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恋と死刑と無期刑囚  作者: 畑中雷造の墓場
第三章 恋と死刑の代償
41/49

なんで?

     12


「あ、あの……」

 ヤウリィが虚ろな目で頭を揺らして立ち上がり、近くにいたヤリ看に体重を預けるようにしなだれかかった。

「どうしたっ⁉」

 作業開始からすこし経った、朝の被服室での出来事だ。ヤリ看が倒れかかってくるヤウリィの肩を支えた。ヤウリィは貧血、という体で医務室に行ってくれるらしい。

 アタシはヤリ看の腕時計をちらと盗み見る。八時十分をすこし過ぎていた。

 ヤウリィとヤリ看が医務室へ行くと、アタシはおもむろに立ち上がり、窓に向かって自然に歩いていく。なんだこいつ、という視線を浴びるが、唇の前に指を立てておけば問題ない。ロッドはもういないが、ボス猿の手下たちに騒がれても面倒だ。アタシはミシンの前に座るアンシュにウインクしてから(ほんとは嫌だよ?)、窓に手をかける。窓を開けて顔を出し、左右に首を動かす。

 大丈夫、誰もいない。

 よし、と気合いを入れてから、アタシは窓から飛び降りた。短い草の上に着地する。

 アタシは壁際を走り、隣の看守休憩室の窓の下を屈んで通過し、建物の角に来る。ミストのことだからたぶん抜け目ないだろうけど、女子専用看守休憩室に今は誰もいないことを願って、アタシは全力で駆け出した。

 倉庫の入り口に無事辿り着き、中に入る。相変わらず薄暗くて、奥の方は何も見えな——

「——っ」

 瞬時に違和感に気づいた。アタシの目はそれに釘づけになった。正面奥の壁際に、人が倒れている。一瞬、体が硬直する。看守服を着ているのはわかる。アタシは顔を確認するため、うつ伏せの状態のその人物の横顔を注視してみる。

「署長……!」

 倒れているのは署長だった。アタシはおそるおそる駆け寄り、

「署長、署長——!」

 と肩を揺すってみる。

「え」

 手のひらが若干濡れた気がして、目の前に持ち上げてみると、赤黒く汚れていた。粘り気のあるそれを指で擦り合わせると、すぐに血だ、と気づく。慌てて見下ろすと、床にも薄く血溜まりができている。

「ぁ……」

 署長の口からかすれた息のような小さな音が漏れた。

「署長! 署長——!」

 よかった、まだ生きてる。アタシは声をかけ続け、あ、そうだ、救急車呼ばなきゃ、と急いで立ち上がろうとした。と、そのとき、

「ネネ……」

 弱々しいが聞き覚えのある声がした。横を振り向くと、薄闇の中、ミストが積み重なった肥料に背を預けて座っていた。横腹を押さえている。

「ミスト、どうしたの? 大丈夫⁉」

 駆け寄り、肩に手を置くと、ミストの鼻と口の周りに血がついていることに気づいた。手で押さえている脇腹の部分は、濡れているように見える。出血しているのかもしれない。床にはスコップが転がっていた。そのへりと床も黒く濡れて見える。

「ミスト……!」

「やられた……署長に……」

「やられたって、なんで……」

 倒れている署長に視線をやるが、いや、それよりも今は、と強引に頭を切り替える。

「早く救急車呼ばないと! 連絡は、まだ? 無線は?」

 看守が無線でやり取りできるのは知っていた。救急車を直接呼べるかはわからないが、腰についている無線機を見てミストに問うと、「した……もうすぐ来るはず……」と辛そうに顔を歪めた。

「救急車? それとも看守に連絡しただけ?」

「……どっちもだよ、大丈夫、もうすぐ来る……」

「そう、わかった、……ごめん、アタシちょっとパニクっちゃって、どうしたらいい⁉」

「——うっ」

「ミストっ⁉」

 脇腹を押さえている手に視線を落とし、ミストはさらに顔を歪める。痛そうだ。アタシはどうしていいか分からず、血のついたミストの手に自分の手を重ねていた。

「ああ、うん……それがいい、強めに押さえといてくれ……」

「わかった!」

 アタシは痛みと格闘するミストの顔を見ながら、言われた通り、脇腹に置かれた手を必死に押さえ続ける。

 やがて、足音が聞こえてきた。アタシは入り口の光に目を向ける。逆光でよく見えないが、影がぞろぞろと三人ほど入ってきたのは確認できた。早く! と言おうとする直前、ミストにぐい、と体を引っ張られてアタシはミストに覆いかぶさる形になった。

「やめろ! ——助けてくれ!」

 突然眼前のミストが大声を張り上げた。は? ミストはアタシの腕を掴んで揺らす。薄闇の中だから、傍から見たら揉み合っているようにも見えるかもしれない。と、気づいたときには男看守が走ってきて、アタシの腕を取ってミストから引きはがした。

「なにやってるんだっ⁉」

「いや、アタシは……うぁっ!」

 誤解だ、と説明する暇もなく床に背中から押し倒され、馬乗りになられた。

「ミストさん!」「署長! ——署長っ!」「救急車呼べ!」「わ、わかった、今呼ぶ!」

 慌ただしく看守たちが声を発し、アタシの上に乗った看守も無線機に怒鳴り散らしている。救急車は呼んだって言ってなかった⁉ アタシはミストの方にバッと顔を向ける。ミストは一瞬だけアタシを見て、笑った、ように、見えた……。

 馬乗りになった看守が、アタシを真上から見下ろし、唾を飛ばしてくる。

「お前、ここで何してた! 言え!」

「ア、アタシはただ……」

 ミストとここで待ち合わせしていただけ、と言おうとして、でもそれを言ったらミストが疑われる、と反射的に口を噤んだ。違う、アタシはミストに騙されたんだ、と頭では気づいているのに。

「俺が説明する……」

 ミストが苦しげな声で言った。え、説明って、なにを。

「俺が腹痛で作業場を抜けて、薬を取りに休憩室に行ったら……、窓の外を囚人服が通ったから、追いかけたんだ……っ。倉庫に入ったら、もう署長は殺されてた。見つけた俺も口封じのためか、殺されそうになった。そのスコップで……痛っ」

 無理するな、もう喋らなくていい! と別の看守が言う。

「お前……!」

「違う、アタシはそんなことやってない!」

 なんだそのでたらめな話は! まるで違う!

 ミストが、ミストがやったんだ! 喉元までせり上がってきたその言葉が、なぜか引っ込んでしまう。

「じゃあ他に誰がやったんだ! 囚人のお前がここにいるのが何よりの証拠だろ!」

 違う、違う、とアタシは首を振る。でも、どうしても、ミストがやった、とは言えなかった。こんなことされても、まだ好きなのか。いや、でも本当のことを言わないと、アタシが殺人犯になっちゃう。でも、ミストがやったって言っても……。

 葛藤を続けている間に、サイレンの音が近づいてきた。救急車が倉庫の前に到着し、救急隊員が倉庫に入ってきた。署長は担架に乗せられて救急車に、ミストはまだ動けたので医務室で処置する、と言われ、二人ともアタシの前から去っていった。


 アタシは手錠を嵌められ、二人の看守に挟まれてどこかへ連行されていた。頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 ミストはなんで署長を殺そうとしたの? アタシを騙したのはなんで? アタシを好きなんじゃなかったの? こうするためにアタシを利用してたの?

 ……わからない。

 とにかく、混乱するし、意味わからないし、ものすごく悲しい。ぐるぐる、ぐるぐる、と終わりのない「なんで?」が脳内を支配し続けていた。

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