第六十九話 余計なこと
「お時間を取らせてしまい申し訳ありません。教主様のありがたいお話を聞け、至極恐悦です」
ディランはそう言って、深々と頭を下げた。
グリドは少し意外そうな顔をする。散々口答えをしてきた相手が、急に態度を改めたからだ。
「……分かればよいのです。あなたにも、その程度の分別はあったようで安心しました」
恐る恐る言葉を返したものの、訝しげな表情までは隠しきれていない。
そんな彼の心中など意に介さず、ディランは続けた。
「もったいないお言葉です。しかし……教主様にとっては、目的を果たせない形となってしまいました。それだけが心残りでして」
「目的……? 何の話でしょう」
「はい。もともとこの問答は、この星の窮状を月側へ理解させるためのものだったのだと思います。それが私の力不足で、少々中途半端なものになってしまいました」
「……え?」
グリドは目を瞬かせたあと、すぐに得意げな笑みに戻った。
「ああ、それは本当に。ですが、あまり自分を責めないでください。私の見立て違いにも原因がありますので」
――シプタから尊敬を集めるディランが、ついに自身の力不足を認めた。
グリドにはそう見えた。完全に勝負はついた。
「私は一体どうすれば……」
ディランは俯き、肩をすぼめていた。
「この星に一年ほどしか滞在していない私でさえ、その苦しみは身に染みております。それが私のせいで、うまく伝わらなかったのですから……」
詫びるように眉を下げながら、そんな言葉をグリドへ漏らす。
一方のグリド、咎める色を消し、穏やかな眼差しをディランへ向けた。
「よいのです。そんなことより、あなたからもちゃんとシプタに言ってください。世迷言に耳を貸さず、現実を見つめなさいと……」
「あっ!」
グリドの容赦を遮るように、ディランが声を張り上げた。
「な、何事ですか?」
「いかがでしょう。現地を見ていただくというのは」
「……現地?」
「はい。この月の使節団に、病院を直接視察していただくのです」
ディランの提案は、至極真っ当なものであった。
百聞は一見に如かず、星の窮状を月側へ知ってもらうためには、現地現物をもって説明するのが手っ取り早い。
だが、グリドの表情は固まっていた。
「……月の皆さんもお忙しい。それに、あんな場所にお連れするわけにはいかないでしょう?」
「ですが、資料よりも実際に見ていただいたほうが、この星の現状を正しく理解していただけるかと……」
ディランは理解しかねるといった顔で、グリドを見つめている。
――――黙れ。グリドは内心で毒づく。しかし、そんな本音を口にするわけにはいかない。整然と場を収めなければならない。
「何もわかっていませんね……」とグリドは深いため息をついて続けた。
「視察などと言って病院へ押しかければ、現場は混乱します。患者にも負担をかける。それでは助けたいのか、苦しめたいのか分からないでしょう。ですから、病院への視察はご遠慮いただいているのです……そうですよね、院長?」
突然声をかけられた院長。一瞬だけ腰を浮かし、
「え? は、はい。仰せのとおりです……」
と、何とか返す。が、その歯切れの悪い返答はグリドのお気には召さなかったらしい。「グッカロ……」と、歯の隙間から絞り出すように呟き、改めてディランを見据える。
「理解できましたか? 経緯も知らず、これ以上余計なことを言わないように……」
声色こそ穏やかだったが、その目はまったく笑っていない。
一方のディラン、やはりというか、そんな威圧もどこ吹く風である。
「……しかし、月側は神の存在を理解できないでしょうから、議会は難航してしまうでしょう……」
顎に手を当て、ぶつぶつと考え込む。
その様子に、グリドの頬がぴくりと引きつる。
先ほどの忠告など、欠片も耳に入っていない――堪えきれずグリドは「黙れと言っただろう!」と、怒声を上げた。
「月側が神の存在を信じるかどうかなど問題ではない! 何も知らぬくせに、わかったような口を利くな!」
――声が裏返るほどの剣幕だった。
「お前もさっき、出来もしない治療の話をしていただろう! 理解が出来ていないのはお前、一体どの口でほざいている!」
荒い息を吐きながら、グリドはディランをを睨み据えた。怒りに顔を引きつらせ、なおも言い募ろうと唇を震わせている。
――誰もが息を呑み、口を閉ざした。先ほどまで囁き合っていた者たちも、今は身じろぎひとつしない。
張り詰めた空気。
二人へと注がれる視線。
その沈黙を破ったのは拍手の音だった。
――パチ、パチ、パチ。
場違いなほど悠然とした音が、静まり返った会場に響き渡る。
誰もが弾かれたように音のした方を振り向いた。人々の視線が一斉に集まるなか、ひとりの人物が、まるで今の激昂を称賛するかのように、ゆっくりと手を打ち鳴らしていた。
――月の使節団、ミリトである。
拍手を続けたまま、ゆっくりと議場の中央へ歩み出た。
無数の視線が注がれるなか、男は少しも気に留める様子もなく、悠然と歩を進めていく。その足取りには迷いも気負いもなく、まるでこの場の空気すら掌握しているかのようだった。
「素晴らしい対話でした!」
ミリトはそう声を上げ、手を掲げてさらに打つ。まるで会場全体に拍手を促すように。
――グリドは茫然と、その拍手を見つめている。顔からは怒気が消え失せ、困惑だけが浮かんでいる。
味方なのか、敵なのか。
突然出てきた男が何を考えているのか、その真意を測りかねている様子だ。
ミリトの言葉を聞いて、ようやく会場からも拍手が起こり始めた。
誰もがこの月の使節を警戒していた。だがどうやら、場を荒らすつもりではなく、教主を称えながら収めようとしているらしい。
そう理解した者たちから、おずおずと手を叩き始める。
しかし、グリドだけは違った。
拍手の輪が広がるなか、一人だけ険しい表情を崩さない。
「月側の人間であろうと、余計なことをしてもらっては困る……そこの男の味方をしようというのか?」
拍手に埋もれるか埋もれないかの声でミリトへ釘を刺すした
「いえ、星を想う気持ちに感服したのは真意です。それにここから先は、神の存在と治療法の確立の話になってしまうでしょう。それはこの短い時間で決着のつく話ではないでしょうから」
「ふん……まあいいでしょう。ここは矛を収めるとしましょうか……」
「ありがとうございます。ああ、それともう一点……」
ミリトは穏やかな笑みを浮かべた。
「先ほどのお話し合いの中で、実に素晴らしい、名案がありましたよね」
「ん? 何のことです」
「私も実は、同様のことを考えていたのです。要は現場に迷惑をおかけしない形で調整が出来れば、ということですよね」
グリドの眉がまた、ぴくりと動く。
「……何が言いたいのです?」
その問いに、ミリトはにこやかな表情のまま答えた。
「はい。病院の視察についてのお話です」




