嫌がらせ
1
ミストとキスした日の夜。アタシは房のベッドでうつぶせになり、手紙を書いていた。鉛筆でカリカリ書いていると、上段にいるヤウリィに言われた。
「ネネ、なにか書いてる?」
「んー? まあねー」
なんとなくはぐらかすと、ヤウリィは一ミリもふざけていない声音で聞いてきた。
「キスの感想?」
さっきミストとキスしたことを報告したから、ヤウリィの頭は今それ一色なのだろう。アタシは笑って答えた。
「違うよ、秘密」
さっきまでのヤウリィの興奮はだいぶ落ち着いていた。アタシが昼間ミストとトイレでキスをしたと話すと、「え⁉」とか「トイレ⁉ で、その後は⁉」とか過去一必死な表情で質問攻めにされた。一緒にいたコーヌは、自分のことのように喜んでいた。「コーヌは嫉妬しない?」とヤウリィが聞くと、「ちょっとはするけどさ、でも、ネっちゃんが幸せでいられるんだったら、ボクはそれでいいんだ。あとちょっとでお別れだしね」と寂しさを孕んだ笑みを浮かべるものだから、アタシは思わず「コーヌぅ~」と抱きついていた。
その後コーヌが「テレビ見てくる!」と言って出て行き、アタシはひっそりと手紙を書き始めた。なんとなくこの手紙のことはコーヌにもヤウリィにも秘密にしておく。
消灯三十分前の音楽が鳴り、閉房点検が開始された。房の檻を閉めに来た看守長に、アタシは手紙をこっそり手渡した。檻越しに口を寄せ、小声で言った。
「前言ったこと、ちゃんと覚えてるよね?」
「はい」
「頼むよ、看守長」
「かしこまりましたネネ様」
アタシが笑顔でウインクすると、看守長は嬉しそうに頬を染める。では、と言って隣の房に歩き出すと同時に、すっと真顔に戻った。面白い。「——番、部屋が汚いぞ」と冷たい声が聞こえてくる。
翌朝、パンとスープを乗せたトレーを持って席に着き、いざ食べ始めようとしたとき、通路側からくしゃみが飛んできた。顔を上げると、トレーを持ったオールバック三白眼女の顔がこちらを向いていた。アタシとヤウリィの朝食がつばだらけになった。
「あ、わりぃ」
すこしも悪いと思っていない態度の女が、それだけ言って顔を前に向けた。女のトレーにパンはなかった。もう食べ終わったのか、返却口の方向に歩き出そうとする。
「ごめんじゃないでしょう」
ヤウリィが静かに睨みつけていた。アタシも瞬時に怒りが沸き、机に勢いよく手をついて立ち上がる。
「おい! どういうつもりだよ!」
「……どういうつもりもなにも、わざとじゃねえから。謝ってんだろ」
どこからどう見ても謝っているとは思えない態度の女は、むしろ自分が絡まれたかのようにしかめ面をし、すぐに歩き去っていく。アタシは椅子をどかして追っかけようとするが、ヤウリィに腕を掴まれた。振り向くと、むっとした顔をしていた。
「ネネ、よしなさい。腹立たしいけれど、どうにもできない。戦って勝っても朝食は取り換えてはもらえない」
「でもさぁ!」
「私もとても腹立たしいけれど。……食べられないことはない。次からは防げばいい」
「いや……防ぐたってさぁ」
いきなり飛んでくるくしゃみなんて、どうにもできないでしょ。マジで腹立つ。
でも、ヤウリィの言う通り、余分な朝食は用意されていない。怒りをぶつけても、ただ看守に取り押さえられるのがオチだ。くそ。
アタシはため息をつき、舌打ちをして、食堂から出て行くオールバック女の背を睨みつけた。もう一度息を吐き、なんとか怒りを鎮める。
「……わかったよ」
アタシは諦め、椅子を引いてどっかと座る。
「ネっちゃん、ボクのと交換してあげる」
するとコーヌが、自身のパンをアタシの前に差し出してきた。顔を見ると、怒っている真剣な目つきだった。可愛いなこいつ、と軽く笑ってアタシは首を振り、コーヌの髪をわしゃわしゃ撫でた。
「ありがと。気持ちだけもらっておくよ」
仕方なく袖でパンの表面を拭いて、かぶりつく。——ボス猿の差し金だ、クソ。昨日男子トイレから出てきたところを見られたからだ。横でパンを丁寧に拭いているヤウリィに謝る。
「ごめん、アタシのせいで」
「昨日、あの娘に見られたから?」
「うん」
「ネネは何も悪くない。醜い嫉妬をするお猿さんが悪い」
「……そうだね」
「そうだよ、ネっちゃんは何も悪くないよ!」
隣から目くじらを立てたコーヌが顔を寄せてくる。
「もう、うざいな、あいつらっ」
珍しく汚い言葉を使ったコーヌは、パンにかじりつき、野蛮に喰いちぎって食べた。
食堂から自分の房に戻ってくると、ベッド脇の床になにかが散らばっていた。
「なんだろう、これ」
アタシはしゃがみ込み、散らばった白いものを一つつまむ。ストローを小さく輪切りにしたようなものだった。これは、枕の中身?
「ネっちゃん、枕が!」
気づくと同時、背中でコーヌが言った。振り向くとベッドの下段を指さしていた。びりびりに破られているアタシの枕がそこにあった。用が済んで投げ捨てられたのか、壁際でぐちゃっと潰れている。布団の上にも中身がこぼれ出ていた。
「相当お気に召さなかったよう。もしかするとキスの話も盗み聞きされていたのかも」
あごに手を添えたヤウリィが、床を見下ろしていた。アタシは猛烈に腹が立った。
「クソ猿が……!」




