牧之条明日香 1
文鳥を飼っていた。
一人っ子では寂しいだろうからと、小学校三年生の時にパパとママが買ってくれたものだった。文鳥は私の話し相手となり、遊び相手となった。
「文鳥をカゴから出してはダメよ、どこかへ飛んで行ってしまうかもしれないから」とママにきつく言われた。
カゴの中で止まり木と囲いの間をせわしなく動き回り、楽しそうにさえずる文鳥を眺めては、一日の出来事を話し聞かせた。
パパが突然出て行ってしまった後では、文鳥は私にとって一層大切な存在になった。パパのいない寂しさを、ゆっくりとおかしくなっていくママの怖さを、文鳥に話しかけてその世話をすることで紛らわせた。
「私たち一緒だね」
文鳥にそう話しかけた。穏やかな光が差し込む部屋の中でカゴに守られて、争うこともなく、外の世界を知ることもなく、ひっそりと平穏に過ごしていくのだろう、そう思っていた。
しかし高校に入学した日、何かが変わる予感がした。
「早川久美子です」
そう自己紹介された声に顔を上げた時、春霞を切り裂いて突然強い夏の光が差し込み、そしてその光の中に大輪のひまわりが鮮やかな色彩を放って立っているのを見た。
それが久美子だった。
乱暴に手を引かれて家を飛び出し夏の草原に連れてこられたような戸惑いと、爽快な開放感を感じた。
「野球部のマネージャーを一緒にやりませんか」という問いかけに、私はなぜか「カゴの鳥なの」という言葉を口にした。
どうしてこんな個人的なこと言っているのだろうと思ったが、その時に初めてカゴの中で居心地良さそうに過ごす文鳥の存在に矛盾を感じた。
「文鳥はカゴの外で生きていけるのだろうか」
久美子は、家の外で初めてできた友人だった。私は背の高いひまわりの強さと美しさに憧れ、久美子が作る影に守られながら外の世界を歩み始めた。
「文鳥をカゴから出してはダメよ、どこかへ飛んで行ってしまうかもしれないから」
その言葉は、今となってはとても怖いものに感じられた。
私は、恐る恐る文鳥のカゴの入り口を開けた。文鳥は入り口に近づかず、カゴから出ることもなかった。私はカゴの入り口を開けたままにしておいた。
文鳥は、高校一年生の夏休みに入る少し前に死んだ。
私がカゴの入り口を開けておいたから、外の世界を知らせてしまったから。きっとそのことが負担になって死んでしまったのだ。手のひらに乗せると、こわばった亡き骸は魂の分だけ軽いように感じられた。
これは私だ。私の行き着く先の姿だ、と思った。籠から出ないとカゴの鳥からは逃れられない。意識の問題ではなくて行動の問題なんだ、きっと。
夏休み前のホームルームでキャストに推薦された時に、私の心に浮かんだのは手のひらの上の文鳥の亡骸だった。そして、私はキャストの推薦を受けることを決めた。
肩が少し軽くなった気がした。背中に小さな羽が生え始めたのかもしれない。
「ちょっと色々変えてみるのもいいかなと思って」
そういうと久美子は喜んでくれた。ゆっくりとでいいんだ、背中の羽をゆっくりと育てていけばいいんだ。
夏休み中の学校開放日には文化祭の準備をした。キャストのみんなで衣装のデザインを考え、騒ぎながら採寸をする、穏やかで楽しい日々だった。
しかし、そのような日々が続いてくれることはなかった。
お正月くらいにしか家に寄り付かなかった小叔父様が家に突然やってきた。お祖母様と大叔父様と話していたと思ったら、ママが呼ばれた。かなり長い時間話をしていた、その後でママの様子が一変した。
それまではパパの話はしないでと言っていたのに突然、自分からパパに会わなければ、謝らなければ、と言い出した。
「私たち、騙されていたのよ」と言いながら私の肩を掴んだママの様子は鬼気迫るものだった。そして「そうだ、探さなければ」とつぶやいた。
「何を?」と尋ねた私に、ママは怯えたように周りを伺って、「聞かなかったことにして」と一旦は言ったけれど、私が首をかしげると思いついたように「パパをよ、決まっているじゃない」と声を荒げた。




