安達豪毅 7
親父さんは、コーヒーを一口飲んで続けた。
「東野流は、明治維新の東京遷都に合わせて京都から分派して始まったから新しい。そのために女系継承という風変わりなしきたりを設定して独自色を出している。しかし、実際には明治天皇から下賜された、分派して東野流を設立せよという詔の巻物が重要だ、それが義弟の説明だった。それを持つものが正当性を継承する、女系継承ではなくてもいいし、免許皆伝というのも東野流を先細りにさせないためにも必要なことかもしれないと思っていると彼は言い、取引を持ち出してきた。その巻物を持ち出して渡してほしい、と。そうすれば、義弟が牧之条家に戻って東野流を改革すると言った。ただし、花香を含め誰にも気づかれないように。そう言って話してくれたお礼だと言って金を渡された。それは大きな金額ではなく、それゆえ気楽に受けとってしまったのだが、それで断れなくなった。その時に気づくべきだったんだ」
騙されたことに、だろうな。話が分かりやす過ぎる。親父さんは俺の顔をチラリと見ると話を続けた。
「五年に一度のご開帳が終わったばかりで巻物を収納した箱は、まだ宝物庫にしまわれずに義弟の指示通りの場所にあった。それを持ち出して義弟に渡した。これで全てが変わる、そう期待した。巻物が失われたことに気づいた義兄が騒ぎ出し、そして義弟が東野流を変えるだろう」
親父さんがふっと、寂しそうに口の端を上げた。
「もちろん、そんなことは起こらなかった。数日後に呼び出されると、そこには義兄と義母、そして義弟と花香がいた。義弟はうなだれ、義兄は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。義兄は、僕と義弟に向かって『お前たちの考えることなどお見通しだ。警察に告発されたくなかったら、家を出ていけ』と言った。花香は怒った。僕が彼女に相談しなかったことに、よりによって弟と結託して家に被害を及ぼそうとしたことに。少なくともあの時点では花香も東野流の人間だった。僕は、花香と二人になる時間を作って説明をしようとしたが、彼女は聞く耳を持っていなかった。唯一手元に残っていた写真の一部を切って、それをメッセージとして花香に渡した。時間がなかったから、それが精一杯だった。僕はそれから毎年、それぞれの場所で待っていたよ。まさか君のような人が現れるとは思わなかった」
「誤解というのは?」と俺は聞いた。
「それは、義兄と義弟が実は通じていた、ということだ。僕は念のために保険をかけておいたんだ。義弟に渡した巻物は偽物、ただの古文書だ。義弟は巻物の中身をきちんと見たことがないから、僕が渡した時に疑いもせずに受け取った。もしも義兄と義弟が本当に対立していたのだったら、義兄は義弟から『取り返した』時に中身をちゃんと確認するはずだ、義弟が本物を隠し持っていたらまずいからね。しかし呼び出された時に義兄は巻物については何も言わず、義弟から受け取ったまま中身を確認していないことがわかった。それで二人が実は最初から通じていて、罠にかけられたのは僕の方だったことを確信した。彼らは巻物をそのまましまったのだろう。そうすると保険が利いてくる。五年に一度のご開帳の前には宝物庫から出して虫干しをするから、長くても五年経てば全て明らかになるはず、花香の誤解も解けるはずだと思っていたんだ。それを支えに過ごしてきた」
そこまで話して言葉を切ると、親父さんは「すまん」と言って目元を指でしばらく抑えて、「花香が亡くなったのは、本当に残念だ」とつぶやいた。
「不安じゃなかったですか」と聞いた。「もしかしたら本当に二度と会えなくなるかもしれないし、実際奥さんは亡くなってしまったわけですし」
「そうだね、もちろん不安だよ。だけど、やれることしかできないし、それに」と言いかけて親父さんは少し考え込んだ。「だいたい最高のことは起きないけれど、最悪のことも起きない、なんとかなるもんだ、というのは経験上分かっている、ということはあるかな。それが年を取っていることの有利な点だな」
何者だこの親父さんは、と思った。卒業アルバムと今の見た目の違い、一人で京都で働き場所を探しながらも奥さんと娘のことを祈って、毎年こうして約束の場所に来ているその精神力。
俺は親父を思い浮かべた。親父は、だらしない。酒を飲めば潰れるし、趣味が競馬だ。しゃべっていること聞いていると精神年齢は高校生じゃないかと思う。それでも、事業の在り方についてはきちんと自分の考えを持っていて家族経営の利点に寄りかからずに順調に経営しているし、店は信用を得ているし、母ちゃんとは仲がいい。姉ちゃん二人は、なんであの親父から、と思うくらいきちんとしている。
体力とか記憶力では、親父さんたちと比べたら俺たち方が絶対に勝ってると思うし、なんだか不思議な気持ちだった。大人になるって一体どういうことなんだろう。もしかすると大人になるっていうのはこういう先の見えないときでも信じて続ける強さを身につけていくことなのか、とも思えてくる。
だとしたら、俺も気合を入れないといけないな。
俺は時計を見た。そろそろ準備をしないといけない。
「明日香は、どんな様子なんだろうか」
親父さんが急に話題を変えた。「背は伸びたのだろうか」
「昔を知らないので、スンマセン、わからないです」
「今はどのくらい?」
俺は溜息をついた。
「俺と同じくらいです」
そうなのか、ずいぶん伸びたんだな、と親父さんはつぶやき、写真はないのだろうか、と聞いた。
「これから会うんだから」と答えながら、三年会っていないのだと気がついた。俺は、今朝撮った明日香の写真を見せた。
「ずいぶん大人っぽくなったな、それにしても化粧が濃くないかい」
「明日香と会ってもらうために、作戦があるんです、時間が無くなってきたので作業しながら説明します。まずは一緒に動いてください」
俺はナップザックを肩にかけて、親父さんを促した。




