第六十三話 無口な助っ人
――数日後、雑用係の控室。
「みんな注目!」
リネンの呼びかけにより、視線が一斉に集まる。
その脇には、新人と思われる女性が立っていた。
「今日から手伝ってくれるハナさん。ディル坊が通訳で抜けてる間、助っ人として来てくれるの。じゃあ、自己紹介お願いね」
促された女性がためらいがちに前へ進み、手袋がはめられた両手を胸の前で揃えた。
「皆さん、よろしくお願いします……」
切れ長の目は伏せられ、声は細く、どこか陰を帯びている。
「その後も続けられるかもしれないから、みんなよろしくね」
リネンが明るく言うと、控室の空気が少しだけ緩んだ。
しかしハナは、周囲の反応に合わせるでもなく、ただ静かに立っている。
「じゃあ教育係は、ディル坊。お願いね」
「え? 私ですか?」
ディランは慌てて背筋を伸ばした。
「それはそうよ。あなたの代わりなんだから、あなたの仕事を教えないと」
「でも、力仕事があるので……それは皆さんで手分けした方が」
「平気みたいよ。ねえ、ハナさん?」
リネンが視線を送ると、ハナは少しだけ顔を上げた。
「……はい。できることなら、なんでも」
「そ、そうですか……?」
ディランは困ったように眉を寄せたが、やがて大きく頷いた。
「じゃあ……よろしくお願いします。ディラン・クレセント、といいます。」
「……はい。よろしくお願いします……」
ディランはまず、院内を案内して回った。
若い女性の新入りというだけで、入院患者の興味を引くには十分だったらしい。二人を取り囲むように、子どもたちが群がっていく。
「わぁ、お姉さんだ」
ハナは少し驚いたように立ち止まって「……こんにちは」と小さく頭を下げる。
その声はか細かったが、先ほどには感じなかった柔らかさがあった。すると子供たちは一層勢いづく。
「ねえねえ、お姉さんもここで働くの? ずっといるの?」
「名前は? なんていうの?」
袖を引っ張ったり、横から覗き込んだりと、好き放題である。
「はは……すいません。子供が多いもので……」
ディランが苦笑しながら言うと、ハナは表情を変えずにディランへ向き直った。
「先を急ぎましょう、ディランさん」
「え? ああ……ではいきましょうか」
歩き出そうとしたその時、子どもの一人がハナの手を握ろうとした。
「待ってよ。もう少しだけ……」
その瞬間、ハナの肩がわずかに跳ねた。反射的に手を引きその子どもを睨みつける。
「……あ、ご、ごめんなさい……」
子供は泣きだしそうな顔で謝ったが、彼女は視線もむけず、
「さぁ、行きましょう」と、ディランを置いて進んでいってしまう。
ディランは子供たちに軽く頭を下げ、ハナの横へそっとついていった。
「……すみません、ハナさん。子供たちが少しはしゃいでしまったようで」
ハナは歩みを止めず、前を向いたまま答えた。
「いえ。案内はもう十分です。早速仕事を教えて下さい」
その言い方は、冷たいというより、無感情なものだった。先ほど一瞬感じた柔らかさは、またどこかへと消えてしまった。
「そうしましょうか……ではこちらへ」
ディランは気持ちを切り替えるようにして歩き出すと、ハナも静かにそれに続いた。
◇ ◇ ◇
洗濯室に入ると、機械の低い唸りと、洗剤の匂いが二人を包む。
「回収したシーツはカートで運んで、ここで洗濯します。病棟によって洗濯機が分けられているので注意してくださいね……あと、薬品も使うので、そちらの手袋を使用してもらって」
「はい、分かりました」
「じゃあ……せっかくなので、やりながら教えていきましょうか」
ハナは頷き、棚に置かれた使い捨て手袋を手に取った。
そのまま、すでにしていた手袋の上に重ねてはめる。
「え?」
ディランは思わず声を漏らした。
ハナは指先を軽く動かし、重ねた感触を確かめるようにして言った。
「ええ、お構いなく。問題ありません」
自らその理由を語りだす気配はない――ディランは一瞬だけ言葉を失い、しかしすぐに説明へ戻った。
「まぁ、入るのなら……えっと……では、まず汚れの種類で分けます。血液や薬品の汚れは——」
洗濯室内を一通り説明し、教育を終えた頃――
「質問が無ければ、そろそろ休憩にしましょうか」
「分かりました」
するとハナは、重ねていた使い捨て手袋だけを器用に外した。
それを見ていたディラン、「蒸れませんか?」と聞きかけて、口をつぐんだ。
詮索めいたことは言わない方がいい——そんな直感が働いたのだ。
二人は洗濯室を出て、休憩室へ向かって歩き出した。
ハナの歩き方は静かで、足音がほとんど響かない。しかも途中ですれ違った看護師が軽く会釈してくると、ハナは「お疲れ様です……」と小さく答え、わずかに肩をすくめた。ただその場をやり過ごすような反応――ディランは何か話題を探そうとしたが、ハナの横顔は静かで、言葉を差し込む隙が見つからない。
休憩室の扉が見えたところで、むしろディランの方が息をついた。
休憩室の椅子に並んで腰掛ける。様子をうかがっていたディランであったが、沈黙はより気まずい。かといって「何か質問は?」などと、確認済みのことを問う訳にもいかない。
「ええと……何か、ハナさんのことを伺ってもいいですか?」
「それは必要ですか?」
「いえ……これは失礼しました」
その切り返しは、取り付く島もないほど冷たい。
ディランがもう一点気にかけていたのは、ハナの口調が人によってまるで違うことだ。リネンや他の者と話すときはおずおずしていたのに、自分に対してだけは妙に遠慮がない。
慣れたというには早すぎるし、もちろんディランの中に、新入りのくせに生意気だという感情があるわけでもない。
ただ、口調の変化に何か理由があるのだろうか──そんな考えが頭の隅に残っていた。
ディランは頬をかきながら、「では……」と切り出した。
「私のことを話しても?」
「ええ、構いません。話したいのならどうぞ」
ハナは正面を向いたまま、頷きもせずに言った。
だが、ディランも屈しない。
「ありがとうございます。ちなみに……どこかでお会いしたことありましたっけ?」
「……今日が初対面でしょう? 変なことを言わないでください」
淡々としながら、相も変わらず棘がある。
「え、あ。そうですよね。ハハ」
ディランは取り繕うように乾いた笑いを漏らした。
(んー、これは、まいったな……)
内心で頭を抱えるディラン。
今回、初めて雇われたディランにとって、教育係も当然初めてのことである。
先輩としてうまくやりたいと思ってはいたが、残念ながら今のところ全く手応えがない。
ハナは必要な返事はするが、それ以上の踏み込みを警戒しているように思える。
しかしディランはそこで、よくよく思い返してみた。彼はむしろ、なぜだが女性に冷たく当たられることが多かった。何かは分からないが、女性の不興を買う要素があるのかもしれない。
「あの、ハナさん。もしかしたら、男に教わるってのが気になっているのかと。その、警戒されているのかなって」
「いえ、そんなことはありません」
ハナは横を向くでもなく、ただ前を見たまま答えた。
「……そうですか? でも安心してください」
「安心? 何をですか?」
「はい。私ですが、用事が終わっても、ここ、シーツ供給のお仕事に戻る予定はないんです」
ディランが何気なくそう言うと、突如、ハナは大きく目を見開いた。
「あい? それは本当ですか……?」
初めて揺れる彼女の声。しかしそれは一瞬で、また元の雰囲気に戻る。
「いや……まだ決まったわけではないのですが。その予定なんです」
「そうですか」
「まずかったですか?」
「何も? どうぞご自由に」
そこで扉が開き、リネンが入ってきた。
ディランを見て微笑みかけ、「どう順調?」と問う。
「ええ……まあ。一応すべて教え終わりました」
歯切れ悪く答えたディランだが、そこには触れず、リネンは感嘆したように目を丸くした。
「あら、早いわね……じゃあ、あとは私が引き継ごうかしら。入れる日も聞きたいし」
「はい、分かりました……」
リネンは二人に一歩近づき、柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、早速、今からいい?」
「はい……」とハナが立ち上がると、リネンが扉を開けて手を添えた。
「じゃあ、行きましょうか」
二人は静かに部屋を出ていく。
扉が閉まると、先ほどまでの気まずい空気は跡形もなく消えていった。




