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  作者: ゆくえ知らず
早川久美子

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2/21

早川久美子 2

 でも私の方では、そんな風にうまく物事は進んでくれなかった。

 夏休み中に数日設けられている学校開放日には、学校に来ることができる人は文化祭の準備をすることになっていて、私も部活の合間を縫ってできるだけ参加しようとしていた。

 でも全てに参加するのは無理だったし、それは皆同じだった。夏休みは塾や部活やその他もろもろの事情があって、予定が重なってしまうのは仕方がないことだった。だから皆、できる範囲で頑張っているのだし、クラス全員そのことは理解していると、私は思っていた。

 でも、そう思わない人もいるらしいようだった。

 夏休み最初の学校開放日、私は午前中部活に参加して午後になってから教室に行った。そして教室に入るなり「早川さん、話があるの」と声をかけられて、佐藤夢さんと数人の女子に囲まれた。

 彼女たちが言うのには、私はやはりキャストをやるべきだということだった。「背が高くて見栄えがする」「野球部のマネージャーでなかなか準備に時間を取れないだろうからキャストなら負担も減る」というのが、彼女たちの言い分だった。

 確かに時間的な負担は減るかもしれないけど、私にとって精神的なダメージは絶大だった。私はこの容姿に自信が持てないし、人前に出て愛想を振りまくなんて絶対無理。

「推薦してくれるのはありがたいけれど。やっぱりできない、ごめんなさい」と、私は頭を下げた。

 彼女たちは明らかに落胆し、「クラス委員は引き受けたのに」と非難がましく言われた。でもそれは、私自身が望んだことではなかった。いつもそうだけれど、指名されたり推薦されてしまうので、人の世話をするのならまあいいか、と半ば諦めて引き受けていること。中学時代からのおきまりのパターンだったので、その経験で高校になっても引き受けただけのことだった。

「それは」と説明をしようとした私に、「偽善者」という言葉が投げかけられた。背中がすっと冷たくなった。

「やめなよ、言い過ぎだよ」と佐藤さんをたしなめる言葉も、「だってクラス委員で点数稼ぎはするけど、文化祭みたいな遊びは参加できないなんて」という彼女の追い打ちも、耳鳴りに遮られた。

 佐藤さんは他の子に背中を押されて離れていき、輪の中にいた誰かが「ごめんね、言いすぎて。気にしないで」と私に声をかけたのが耳鳴りの向こうで遠く聞こえた。

「偽善者」という響きは、いつまでも残った。

 

 その晩、夏休みの課題と休み明けの実力テストに向けた勉強のために、いつものように家まで来てくれた豪毅は、部屋に入ってきて私の顔を見ると、「大丈夫か」と心配そうな声を出した。

「みんながお姉ちゃんの様子がおかしい、って心配してるぜ」

 妹たちにもわかってしまうなんて、顔に出てるのかな。

 私が黙っていると、豪毅はいつものようにカバンから課題を出してローテーブルに置き、私の隣に腰を下ろした。

「野球部?」と豪毅が言った。

「文化祭準備?」と豪毅が続け、体を強張らせた私の様子を見て「何があった?」と聞いた。

 顔を上げることもできないまま、「偽善者なのかな」とようやく言った。胸が苦しくて声が震えた。

「は?」

「わたし、偽善者なのかな」

 石を吐き出すように、苦しみながらやっと言った。

「んなわけねえよ」

 間髪入れずに豪毅が力強く断言したので、私は驚いて顔を上げた。

 いつもと全く変わらない豪毅が、屈託無く笑っていた。

「久美子が偽善者だなんて、あるわけねえよ。何があったんだよ、言ってみ?」

 そう言われて、学校で起こったことを話した。話し終わると、豪毅がため息をついた。

「佐藤夢か。あいつ、一生懸命なのはいいけど、打ち込みすぎてたまに見境なくなるんだよな。何か上手くいかないことがあって、たまたまその時久美子が目についただけじゃねえかな。俺だってキャスト受けてないんだし、気にすんなよ」

 豪毅は、「やだ、やらない」の一言でクラスの女子一同の推薦を蹴ったのだった。メイド役はどちらかというとギャップの面白さを求めて、日焼けしていかつい、体育会系の男子に割り当てられたのだが、豪毅への推薦が目指していたのは、明らかに正統派の女装だった。この見た目と色の白さだったらクラスの女子が騒ぐのも無理もなかった。

「みんな、見たかったろうな、豪毅のメイド姿」

 小学生の頃、豪毅の二人のお姉さんが自分のおさがりを豪毅に着せて着せ替え人形のような扱いをしていたのを思い出す。

 小さく思い出し笑いをすると、豪毅が「絶対にやらねえよ」と口を尖らせた。それを聞いたら、少し呼吸が楽になった。

「でも」

 冷静になるとまた、「偽善者」という響きが耳の奥で蘇る。

「偽善者と思われていることは事実だよね」

「やめろって。とりあえずレッテル張りしてるだけだぞ」

「どういうこと」

 豪毅は頭が良すぎる。たまに何を言っているのかわからなくなる。

「偽善、ってすごくいやな印象がある言葉だよな。本心を隠してうわべでいいことをしてる、心の中には後ろ暗いことや企みがあるに違いない、って指を差さされたみたいな気持ちになる。でも、人の心なんていろいろで、何かの行動の裏側にある動機、というか気持ちについては、自分自身だって綺麗に説明できないことの方が多いし、そもそも動機が一つには決まらないことの方が多い、と俺は思う。でも偽善者だって指さすってことはさ、いろんな感情が混ざっている人の気持ちを無視して一つの動機に決めつけることになる。危ないのは、指差された側がその言葉の理由を探してしまって自分で自分を追い込んでしまうことだと思うんだ。いろんな気持ちが行動の裏側にはあるんだから、偽善者的な理由だって想像することはできる。まるでそれを目的にしていたかのように自分の気持ちを上書きしてしまうと、自分を責めることになるぜ」

 背中に冷たい汗を感じた。

「そういう危険な言葉だってちゃんとわかってなくて、佐藤はなんとなく使っただけだと思う。だから、気にすんなよ。それにさ、あっちでは人助けはしてるのにこっちでは人助けしてない、それはずるい、なんて言い草あるか? お前がやれよ、って言いたくなるね」

 豪毅は、言葉遣いが乱暴だけど優しい。見た目と名前と、喋り方と性格が、ちぐはぐだ。でも、いつも優しい。

「まあ、久美子は目立つのが嫌で、もともと人助けというかサポート役に徹するのが好きな性格だから、そういうカタチで自分を表現することがない奴らからは理解しがたいたかもな」

「どういうこと?」

 豪毅は、少しの間考え込んだ。それからちょっと笑って、言った。

「つまりさ、もっと我が儘勝手に振る舞っているように見えるくらいが、他人から見たら安心する、ってことさ」

 優しいな、豪毅は。涙がこみ上げてくる。もっと我が儘に振舞っていいのか。ここ数日の苦しさを全部消し去りたかった。

 ゆっくりと豪毅の肩に顔を寄せた。

「ありがとう」

 言葉とともに涙も溢れてきた。その涙がゆっくりと豪毅のシャツを濡らした。


 夏休みも終盤となり、最後の学校開放日となった。調理担当の私たちは、それぞれのメニューの見込み製造量と、それらに必要な材料の最終的な確認と、注文先との打ち合わせの進捗状況を共有し、メニューの試作と調理にかかる時間を計算して工程の最終調整を行っていた。

 キャスト担当の子たちも来ているはずだが、「絶対秘密」ということらしく、どういう衣装や格好をしているのかはわからなかった。

 佐藤さんには、前回の開放日に「私はサポートをするのが好きだからクラス委員も引き受けるし、マネージャーをやっている。やりたいこと、やってもいいなと思うことは引き受けますが、キャストはやりたくないからやりません」と、はっきり言った。今日はその佐藤さんがスタッフ担当の輪の中に見えないのでどうしたのかと思ったら、キャストに移ったということだった。

「あの子、前からキャストをやってもいいな、って言っていたの」とあの時私に謝った子が言った。どうやら私の言葉が背中を押してしまったらしい。

 打ち合わせをしている教室に、キャストの打ち合わせを終えた子たちが賑やかに入ってきた。なにやらおしゃべりをしていた子たちは、私たちスタッフを見ると口を閉じた。なにしろ「絶対秘密」なのだ。どのような衣装なのか興味はあったが、出来上がりを楽しみにしたい気持ちはあった。その集団に遅れて明日香が教室の入り口に現れ、私に目で合図を送った。手を止めて近づくと、帰りにお茶をして帰ろうと言われた。

 明日香の様子が少しおかしかった。


「何かあったの?」

 明日香から話があると言われたのに、ファミレスで席を取ると明日香は私への質問で会話を始めた。

「何か、って?」

「うん、少し悩みがあるような、でも充実しているような、ちょっと大人びた表情しているから」

 少しすっきりしたの、と私は先日起こったことを説明した。

 話を聞き終わると、明日香は考え込んで、それから真面目な顔をした。

「安達くんは、頭がとてもいいけどまだ子供なんじゃないかしら。安達君にとっては、クラスメイトは秘密基地を一緒に作っている仲間、久美子もきっとまだその一員。多分安達君は愛されすぎてるんだと思う、羨ましいわ」

 そうか、明日香から見ても豪毅は羨ましいのか、そう思って黙っていると、明日香がまた少し考え、言い直した。

「久美子の事は少し違うかな。きっとそのうち気がつくよ、久美子のことに」

 今度は私が話を聞く番だった。

「ママの様子がおかしいの」

 そう明日香が切り出した。

「私が中学一年生の時にパパが家を出て行ってしまったことは話したよね」

 私は黙って頷いた。

「私たち家族はすごく仲が良かったのに、パパが出て行ってしまった時、ママはその理由を教えてくれなかった。それにとても怒っていたの。私がパパに会いたいと言っても、ママはもう会うつもりもないと言って、それきり。私はその時から、ずっと不安で悲しい思いをして暮らしてきた」

 明日香が辛いことを思い出すように目をぎゅっとつむり、目尻に浮かんだ涙を拭った。 

「それなのに数日前、パパに会わなければ、謝らなければって。そうママが急に言い出したの。その日は、ママがお祖母様や叔父様たちと長いこと話をしていたから何かあったのだろうとは思う。でも、ママに事情を教えてと聞いても混乱しているみたいで、ただ探さなければと言うだけなの」

「探す?」

 お父さんを探すということなのだろうか。

「でもパパのことを言っているのではないみたいなの」

 明日香は、ママの様子が怖い、また相談させてと続けた。

 

 夏休みが明けるとすぐに実力テストに突入してしまった。そのあとも文化祭準備と部活に追い回されて、明日香と話す機会は全然取れなかった。それでもたまに教室で言葉をかわすと、お母さんの様子は「落ち着いている」ということだった。文化祭が終わったら一度ゆっくり話をしたい、そう言って不安そうでありながらも笑顔を作る余裕がある明日香に、私は「強くなったな」と思い、そして安心した。


 しかし文化祭の当日、明日香は学校に現れなかった。


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