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  作者: ゆくえ知らず
柳沢邦雄

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10/22

柳沢邦雄 3

 

 『3–C』と掲げられた教室には数人の生徒が残っていた。

 彼らは、「ちょっと失礼するわね」と言いながら入ってきた高橋先生に首から上だけで挨拶を返し、巣鴨北高校の制服とスーツの奇妙な組み合わせに好奇の視線を投げてきた。

「この階は三年生が使っているの。他の教室は部活で使っているので、ここで我慢して」

 写真と見比べると、黒板の上に書き込まれた「月」「日」「曜日」や「日直」などの字体は時間が止まったように同じだった。でもそれだけだった。写真に写っている範囲がそもそも黒板の右端だけなのだから手がかりをそこから探すのは不可能に思えた。

 何か手がかりはないだろうか。牧之条さんの両親の思い出が詰まった場所に残されているものはないだろうか。考えを巡らせているうちに、思い当たった。

 ある。

 学校には毎年度分が保存されているのではないだろうか。しかし、どうやって切り出すか。

「父も、ここの卒業生なんです、母と同じ学年でした。それであの写真が父から母へのメッセージのはずなのです。どこかにヒントがあると思うんです」  

 目を潤ませて愛おしげに教室を眺める牧之条さんに、高橋先生が優しいまなざしを向けた。

「三年生の教室はずっとこの階を使っているから、この教室をあなたのご両親も使ったかもしれないわね。同じクラスだったの?」

「いいえ、同じクラスになったことはないと、母は言っていました」

 牧之条さんは、「お母さん」とつぶやいた。

「ご両親は何組だったの?」

 高橋先生の質問に牧之条さんは首を振って「知らないんです」と答え、「お母さんとお父さん、どんな学校生活を送ってたんだろう」

と言って教室を見回した。

 高橋先生が「卒業アルバムを見たことはないの?」と聞いた。僕は心臓が口から飛び出すほど驚いた。

「ないです。家にはお父さんの場所もお母さんの場所もなかったし」

 背後から(なんの話?)とささやき合う生徒たちの声が聞こえた。

「それに私の居場所も」と牧之条さんが続けた。

 高橋先生は、ちらりと教室に残っていた生徒たちを見ると、その場を離れるように「ちょっといらっしゃい」と僕たちを促して廊下に出ると、そのまま無言で足早に歩き出した。

「あの」と僕は声をかけたが、高橋先生は振り返ることなく階段を降りていき、職員室の前で僕たちを待たせると、「資料室」という札のついた鍵を持って出てきた。

 手に汗が出てきた。思いも寄らない展開だった。

「本当は部外者には閲覧させないのだけれど」

 『資料室』と表示されたドアを解錠しながらようやく口を開いた高橋先生は、中に入ると「ご両親は何年度の卒業生?」と聞いた。

 牧之条さんが「えーっと」と指を折った。

「あれ、平成、昭和?」と言いながら首をひねるので、「1992年度、平成四年度の卒業生だよ」と僕は横から助け船を出した。牧之条さんの頬が赤くなった。

「あ、ありがとう」

 高橋先生は、くるりと背を向けると、「平成四年度、と」と言いながら並んだ資料の背表紙をなぞり一冊の卒業アルバムを取り出した。窓際の机の上に置き、椅子を引きながら「でもあなたは部外者じゃないから、どうぞ」と牧之条さんを促し、卒業アルバムに視線を落とすと耳元の髪の毛をかきあげた。

 その時、何かがおかしいと気がついた。どこかで見た光景だけど何か違う。

 牧之条さんは椅子に座り、壊れ物の宝物を扱うように震える手でビロードの表紙を撫でてから、そっと開いた。僕も横からのぞきこんだ。

 校則が厳しくなかったのだろう、いかにも運動部という精悍に日焼けした子には坊主頭もあったが、その他の男子は今と変わらぬような自由な髪型だった。しかし女子の髪型は今とは随分違っていた、当たり前だが染めている子などいなかった。

 牧之条さんは、僕にも見えるように各クラスの写真をゆっくりと確認しながらページをめくった。3–Bに出席番号34「牧之条花香」、があった。

「ママだ、若い。髪の毛長かったんだ、かわいいなあ」

 写真の輪郭を指でなぞるようにしながら牧之条さんがつぶやいた。

こんな声で喋るんだな、と思った。引っ込み思案の静かな声とは違う、深い感情に溢れた優しい声。

 そして3–E、出席番号10「佐藤圭」のところで、牧之条さんが小さく笑った。

「パパは、高校時代こんな感じだったんだ」

 生真面目そうにカメラを見つめる、長髪で丸顔の高校生がそこにあった。

「名前無かったら絶対わからなかった。頑張って絞ったんだなー。今の方が全然かっこいいよ」

 牧之条さんが半分涙声になって写真に向かって語りかけた。

「そうなのか」

 見たこともない牧之条さんの父が今はどんな容姿なのか想像しながら、僕は自分の太い腹を見下ろした。

 二人の存在は確認できた、でもそれだけだった。

 この場所は、この高校は牧之条さんの両親、とりわけお父さんにとって大事な場所なのだ。手がかりがあるとすればここにあるはずだ。時間が限られているかもしれないのだから、もっとどんどん先に進まないと、と焦る気持ちになった。

「ちょっと」

「なあに」

 打って変わって冷たい口調になり、ゆっくりと返事をする牧之条さんの言葉で、興奮していた気持ちが一気に冷めた。

「いえ、失礼しました、なんでもありません」

 自分の役割を忘れていた。怪しまれて調査ができなくなっては元も子もない。冷静になれと心に言い聞かせて、高まる鼓動を抑えながら、熱くなる感情を冷ましながら、牧之条さんの手元に集中する。

 高橋先生の様子を伺うと、僕たちの様子を気にしている風でもなく、近くの棚を眺めて時折資料を手に取っていた。まるで、見ないことにしているから好きなだけ調べなさいと言っているかのようだった。牧之条さんは小さく息を吐いて、ページを再びめくった。

 入学式、体育祭、文化祭、模擬裁判研修、社会科見学、合唱祭。

 牧之条花香は目立つ存在だったのだろう、生徒が均等に写るように気を配っているとはいえ、その姿がよく目に止まった。対照的に佐藤圭は、大人しかったのか背中を丸めている姿が写真の端を埋めていることが多かった。クラブ写真では、牧之条花香が茶道部の集合写真で振袖姿を披露する一方で、佐藤圭は学生服とブレザーの男女が発表内容が記された模造紙の前に並ぶという、地味な歴史研究会の集合写真に収まっていた。

 卒業旅行は、京都と山陰地方だった。

「海外とかこの頃はないのね。京都と奈良だと中学校と一緒になってしまうから山陰なのかしら?」と独り言を言いながら写真を眺めていた牧之条さんが、「あ」と小さな声を出して手を止めた。

 班ごとに分かれて行動したのだろう、五、六人ほどのグループ写真がページを埋めていた。その一つに、出雲大社の銅の鳥居の前で拝殿を背景にして、牧之条花香と佐藤圭が一緒に収まっている写真があった。

「パパとママ、一緒のグループだったんだ」

 前後に男女で並んだ集合写真、女子はピースサインを出して体を寄せ合っているが、男子は女子の後ろで緊張しているようにまっすぐな姿勢で手首の先だけで控えめにピースサインをしている。

 そして、佐藤圭の視線はひっそりと牧之条花香の背中に向けられていた。

「パパ、これじゃバレバレだよ。ママは鈍感すぎたのね」

 写真を見ながらつぶやいた牧之条さんは、しばらく写真を見つめていたが、堪えきれなくなりしゃくりあげると、声を上げて泣き始めた。

 高橋先生がゆっくりと歩み寄り、牧之条さんの震える肩に手を置いた。

「そう、ご両親の写真なのね」

 ページのタイトルには、「修学旅行二日目 神話の国出雲へ 1991年6月11日」とあった。

 「神話の国」、そのタイトルが目を引いた。先ほど見た写真で、佐藤圭は歴史研究会にいた。そしてあの写真の10月の上のバツ印。 

 思わず、声が出た。


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