早川久美子 6
「この写真について知っていることはある?」
豪毅と一緒に写真を覗き込みながら、柳沢君が明日香に聞いた。
「何も。ママが探していたことしか知りません」
二人が難しい顔をして覗き込んでいる写真を、私も改めて見た。
写真は、一枚の写真の右端の四分の一くらいを切り取った、その四分の一の部分だった。
学校の教室を後ろの方から撮影したものらしく、切れ端には黒板の右端が写り込んでいて、画面には日付が書かれた端の部分と、黒板に横書きで描かれた文章の最後の部分なのだろう、飾り文字風にチョークで縁取られた「せ!」の文字が切れ端の左端に見える。
黒板の前には、机の一つが横向きに置かれていて、そこに左を向いて座った女性が小さく写っている。彼女は髪をかきあげていて、その耳元が光っている。写真の左端下の方、切り口の部分には三角形の白い紙か光のようなものが映り込んでいる。
奇妙なのは日付の部分だった。黒板の日付は10月17日と記されていたが、10の上のスペースに写真の上からボールペンでバツ印が書き込まれていた。そして、「日直」とある部分には名前はなく、その空白に名前の代わりにやはり写真の上から数字の「1」が書き込まれている。
「これ、触ってもいい?」と柳沢君が尋ね、明日香が頷いた。
「ハサミじゃなくて手で切ってるな」と言いながら豪毅が写真を裏返した。
「やっぱり、フィルム写真を現像したものだね。相当古いよ、写真自体は」と柳沢君が写真の裏に印刷された文字を指差して豪毅に言った。
「だな。写真自体は相当古い。でもボールペンの文字はそれほどではない。古い写真にボールペンで書き込みをして、手で切った、ということだな。手元にはさみがなくて準備する時間もなかった、ということか」
「何かを伝えるために急いでいた、という可能性はあるね」
柳沢君の言葉に明日香が顔を上げた。
私は、やはり頼りにしてよかったと少し安堵しながらも、疑問を投げかけた。
「ねえ、ごめん。ぜんぜん話がわからないけど、どうしてこれがそんなに古い写真ってわかるの?それに手で切ったって」
「今は写真ってデータだからスマホとかで見るけど、昔はフィルムで写真を撮って、それを写真屋さんに持って行って印画紙という紙に現像、というか印刷してもらっていたんだよ。それで写真を現像した印画紙の後ろにこういう風にメーカーのロゴが入ることがあったんだ。この会社は2012年に倒産したから、写真は少なくともそれより前だね」
「手で切った、ってのはよ、切り口が少し毛羽立っているから。紙を何度か折り曲げて爪でしっかり折り目をつけると結構厚い紙でも綺麗に切れるんだ」
豪毅は、立ち上がって後ろのロッカーから厚紙を一枚持ってくると、言った通りの作業をして切って見せた。確かに綺麗に切れたけれども、切り口に少し毛羽が立った。
「この女性は先生かな、生徒には見えないから。牧之条さんのお母さんとか知り合いではないんだよね」
そう尋ねる柳沢君に、明日香は黙って首を振った。
「なんで横向いて座ってんだ。それに耳元光ってるのなんだ」
「指輪だと思います」
豪毅の質問に、明日香が「こうやって髪の毛をかきあげた時に左手の指輪に光が反射したのだと思います」と言いながら左手で髪の毛を耳の後ろにかきあげて見せた。
「こんなに光るものなのか、でも確かに結婚してたら結婚指輪をしていておかしくないもんな」
「そうすると、これは何かイベントの時に教室で撮ったスナップ写真の背景ということかな」
柳沢君の言葉に私と明日香が顔を見合わせた。どうしてそこまでわかるんだろう。豪毅も柳沢君と同じ意見らしく、「だな」と言って頷いた。
「説明して」と私は食いつくように言った。
柳沢君が軽く咳払いをして話し始めた。
「この女性が生徒でなくて先生なら、教室にいて机を横にしているのは監督か何かをしているためだと思う。日付に曜日も書いてないし、日直もいないみたいだから普通の授業の日ではないのだろう。黒板にも何か書いてあったみたいだから、文化祭とかそういうイベントの日だったんじゃないかな。切り口のところにシャツの肘が写り込んでいるから、画面の左側には誰か、それが一人か複数かはわからないけれど、写っていたと思う」
「これ、シャツの肘なの?」
私は写真を見直した。言われてみればシャツの肘の部分にも見える。
「『せ!』ってなんだろうな」と豪毅が聞いた。「これもメッセージの一部なのかどうか」
うーん、と柳沢君が唸った。「豪毅が言ったように、急いでボールペンで書き込みを入れて切ったのだったら、『せ!』は関係ない可能性が高いけど、何かの手がかりにはなるのかなあ」
「『かっとばせ!』かしら」と私が言うと、「『走り出せ!』かもよ」と豪毅が続けた。
「かっとばせ、走り出せ、飛び出せ、踊り出せ、いくらでもあるね。そちらよりも、日付だ。何でバツ印なのか。どうして番号が書いてあるのか」
「あの」と明日香がためらいがちに切り出した。「ママが『今年は何番かしら』と言っていたの。息をひきとる前に」
柳沢君と豪毅の顔が一層厳しいものになった。
「番号、すげえ重要じゃんか」
「日付、バツ印、番号、女性、せ、の文字。この写真の情報からお父さんの居場所を見つけて、そこに牧之条さんを連れて行くのが、『助ける』の内容ということ?」
柳沢君が私を見た。
「お父さんのところに逃げる、までは聞いてなかったから」と私は消え入るような声で言った。まさか明日香がこんなことまで考えているとは思わなかった。
「今年は何番か、か。今年の10月17日が何番か、ということかもしれないよな。曜日だったら一から七の繰り返ししだけど」
「いや、曜日のことを言っているのなら『何曜日かしら』と言っていたと思う。繰り返しの番号かもしれないし、数列かもしれないけど、今の段階では見当がつかないね」
「それにばつ印って、なんだ。10月17日じゃない日なんて364日あるぜ」
豪毅がそう言うと、明日香がまた不安を募らせたようだった。柳沢君がその表情を見て「とにかく、僕と豪毅で考えてみるよ。明日またここでミーティングをしよう」と声をかけた。
「安達くん、柳沢くん、それに明日香、ありがとう。宜しくお願いします」
明日香がそう言って、深くお辞儀をした。入学式の日、初めて会った時にも見た、綺麗なお辞儀だった。
「じゃあ私、部活に行くから、また明日」と三人に声をかけて席を立とうとすると、明日香が「終わるまで待っていていい?」と聞いてきた。
「え、でも結構遅くなっちゃうよ」
「監視が付いていて、怖いの」と明日香が言って、すがるような目で私を見た。そうだ、明日香は「監視が付いている」と言っていたのだ。
「監視? なんで?」と豪毅が聞いた。
「自分の家に監視されているの?」
柳沢君の顔がこわばっている。明日香が小さく頷いた。
「パパに会わなければ、とママが言いだした頃から二人で出かけると監視が付くようになったの。家に帰ってきた後しばらくすると、誰かがお祖母様や大叔父様に、私たちがどこで何をしていたか報告していました。ママが亡くなってからは、今度は私を監視しているみたいなの」
明日香は怯えていた。
「ひでえな。俺と邦雄で一緒に帰ってやろうか、ボディーガードみたいに。久美子はマネージャーの仕事で遅くなるだろ」
明日香の表情が明るくなったが、柳沢君が少し考えてから「やめておこう」と言った。
「報告している人は、牧之条さんの知っている人ではないんだよね?」
柳沢君の言葉に、明日香が少し考えてから「はい、見たことがない人です」と言った。
「お母さんが事故に遭った時も助けるまではしなかったから、身内ではなくて興信所に依頼をしているんだと思う。相手はプロだから、こちらとしては情報はできるだけ隠したい。写真のことを隠しておくのはもちろん、周りに味方がついていると思わせることも避けたい。不安かもしれないけれど、バラバラに帰ろう」
柳沢君の言葉に明日香の表情が曇った。豪毅が私と明日香の表情を交互に見て、明るい声で言った。
「まあ、監視ではなくて見守られていると思えば。気持ち悪いかもしれないけど、安全は安全だな。謎は俺たちが解くから、明日香と久美子は安心していいよ。明日香は、図書室に立ち寄って勉強していたことにすればいい」
明日香は、写真を二人に渡した。柳沢君の言うことはもっともだけど、それにしても少し冷たいのではないかと、私は思った。




