柳沢邦雄 21
目の前に差し出された文章を、牧之条さんが凍りついたように凝視した。僕は、「まだ動かないで、そのままで」と続けてタイプした。
放心していた牧之条さんの表情に戸惑いが広がり、まばたきをした。そして僕の方に首を動かそうとして、止めた。
京都が近づくにつれて新幹線が速度を落とし、それに反比例するように僕の心拍数は上昇して、手に汗をかいてきた。
京都駅を出発すると、僕はトイレの使用中ランプが消えているのを確認してから「行って」とタイプしてスマホの画面を牧之条さんに示した。
一瞬牧之条さんが僕を見た、その瞳が何かを言おうとしているように見えた。
しかし、言葉を交わす時間はなかった。
牧之条さんは、そのまま席を立ち監視役の前を通らない車両前方に向かった。監視役が尾行に向かったら緊急連絡を入れようと身構えたが、監視役が立ち上がる様子はなかった。僕は、予定通りのメッセージを送った。
牧之条さんが車室を出て一度点灯した使用中ランプがしばらくして消えると、程なく彼女が戻ってきた。表情を変えず、口も聞かずにそのまま何事もなかったように席に座る。
彼女が戻ると、すぐに後方から監視役が近づいてきて、僕たちの席を通過した。ゴミ袋を手に持っている。車室を出るとゴミを捨てたのだろう、すぐにまた戻ってきて僕の隣に座る彼女に観察するような視線を一瞬送ったようだったが、そのまま何事もなかったように通り過ぎていった。
やがて新幹線は名古屋に着いた。僕は後ろを振り返らないようにしながらも全身で監視役の様子を伺っていた。隣の彼女もそれは同様で、緊張して硬い表情をしたままだった。
名古屋を出ると次の新横浜まで、一時間半近くのあいだ列車は密室状態になる。列車を降りることはできない。
名古屋でさらに乗客が増え、缶ビールのプルタブが引かれる音や、弁当の包み紙を開く音があちらこちらから聞こえてきた。
僕は、網棚に乗せたジャンバーのポケットから文庫本を取り出しながら監視役の様子を伺った。期待した通り、彼も缶ビールを開けてリラックスしていた。それはそうだ。監視対象はここにいて、お父さんにも会えなかったのだ。そしてもう逃げられる心配はない。
僕は座席に体を沈めながら親指を立てて彼女に見せた。彼女もようやくリラックスしたようで無言で親指を立てた。少し笑ったようだった。




