——矛盾してる。
10
死刑囚担当看守に連れられ、アタシは廊下を歩いていた。ぼうっとする頭に、かすかに水の流れる音が聞こえてくる。そちらに視線を向けると、ちょうどトイレの電気が消え、看守が出てきた。
「ミスト……」
トイレから出てきたのはミストだった。ハンカチで手を拭きながら、アタシたちに近づいてきた。死刑囚担当看守に言った。
「お疲れ様です。あの、僕が代わりに送っていきますよ。ちょうど今から戻るところですので」
「……そうですか。では、お願いします」
すこし迷ったようだったが、死刑囚担当看守はアタシの手錠を外した。
「行こうか」
ミストはアタシに小声でそう言い、背を押してゆっくりと歩き出した。
隣にミストがいる。アタシは、どんな顔をするのが正解なのか、わからなかった。だって、アタシがミストに恋しなかったら、ロッドに憎まれることはなかったし、コーヌが巻き込まれることもなかった。死刑になるなんて結末、あり得なかった。大好きなコーヌをこの手で処刑することもなかったし、こんな気持ちになることもなかったはずだ。
「ミスト?」
これから作業場に戻ると思っていたが、途中でミストは立ち止まり、廊下の前と後ろを素早く確認し、ポケットから鍵を取り出した。なにしてるの? と聞くアタシを無視して、ミストは備品庫と書かれている部屋の扉を開錠した。もう一度廊下を確認し、手招きした。
「おいで」
言われるがままにアタシは部屋に入った。薄暗く、静かな感じがした。雑多なものが棚中に置かれている。ミストが後ろで鍵を閉めた音がした。
「座ろうか」
握った手を引かれ、扉からすこし離れた壁際にミストが座り込む。股の間を空けていて、アタシはそこに導かれるようにして座った。尻がひんやりして、背中が温かい。
ミストがいきなり、アタシを後ろから抱きしめた。心臓がトクン、と跳ねる。温もりと心地よさがアタシを包む。
でも、その体温で、コーヌを思い出してしまう。コーヌの熱い体が、可愛い笑顔が、交わした大切な言葉が、心の内から溢れ出てくる。
涙が出る。
もういないんだ。会えないんだ。抱きしめられないんだ。
最後に触れたコーヌの髪の硬い手触りが、まだ手のひらに残っている気がする。
——矛盾してる。
アタシはそう思う。本当に、涙なんか流す権利はない。
でも、涙は流れ続ける。アタシは、きっとおかしいから、泣けるんだ。
アタシの中の悲しみが出尽くすまで、ミストはただ黙って抱きしめてくれていた。
目に残った涙を袖で拭いて、鼻をすすっていると、ミストがティッシュをくれた。
「ありがと」
鼻をかんだティッシュを丸めると、ミストが躊躇なく手から奪っていく。それにちょっと笑い、またありがとう、と言った。
「ネネ」
ミストがアタシを抱いたまま喋り出した。
「コーヌのことは、俺からは何も言わないし、聞かない。それはきっと、ネネが時間をかけて整理していくことだと思うから」
「……うん。そうだね」
そのための最初の時間を、今ミストはアタシにくれたんだ。
「ミストのおかげ。ありがと」
そう呟き、首を後ろに向ける。ミストはゆるりと首を振った。
それからしばらく沈黙が続いた。
心もだいぶ落ち着いたし、そろそろ作業場に戻ろうかな、とアタシは首を回し、ミストの目をちらと見た。すると、ミストはまだ何か言いたそうな、何か言葉を探しているような表情をしていた。言い出すか迷っているようにも見える。
「どうしたの? 何か言いたいこと、あるの?」
気になったので促すと、ミストは、一呼吸入れてから、重そうな口を開いた。
「こんなときに、言うことじゃないかもしれないんだけど……」
「ん? いいよ、聞きたい」
アタシが言うと、ミストは「わかった……」と言って切り出した。
「明日の朝、作業を抜け出して倉庫に来てくれないか?」
「……倉庫?」
「そう、明日、署長が休みなんだ。外の作業もないから、倉庫には誰も近寄らないし」
話が見えない。署長が休み? 誰も近寄らない? だから倉庫に行く?
「え、どういうこと?」
聞くと、ふいに首の横に温かいものが触れた。吐息がかかる。ミストの髪が頬に当たって、アタシはキスされたことに気づいた。え、なに⁉ びっくりした!
「こういうこと」
耳元で囁かれ、ザワザワした。
アタシの胸はいつになくドキドキし出し、同時に倉庫へ誘われた意味を理解した。ほ、ほんとうに……? 意識した途端、お腹の奥がうずき出す。
「あそこが一番誰にも見つからないと思うんだ。外作業も、しばらくないしね。……どうかな?」
「うん、わかった」
体中が、急激に熱を持ったように感じる。顔が真っ赤になっているのがわかる。
「で、でもさ……」
「うん」
「上手く抜け出せるかな。アタシも、ミストも」
「大丈夫。俺、ちょうど作業場が移動になって、見張りが二人体制の持ち場になったから、余裕だよ」
ミストが得意の悪い顔をしている。そういえばそうだ、被服室の看守がヤリ看に代わってた。
「ふふ、相変わらず悪いね、ミストは」
「だろう?」ミストは笑う。「ネネの方は、ボートさんが見張り役だったね。……なら、ヤウリィに具合が悪いフリをしてもらうってのはどうだろう。二人で医務室に行ってもらって、ヤウリィに時間を稼いでもらうんだ。その間に、窓から出て倉庫にくれば、たぶん大丈夫だよ」
たしかに、それなら三十分くらいは時間稼ぎできるかもしれない。
ミストはすまなそうな顔をしていた。
「……ごめん、本当はこんなときに言うことじゃないのに。でも、なんか泣いてるネネを見たら、俺、大事にしたいなって思って、我慢できなくて、言っちゃった」
大事にしたい。我慢できない。うわ、なんだそのセリフ。すごい心に刺さる。アタシは口角が上がっていくのを自覚した。
「嬉しいよ、ミストのその気持ち。明日、絶対行くね」
アタシたちは見つめ合い、それから、唇を重ね合わせた。




