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  作者: ゆくえ知らず
安達豪毅

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安達豪毅 8

 京都駅で多目的トイレに入り、鏡に向かう。ナップザックから道具一式を取り出して、写真を鏡に立てかけた。緊張で指が震える。明かりも足りないような気がする。大丈夫だ、自信を持とう。最高の仕上がりにならないかもしれないけど、最悪も起きないはずだ。

 俺は、自分に言い聞かせながら作業を続けた。時間がかかりすぎるのではないかと気になり、焦ってしまう。

 時計を見る。十分に時間はあった。

「佐藤さん」と俺は扉の内側から声をかけた「近くに人はいますか」

「いや、いないよ、ずいぶん時間かかっているけど、どうしたんだい」と心配そうな声が聞こえた。

「今、出ます、驚くだろうけどあまり驚かないでくださいよ」と声をかけて「開」ボタンを押した。

 親父さんは俺の姿を見ると、目を丸くして「あ」と声を出したきり、絶句した。

 俺は周りに聞こえないように小声で「行きますよ」と言って改札に向かった。姉ちゃんに特訓してもらったけれど、気が急いて早足になると大股になりそうで怖い。

 しばらく多目的トイレの扉の前で固まっていた親父さんが慌てて俺に追いつくと、もう一度俺の顔を観察してから「まさか、これが会わせるってことじゃないだろうね」と困惑した表情で言った。

 呆れた俺は、親父さんを睨みつけた。

「あたりまえです この後の計画を説明するから、必ず明日香に会ってくださいよ」

 新幹線ホームに上ると、新幹線が停止するまで車内から見えないように自動販売機の陰で待機した。ドアが開くと、乗り込む客に紛れて車内に入り、親父さんを席に座らせて俺はナップザックを開いて帽子とパーカーを手にし、ナップザックを棚に載せた。

 ここでお別れだ。声を出すわけにはいかないので、手で「それでは」と合図をした。

 親父さんが優しく笑ってくれて、手を差し出した。それを軽く握り返し、急いで車内を移動した。邦雄と明日香がいる車両との間のトイレの近くで待機し、連絡を待った。緊張で汗が出てメイクが崩れないか気が気でない。

 新幹線が京都駅を出発すると、間もなく邦雄から「今車室を出た」というメッセージが届いた。同時に、自動扉が開閉する静かな音が聞こえた。

 俺はトイレに近づくと、「明日香、俺だ。豪毅だ、声を出すなよ」と通路の陰から小声で呼びかけた。

 明日香が「安達くん?」と答えながら現れた。

俺と明日香はまともに向き合うことになり、明日香は俺の顔を見た瞬間に口に手を当てた。

必死で悲鳴を抑えようとしているのか手の間からうめき声が漏れ、涙目になっている。

 本人にも驚かれるくらいなら問題なく化けられているのだろうと半ば安心したが、邦雄の戦略にまんまと乗せられていると思うと、面白くない。

 明日香が何か言おうとして口を動かしているが、驚きのあまり声にならないようだった。しかし、残念ながらゆっくりと説明している時間はない。帽子とパーカー、それに座席番号のメモを渡し、「急いで」と明日香の背中を押して送り出し、俺はトイレの扉を開けて中に入った。

 しばらく時間を稼いでウィグと衣装を整えてから、深呼吸をして自分に暗示をかけた。

「今からは明日香だ」

 トイレを出て車室に向かうが、さすがに足が震える。表情もひきつっていないかと心配になる。しかしこのわずかな時間だけだ。俺はここで大芝居を打つんだ。車室のドアが開いて静かな車内に入ると二つの視線を感じて、一層緊張した。

 明日香の所作は美しかったな。

 クイズ研究会の部屋で見たあのお辞儀は見とれてしまった。俺だって中学時代に長距離走っているから体幹が整っていて問題ないと、姉ちゃんたちからは言われたが、それでもずいぶん姿勢を矯正された。俺は、揺れないでくれよと祈りながら通路を進んだ。十歩にも満たない距離が永遠にも感じられた。

 邦雄の隣にようやく座れたが、動悸がひどい。脈拍が耳の奥で響いて呼吸が浅くなってしまう。

「落ち着け、落ち着け」と念じながら視線を動かさず、震える手を膝の上で合わせて押さえつけた。やがて後ろから通路をやってくる足音がして、俺の横で一瞬止まったように思えたが、そのまま前方にゴミ袋を持った背中が通り過ぎて行き、車室を出た。

 ここが正念場だ。監視役はゴミを捨てるとすぐに戻ってきた。とりあえずそのまま別の車両を探しに行かなかったのは良かった。ここで疑われないようにしなければいけない。俺は、監視役など全く目に入らないという表情を続けた。監視役の歩みが徐々に遅くなり、俺を観察しているように感じられた。姉ちゃんたちも太鼓判を押してくれたんだ、俺は間違いなく明日香になれている。好きなだけ観察してくれ、そう開き直った。

 監視役はそのまま通り過ぎた。大きな溜息が漏れそうになるのを抑えてゆっくりと呼吸をした。あとは無事に名古屋を過ぎてくれればいい。

 名古屋駅が近づくと手に汗をかいてきた。横目で伺うと邦雄も緊張した表情をしている。名古屋駅に着いても監視役が席を立つ様子はなかった。乗客が多数乗り込んできて、ドアが閉まり、ゆっくりと新幹線は滑り出した。周りで缶ビールを開ける音や弁当の包みを開く音がする。邦雄が立ち上がって網棚から本を取り出し、座席に座ると親指を立てた。

「ビールを飲んでいる」

 邦雄がそう小声で伝えるのを聞いて、ようやく緊張が解けた。笑おうとしたが顔が強張ってしまっている。親指を立てて邦雄に見せた。

 浜松を通過した、そろそろ退場するタイミングだ。拳を邦雄に向けると、邦雄は少し驚いて拳を合わせ、それから少し笑った。

 しかしそれはとても寂しい笑顔だった。

 監視役が不審に思わないようにゆっくりと車室を出ると、ちょうどトイレを使おうとする女性がいた。願ってもない幸運だった。俺はその人に順番を譲ってそのまま通過すると大急ぎで二つ先の車両に行き、俺が京都まで、そのあとは名古屋まで本当の明日香が座っていた座席まで移動した。そして網棚からナップザックを下ろして手に持ち、空いている多目的トイレに入った。急いで着替えてウィグを外し、メイクを落とす。

 最悪でも口紅だけ落として帽子をかぶっておけば大丈夫だと姉ちゃんには言われたが、ほぼ落とすことができた。ブーツだけはかさばるので替えがないが、上着とズボンで全く雰囲気が違うだろう。帽子もなくても大丈夫そうだった。

 名古屋まで明日香が座っていた席に戻って眠ったふりをする。やがてバタバタと忙しない足音が近づき、去って行った。しばらくするとまた足音が戻ってきた。しかし今度は少しよろけながらだった。急ぎながらも弱々しい足音が近づき、そして去って行った。

 監視役は俺の顔は知らないから大丈夫だとは思うが、念のため新横浜では手荷物の大きい客の近くを移動して目立たないように新幹線を降りた。

 階段を降りていると、頭の上で「お客様、車両のドアが閉まります、車内におもどりください」というアナウンスが二度、聞こえた。

 電車を乗り換えて自宅に戻る車内で、時間を見計らって邦雄にメッセージを送った。 

 いつまで待っても返事は来なかった。


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