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恋と死刑と無期刑囚  作者: 畑中雷造の墓場
第三章 恋と死刑の代償
42/49

豹変

     13


 気づけばアタシは女子棟の地下への階段を降りていた。鍵と鎖が何個もついた頑丈そうな扉が開けられ、看守に引き連れられてその扉の向こう側に進む。薄暗い空間がアタシを迎え入れた。

 前に目を向けると、天井に橙色の電球が吊るされた細い通路が奥へと続いていた。その両脇にはいくつもの鉄扉があるようだった。扉の中央やや下には、食事の際に使われるのか、突き出たトレー置き場があり、郵便受けのような隙間が空いている。

 看守に背を押され歩いていくと、それぞれの房の隙間から、無数の指が飛び出てきた。その指の奥には、濁った目玉、黄ばんだ歯、動く舌が見えた。ようこそ新入りちゃん、いい体してるね、死ねや! こっち向けおらぁっ! ※▲〇■~! 左右から下卑た声や意味のわからない奇声や壊れた笑い声が降りかかってくる。なに、ここ……。空気が濁っているのか、とても嫌な感じがする。

「止まれ」

 奥の方の房の前で立ち止まり、看守は扉の鍵を開ける。扉が開かれ、入れ、と言われる。

「あ、あんた」

 アタシは看守の顔を見上げて、見覚えのある送迎係の顔だ、と気づく。死刑囚担当看守だった。開かれた扉の前でむすっとした顔を見ていると、背中をかなり強い力でどつかれ、暗闇に放り込まれた。

「っ……、なにすんの」

 振り返ったときには、もう扉は閉じられ、鍵をかける音がしていた。

 アタシは狭い空間を見回す。角にトイレらしきものがあるだけで、窓もない。ただただ狭く、暗い場所だった。死刑囚房だ、と確信する。

 独りになり、喧騒が遠ざかったことで、自身の手錠のカチャ、という音が聞こえた。

「手錠! 手錠されてんだけどアタシ! 外してよ!」

 アタシは唯一光のある扉の隙間に走り寄り、そこに指をかけて叫ぶ。反応がないので目を食い込ませるようにして隙間から覗いてみるが、目に映るのは通路の夕闇の色と、正面の無機質な鉄扉だけだった。


 冷たい床の上で過ごすこと数時間。すこし冷静になり、自分が靴を履かされていないことにも気づいた。一般房と違ってここでは靴も履かせてもらえないみたいだ。

 ぼーっとしていると、視界の端にあった光が消えた。首を向けると、誰かが扉の向こう側にいるみたいだった。鍵が開けられる音がして、扉が開かれた。

「あっ……」

 ミストと死刑囚担当看守だった。「大丈夫、大事な話をするから、しばらく離れていてくれ」と言って、ミスト一人だけで房に入ってきた。扉が閉まる。

「ミスト……」

 アタシは呟き、立ち上がる。でも自分が何を言いたいのかわからなかった。怒鳴りたいのか、わけを話してほしいのか、怪我が大したことなさそうで良かった、とでも言いたいのか。

 ミストは扉の外に耳をそばだて、やがて気配が去ったことを確認したのか、アタシの前を通り過ぎて房の奥に歩いていく。そこで振り返って、なぜかクツクツと笑いだした。その笑い方も、雰囲気も、アタシの知るミストではなかった。

「……ミスト?」

 アタシが呼ぶと、ミストの笑い声がピタリと止む。そして、ミストのものとは思えない突き放した声で言われる。

「俺の名前を気安く呼ぶな、このイカれ女が」

「えっ」

 彼の豹変ぶりに、アタシは恐怖を覚えて後ずさる。

「お前とのこと全部、俺の目的のための嘘だったんだよ。まだわかってないのか、バカが」

「え……」

 今、全部嘘、バカ、って、言った……? アタシはミストが途端に怖くなる。

 彼は冷笑し、「まあいい」と続ける。

「署長が死んで、全権限が副署長に移ったぞ。これがどういう意味か分かるか?」

 署長が死んだ? 権限? 副署長? アタシの思考は現実に追いつかない。

「分からないか。ハハッ、じゃあ教えてやるよ。——喜べ、お前の死刑執行が確定したんだよ」

「……死刑、執行」

 アタシは口の中で繰り返した。でも、べつに死刑になることには驚かなかった。そんなことよりも聞きたいことがあった。

「なんで? ミストは、なんでこんなことしたの?」

 ミストが署長を殺そうとした理由がわからない。

クツクツと笑ったミストが、両手を広げた。

「俺が署長を殺して、お前を死刑囚にした理由? ああ、いいよ、全部教えてやるよ。ハハッ。もう死刑は確定したからなぁ」

 テンションが異様に高くなったミストは、ニタニタしながら近づいてきた。アタシの目の前に指を突き出してくる。

「お前が最初に死刑で殺した相手がな、俺の婚約者だったんだよ」

「……婚約者?」

「ちっ、最悪だ。俺の、愛するジンを、よくも」

 最初に処刑した死刑囚は、覚えていた。海藻のような長い黒髪の男だった。そうだ、たしかジンと呼ばれていた。え、でも、それが婚約者ということは、ミストは男が好き、ということなのか。その結論にたどり着くと、アタシは驚愕する。

 怒りを発散させるように、ミストは壁に靴裏を叩きつけた。

「俺は、婚約者のジンが無期刑囚になったから、看守になった。毎日会って話すためにな。——だから、理不尽に死刑囚にされて、無惨に殺されたって聞いたとき、俺はお前らに復讐を誓ったんだよ」

 鬼の形相になったミストがアタシの頭を鷲摑みにして、壁にガン、とぶつける。痛っ。……そうか、最初から復讐のためにアタシは利用されていたってこと、か。そっか。そっか……。

 それからミストは、復讐を誓った日からこれまでのことを面白おかしく語った。

 監獄外の殺人は警察沙汰になる可能性が高くリスクが高いため、監獄内での殺人に決めたこと。

 女子棟に常駐する署長とアタシを殺すために、賄賂看守に金を握らせて女子棟に移ってきたこと。

 最初は死刑で精神が狂ったアタシに署長を殺させ、殺したアタシも死刑に処す計画だったこと。しかしアタシは大して狂わなかった、それにこの方法では復讐にならないと気づき、署長を自らの手で殺し、その罪をアタシに被らせる計画に変更したこと。

 署長が毎朝花壇の世話をするために倉庫を行き来することと、アタシがミストとヤりたがっていることを利用し、倉庫にアタシを呼んで殺人を実行するのを決めたこと。

「だが俺は慎重にならないといけなかった。絶対にしくじるわけにはいかなかったからだ。もし署長を殺す当日、お前が倉庫に来なかったら、俺と両親の人生は終わるからな」

 もしアタシがあの日倉庫に行かなかったら、ミストが殺人犯として逮捕された、ということだろう。そうなれば両親も世間に殺されてしまう。

「女とキスするのは最低の気分だったよ! だが、信頼を得るためにはどうしても必要だった。特にヤウリィのな。あいつに罠だと一%でも疑われたら、当日倉庫に行くお前を止められる危険性があったからなぁ。——ハッ、まあ、成功したが!」

 アタシのキスと恋心は、全部まやかしだったんだ。すべては、復讐のため。胸が握りつぶされるように痛む。ミストは高揚しているのか、早口で続ける。

「ああでも、あそこで署長に反撃されるとは思ってなかったなぁ。俺のシナリオじゃ、署長を殺した後、お前に襲われた用の怪我を自分で作る予定だったんだが。それがまさかあいつ、頭にスコップを思いっきり叩きつけてもまだ動くとは思わなかった。おかげで腹をやられた。ゾンビだよ、あいつは。ハハハハッ」

 どこか壊れたように笑うミスト。話は、そこで終わったようだった。復讐のせいでおかしくなってしまったように見える。

「悲しいよ、ミスト……。アタシ、ミストと両想いになれて、嬉しかったのに」

 爽やかに白い歯を見せるミストが脳裏に浮かぶ。あのミストは、もういないのか。

「何が両想いだ、気持ち悪いんだよお前」

 舌打ちされ、睨みつけられる。でもそれから、皮肉げに口角が上がった。

「ハッ、だが俺もある意味ではお前のことを想ってたよ。純度百%の『殺意』だけどな」

 せっかく両想いになれたのに、そんなふうに壊れちゃったら、嫌だよ。あの笑ってるミストがいいよ、アタシ。

「ヤりたかったな、本当に好きだったから」

 あのミストと、アタシは幸せを感じたかった。本当に、心底悲しい。

「イカれてるんだよお前」

 腹に蹴りを入れられる。壁に背中を打ちつけ、アタシは床にうずくまる。

「ハッ、一応聞いといてやるよ。最後になんか言いたいことはあるか? このクソが」

 吐き捨てるように頭上から悪罵が降ってくる。

 アタシは半ば意地になって顔を上げ、想いを伝える。

「好きだよミスト、全部聞いた、今で——うっ」

 手が伸びてきて、首をつかまれる。壁に後頭部がめりこむほど押し込まれる。

「気色悪いんだよお前。いい加減に死ね」

 汚物を見るような目でそう言われ、床に乱暴に投げ倒された。

 上からつばを飛ばされ、べちゃ、と頬にかかった。扉が乱暴に閉ざされる音がした。

 アタシの前には、ただ暗闇が広がっていた。

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