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  作者: ゆくえ知らず
柳沢邦雄

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18/32

柳沢邦雄 11

 牧之条さんは、岡山へ向かう列車の中でも一言も喋らなかった。

 山の中では日が落ちるのが早い。夕日が山の峰の向こうに隠れると、谷を縫うように走る線路の周りはすぐに闇に覆われてしまった。牧之条さんは顔を窓の外に向けたままで、目を開けているのかどうかもわからなかった。列車は空席が目立ったが、行きの列車や出雲大社で見かけた顔はなかった。父親に会うことも叶わず落胆して東京に帰るだけなので、もしかしたら監視はもう外れているかもしれない。

 岡山からの新幹線は、思いの外混雑していた。念のため一つ車両をずらして乗車し移動したが、やはり付いてくる人はいない。

 本当にもう監視が付いていないかもしれない、そうであれば牧之条さんの誤解を解くために説明をする時間が取れる。

 しかし、確証が持てなかった。

 もしも監視が続いていたら、下手に動くとここまで慎重に積み上げてきたものを、最後の最後に自分の手で壊すことになってしまう。

 そんなことはできなかった。

 監視がいるのかいないのか、それを早く見極めなければならなかった。そして、時間は刻一刻と過ぎていく。一日動いた疲れもあり、さすがに思考力も低下してきて焦ってくる。

 ところが、新神戸を出発すると車両の後ろの方でちょっとした騒ぎが起きた。自分が予約した席に座っている人がいる、というトラブルだった。席を占拠していた人は乗務員に、この車両の中で他に空いている席はないか、と交渉していた。彼はすぐ近くの席に移ったようだった。

 ついに見つけた。やはり監視は付いていたのだ。しかもまだ監視は続いている。他の乗客と同じようにあまり関心がなさそうな視線を送って、乗務員と交渉している男性の様子を伺ったが、顔や容貌にあまりにも特徴がなさすぎた。一度目を離したら、次に顔を合わせても初対面だと思ってしまう、そのような印象だった。もしかしたら出雲大社にもいたのかもしれないが全く覚えがなかった。

 とにかく、これで作戦を先に進めることができる。

そして残念ながら牧之条さんに謎解きの説明する時間はなかった。根津高校の帰りに交わした約束、それを未来永劫守ることになりそうだ。

 僕は、「監視を見つけた」とタイプしたスマホの画面を牧之条さんに見せた。牧之条さんは、黙ってスマホを僕の手から取り上げると、「だから?」とだけ打ち込んで返してきた。

 京都駅が迫っている、細部を説明する時間はない。

「京都駅を出たら前方のトイレに行って。監視が見ているから自然に」

 牧之条さんがスマホを手に取ろうとするのを遮って、「お父さんに会ってきて」と続けてタイプして見せた。

 目の前に差し出された文章を、牧之条さんが凍りついたように凝視した。僕は、「まだ動かないで、そのままで」と続けてタイプした。

 放心していた牧之条さんの表情に戸惑いが広がり、まばたきをした。そして僕の方に首を動かそうとして、止めた。

 京都が近づくにつれて新幹線が速度を落とし、それに反比例するように僕の心拍数は上昇して、手に汗をかいてきた。

 京都駅を出発すると、僕はトイレの使用中ランプが消えているのを確認してから「行って」とタイプしてスマホの画面を牧之条さんに示した。

 一瞬牧之条さんが僕を見た、その瞳が何かを言おうとしているように見えた。

 しかし、言葉を交わす時間はなかった。

 牧之条さんは、そのまま席を立ち監視役の前を通らない車両前方に向かった。監視役が尾行に向かったら緊急連絡を入れようと身構えたが、監視役が立ち上がる様子はなかった。僕は、予定通りのメッセージを送った。

 牧之条さんが車室を出て一度点灯した使用中ランプがしばらくして消えると、程なく彼女が戻ってきた。表情を変えず、口も聞かずにそのまま何事もなかったように席に座る。

 彼女が戻ると、すぐに後方から監視役が近づいてきて、僕たちの席を通過した。ゴミ袋を手に持っている。車室を出るとゴミを捨てたのだろう、すぐにまた戻ってきて僕の隣に座る彼女に観察するような視線を一瞬送ったようだったが、そのまま何事もなかったように通り過ぎていった。

 やがて新幹線は名古屋に着いた。僕は後ろを振り返らないようにしながらも全身で監視役の様子を伺っていた。隣の彼女もそれは同様で、緊張して硬い表情をしたままだった。

 名古屋を出ると次の新横浜まで、一時間半近くのあいだ列車は密室状態になる。列車を降りることはできない。

 名古屋でさらに乗客が増え、缶ビールのプルタブが引かれる音や、弁当の包み紙を開く音があちらこちらから聞こえてきた。僕は、網棚に乗せたジャンバーのポケットから文庫本を取り出しながら監視役の様子を伺った。期待した通り、彼も缶ビールを開けてリラックスしていた。それはそうだ。監視対象はここにいて、お父さんにも会えなかったのだ。そしてもう逃げられる心配はない。

 僕は座席に体を沈めながら親指を立てて彼女に見せた。彼女もようやくリラックスしたようで無言で親指を立てた、少し笑ったようだった。

 あとは彼女に消えてもらうだけだ。浜松駅を通過してトイレが使用可になると、彼女が拳を向けてきた。僕が拳を合わせると、彼女はそのまま無言で席を立った。

 トイレの使用中ランプが点いて、やがて消えた。

 そしてそれきり彼女は戻ってこなかった。

 しばらくするとさすがに監視役も、彼女が戻らないことに気がついたようで、慌ただしい足音が近づいてきた。足音はイヤホンをして本に没頭しているふりを続ける僕の席の横の通路で一瞬立ち止まり、それから早足で車室を出ていった。

 長い時間が経過したが、監視役が戻ってこないまま新幹線は新横浜に到着し、かなりの乗客が降りた。しばらくすると「お客様、車両のドアが閉まります、車内におもどりください」というアナウンスが二度流れた。ようやく戻ってきた監視役は、赤い顔に汗をかき、呆然とした表情をしていた。彼は、僕の席の横で立ち止まり僕を睨みつけた。アルコールを入れた体で新幹線の中を走り回ったのだろう、肩で息をしていた。僕は、イヤホンを外すこともなく、ちらりと彼を見ると、「変な人がいるな」という表情を作って視線を本に戻した。ゆらりと影が揺れるように彼が離れていった。

 僕は品川駅で降りた。

 

 山手線に乗り込むと、タイミングを計っていたように豪毅から「お疲れ」とメッセージが届いた。

 返事を返さず、そのメッセージを眺めていると、しばらくして「元気出せよ」と続けて送られてきた。

 僕は、その文字を長い時間眺めていた。そして、結局返事はしなかった。それから、昼に出雲大社の銅の鳥居で撮影した牧之条さんの写真を見た。少し体を傾けてピースサインをこちらに向けて、卒業写真のお母さんと同じように微笑んでいた。本当に素敵な笑顔だった。

 これで終わった、もう牧之条さんに会うことはない。別れはいつもこれほどに唐突で淡白だ。母が亡くなったことを理解した時と同じだ。気が付いた時には、もういない。胸まで水に浸かったような冷たさと体が動かない感覚が蘇ってきて、僕は視線だけを上に向けて山手線の車内広告の、乱暴に並べられた文字を追った。

 牧之条さんの人生は、お父さんに会えることできっと変わるのだろう。僕たちは彼女の人生にもう関わることはないし、彼女を裏切ったと誤解されたことを弁明する機会もない。牧之条さんの前途は開けた、僕の方は何も変わらない。

 豪毅、言っただろう? 棄権するよ、クラス対抗駅伝大会は。

 次のロングホームルームでそう宣言するよ、予定通りに。


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