、わからないことだらけだった。
「なんで牧之条さんとお母さんを置いて逃げてしまったんだろう」
柳沢君の声が聞こえた。いつもとは違う、硬い鈍色の声色だった。
明日香は顔を上げると涙で潤んだ瞳を柳沢君に向け、そのまましばらく柳沢君を見つめていた。
そして、言った。
「柳沢君、パパは生きています。パパを責めないでね。弱いとか言わないでね」
「置いて逃げる」なんて、柳沢君のらしくない言葉にも驚いたが、明日香の言葉にも驚いた。
柳沢君も表情が硬くなった。
「ひどくない?」
これまであまり関心なさそうに話を聞いていた豪毅が、口を開いた。
「かわいそうだぜ、明日香も、親父さんも。親父さんは、どこかで待っているよ、明日香のお母さんを」
「根拠は?」と柳沢君が聞いた。
言い方が一層冷たくなったような気がする。
「写真は、明日香の親父さんがお母さんに渡したと考えていいよな?」
柳沢君が頷いた。
「どういう経緯で家を出たのかはわかんねえけど、親父さんからお母さんに連絡先を伝える時間がなかった。メールもないから落ち着き先が決まってから連絡することもできない」
今度は私たち三人が揃って頷いた。
「親父さんは手に持っていた写真に書き込みをして、メッセージとしてお母さんに渡した。それが、落ち着き先そのものか、会える場所を示している」
「でも豪毅、そのメッセージの意味がわからないから困っているんじゃないの」と私は言った。
「うん、わかんねえよ。でも手がかりがある場所はわかった。この写真を、この古い写真を、親父さんが手元にずっと持っていたとするなら、それほど大事な写真を撮ったのはどこだろうか?」
ハッとした。
「これ、根津高校だと思うんだ。二人が一緒に過ごした思い出の場所なんだろ。だったら撮影場所は根津高校のはずだ。高校時代に撮った写真を親父さんがずっと大事に持っていたんじゃないか。そうであれば根津高校に行けば何か出てくるかもしれない」
豪毅の勢いに飲まれるように話を聞いていた柳沢君も硬かった表情を和らげた。
豪毅の凄いところはこういう風に、結論にいきなりたどり着くところなんだ。鋭い時にはとことん鋭い、そして興味がないことにはとことん鈍い。「思い出の場所」なんて言葉をなんの思い込みもなく口にする豪毅を、腹立たしくも思った。
「そしたら、土曜日の午後に乗り込みますか!」
豪毅が威勢良く拳を振り上げた。
「いや、ちょっと待って」
柳沢君は、豪毅の乗り気に水を差すと長いこと考え込み、「行くのは僕と牧之条さんにしよう。監視もあるかもしれないし、顔を晒す人間は少ない方がいいし」
「なんで俺じゃなくて邦雄なんだ」
「うん、それはちょっとね」
柳沢君はそう言ってまた考え込んだ。柳沢君の考えていることはよくわからないし、少し怖い。




