柳沢邦雄 5
僕は、卒業アルバムにある牧之条さんの両親の写真を複写した。一つは牧之条さんのため、一つは、お父さんと会う時のためだ。
帰り際、玄関で高橋先生から声をかけられた。
「お役に立てたかしら」
卒業アルバムを見ることができたおかげで謎が解けたのだ、感謝しても感謝しきれない。
「はい、ありがとうございました」と、できる限り深く頭を下げた。
「彼女を助けてあげられそう?」
僕は、多分気持ちが高揚していたのだと思う、牧之条さんをずっと近い存在に感じていた。
「はい、多分。いや、助けます。何としても」
高橋先生は微笑み、「しっかりやりなさい」と言ってくれた。
二人で揃ってもう一度高橋先生に頭を下げて玄関をでた。振り返ると職員室に戻ろうとする高橋先生が受付のおじいさんに声をかけられていた。僕たちがここにきたことも、何を見つけたのかも、「牧之条家」には伝わってしまうと考えたほうがよさそうだった。
「柳沢くん、あのね」
根津駅までの道を、二人とも口を開くことなく歩いてきたが、地下鉄への降り口のサインが見えてきたところで、牧之条さんが口を開いた。
「あのね、写真の謎のことだけど」
そう言って立ち止まった牧之条さんの視線に、以前はなかった強い光が見えて、聞かれたら僕は言いにくいことを言わねばならないのかと、と覚悟した。
「教えてくれなくていいから」
意外だった。そして、そうか、わかってくれているんだと、ほっとため息をついた。僕も伝えるつもりはなかったんだ。
「聞いてしまったら、家で追及されたら何か言ってしまうかもしれないから」
僕が頷くと、「パパに会えるのよね?」と僕の目をまっすぐに見上げて聞いた。
牧之条さんは本気だ。本気で逃げようとしているし、お父さんに会えると思っている。瞳を見て、彼女の覚悟を感じた。そして僕の胸の、ずっと奥の方で何かが燃え上がった。体の中心から血管を押し広げながら体の外に向かう力が沸き起こってきて、戸惑った。ミッションに立ち向かう武者震いだ、そう思うことにして僕はもう一度頷いた。
「ありがとう」
それは資料室でも聞いた牧之条さんの声だった。牧之条さんの瞳が一瞬揺らいだが、すぐに向きを変えて歩き始めてしまった。そしてそれきり牧之条さんは振り返ることはなかった。
家に着くとハルさんがまだいる時間だった。夕食の準備をしている音がする。
「ただいま」と玄関で靴を脱ぎながら言った、自分の声に驚いた。
ハルさんが顔を出して「おかえりなさいませ」と言ったが、いつもの無機質な表情とは違っているような気がする。
ハルさんが僕の顔を見ながらたずねた。
「どうかされましたか」
気になって顔を撫でてみた、何もない、と思う。
ハルさんがシワの目立つ小さな手、その甲を口元に当てて笑った。
「ほほほ。違いますよ。今日は何か楽しいことでもあったのかと、そう申し上げたのです」
「何で?」
「声が」
「声が?」
「違っていました。柔らかい響きでした、落ち着いたいい響きでした」
耳が熱くなった。ハルさんは表情を変えずに僕が通り過ぎるのを待っている。
「あの、ですね」
「はい」
「僕の部屋の掃除、自分でするので触らないでもらっていいですか」
「はい、それが良いと思います」とやはりハルさんは表情を変えずに言うと、軽く頭を下げてキッチンに戻って行った。
ハルさんのすっと伸びた背中を見て、牧之条さんの綺麗なお辞儀と「パパに会えるのよね?」と言った時の牧之条さんの瞳を思い出した。
時計を見るとまだ六時前だった。
僕は、豪毅に「折り入って話がある、今からお前の家に行く」とメッセージを送った。今日は両親を手伝っているらしく、豪毅からは「店の方に来てくれ」と返事が届いた。




