早川久美子 5
その晩、夏休みの課題と休み明けの実力テストに向けた勉強のために、いつものように家まで来てくれた豪毅は、部屋に入ってきて私の顔を見ると、「大丈夫か」と心配そうな声を出した。
「みんながお姉ちゃんの様子がおかしい、って心配してるぜ」
妹たちにもわかってしまうなんて、顔に出てるのかな。
私が黙っていると、豪毅はいつものようにカバンから課題を出してローテーブルに置き、私の隣に腰を下ろした。
「野球部?」と豪毅が言った。
「文化祭準備?」と豪毅が続け、体を強張らせた私の様子を見て「何があった?」と聞いた。
顔を上げることもできないまま、「偽善者なのかな」とようやく言った。胸が苦しくて声が震えた。
「は?」
「わたし、偽善者なのかな」
石を吐き出すように、苦しみながらやっと言った。
「んなわけねえよ」
間髪入れずに豪毅が力強く断言したので、私は驚いて顔を上げた。
いつもと全く変わらない豪毅が、屈託無く笑っていた。
「久美子が偽善者だなんて、あるわけねえよ。何があったんだよ、言ってみ?」
そう言われて、学校で起こったことを話した。話し終わると、豪毅がため息をついた。
「佐藤夢か。あいつ、一生懸命なのはいいけど、打ち込みすぎてたまに見境なくなるんだよな。何か上手くいかないことがあって、たまたまその時久美子が目についただけじゃねえかな。俺だってキャスト受けてないんだし、気にすんなよ」
豪毅は、「やだ、やらない」の一言でクラスの女子一同の推薦を蹴ったのだった。メイド役はどちらかというとギャップの面白さを求めて、日焼けしていかつい、体育会系の男子に割り当てられたのだが、豪毅への推薦が目指していたのは、明らかに正統派の女装だった。この見た目と色の白さだったらクラスの女子が騒ぐのも無理もなかった。
「みんな、見たかったろうな、豪毅のメイド姿」
小学生の頃、豪毅の二人のお姉さんが自分のおさがりを豪毅に着せて着せ替え人形のような扱いをしていたのを思い出す。
小さく思い出し笑いをすると、豪毅が「絶対にやらねえよ」と口を尖らせた。それを聞いたら、少し呼吸が楽になった。
「でも」
冷静になるとまた、「偽善者」という響きが耳の奥で蘇る。
「偽善者と思われていることは事実だよね」
「やめろって。とりあえずレッテル張りしてるだけだぞ」
「どういうこと」
豪毅は頭が良すぎる。たまに何を言っているのかわからなくなる。
「偽善、ってすごくいやな印象がある言葉だよな。本心を隠してうわべでいいことをしてる、心の中には後ろ暗いことや企みがあるに違いない、って指を差さされたみたいな気持ちになる。でも、人の心なんていろいろで、何かの行動の裏側にある動機、というか気持ちについては、自分自身だって綺麗に説明できないことの方が多いし、そもそも動機が一つには決まらないことの方が多い、と俺は思う。でも偽善者だって指さすってことはさ、いろんな感情が混ざっている人の気持ちを無視して一つの動機に決めつけることになる。危ないのは、指差された側がその言葉の理由を探してしまって自分で自分を追い込んでしまうことだと思うんだ。いろんな気持ちが行動の裏側にはあるんだから、偽善者的な理由だって想像することはできる。まるでそれを目的にしていたかのように自分の気持ちを上書きしてしまうと、自分を責めることになるぜ」
背中に冷たい汗を感じた。
「そういう危険な言葉だってちゃんとわかってなくて、佐藤はなんとなく使っただけだと思う。だから、気にすんなよ。それにさ、あっちでは人助けはしてるのにこっちでは人助けしてない、それはずるい、なんて言い草あるか? お前がやれよ、って言いたくなるね」




