第六十一話 雲内曇天
――ディランが病院で働き始めてから、約三か月後。
ディランはすでに、この病院にとって欠かせない人材となっていた。
きっかけは調子の悪かった洗濯機の修理だった。患者が増えたことで昼夜稼働していた負荷がたたったか、洗濯機が故障してしまったのだ。
その時のいきさつを、雑用係のリネン・オシャベはかく語る。
――私はもうどうしたらいいのかわからなくて頭を抱えていたのよ。そしたらディランが「どうしたのですかって」聞いてきたの。「洗濯機が故障して、新しいのが来るのに三年かかるって……冗談じゃないわよ。そろそろ壊れそうって事務長にずっと言ってたのに……」って言ったらね、彼、「良かったら見ましょうか?」って……そしたら彼、なんか工具箱みたいなものを持ってきて洗濯機を分解し始めたの。まぁ、どうせ捨てるしかないから良いか……って思ってたら、「直りました」って。それが、本当に直ってるんだもの……私は心臓が飛び出るかと思ったわ。そりゃ驚くわよ……そうそう、もし、なんか壊れて困ってたら声かけてみて。彼、きっとそういうの好きなタイプだから――
要するに、ディランが事も無げに洗濯機を修理してしまった、ということらしい。
そんな出来事をリネンが吹聴して回ったせいか、「それなら一応、話してみようかな……」と職員からディランへ相談があった。
最初はディランを月の人間として警戒していた彼らであったが、彼の態度は常に謙虚であり、アクエッタ語も流暢――「何でそのような人材がこんな病院に……?」そんな疑念も引き起こすほどだったが、都合のいい事柄には目をつむるのが人間の性というもの――数日もたてばどうでもいいことになるようだ。
ディランがこれほど修理に長けていたのには二つの理由があった。
一つ目はアクオーネでの機械人形の修理経験。機械の構造や仕組みの基礎を学んだほか、足りない部材があればアクオーネに戻って精製することもできる。
二つ目は、それより重要な要素であった。”アクエッタで使用されている機械は、月の技術が基になって設計されている”という事実。
ディランもうすうす感じてはいたが、この星には製造や修理の技術がない。せいぜい資源を精製する工場があるくらいで、さまざまな製品が、月や他の星から輸入されているものなのだ。
この星の人でも部品交換ぐらいなら行うが、そもそも修理業者というものがいない。維持保全をするという考えもないらしい。
「これも、文明依存症の功罪か……」
これだけ鉱物資源に恵まれている星ながら、自前の製造技術を持っていない。本来であれば教育や研修を推進して技術水準の向上を図り、技術者を育成すべきだろう。しかし、この星の実質の支配者であるマナス教団が、他の星の技術情報の導入を認めていないという。
数千年にも及ぶ空白の時間――なぜ教団は、この文明依存症の拍車をかけるような対応をしているのか。ディランがいくら考えてみても、その答えは出せないままだった。
◇ ◇ ◇
さて、このようにディランが病院職員からの評判を上げていくのを、好ましく思っていない人物が二人ほどいた。
一人はマナス教団の御曹司、次期教皇と目されているグリド・マナスである。
彼はシプタへ婚姻を申し込んでいるが、色よい返事はいまだにもらえていない。彼がシプタに執心するのにもまた理由がある。その身目麗しい容姿だけではない。星の希望と称されるシプタを嫁に迎え、次期教皇としての権威を盤石なものとしたい、という思惑があった。
シプタがなぜ自分になびかないかを考えるとき、彼が最初に思い浮かぶのはディランであった。
シプタは病院に赴任してからしきりに、素晴らしい医学者がいると触れ回っていた。その頃は何とも思っていなかったが、決定的だったのはおよそ三か月くらい前。ディランを病院へ仲介しようとするシプタが大演説を打ったと聞いた時だ。
それは、医学者としての尊敬にとどまらず、ディランがいかに素晴らしいのかを様々に語った。そこにいた者たちはみな、思わず頬を赤らめたという。
この話を聞いた時、グリドはディランを明確に恋敵だと認識するようになった。
――とはいえ、そんな懸念も一度は吹き飛んだものだった。ディランが病院に雇い入れられたと聞いて様子を見に行ったとき、彼が雑用をしていた姿を見たからだ。
(ふふ……何だこれは……)
吹き出しそうになる笑いをなんとかおさえ、たっぷりと嫌味を投げつけ、相当に気持ちが晴れたものだ。
しかし、そんなディランが病院で評判という話を聞いた彼の胸中は穏やかではない。
また近々、ディランにちょっかいを出してくるだろう。
そしてもう一人の、この状況を思わしく思っていない人物とは。他でもない、シプタであった。
◇ ◇ ◇
「先生……」
廃棄倉庫の奥で機械の残骸を探っていたディランの背に、静かな声が触れた。
「あ、ああ……シプタか。最近は修理の依頼が多くてね。こうして使える部品がないか探しているんだ」
ディランは振り向きもせず、機械部品を触り続けていた。金属の匂いと部品の擦れ合う音が、まるで会話を拒むように冷たく漂った。
「……先生……なぜ医局を助けていただけないのですか……? 私があの時、雑用係を悪くいったことを根に持って……」
「いやいやいや。根に持っていないし、そもそも悪く言っていたか……?」
「ではなぜ……?」
その問いに、ディランは口ごもった。
作業を続ける背を見ながら、シプタはさらに続けた。
「最近、ディランさん……私を避けていませんか……?」
ついに部品を拾い上げる手が止まる。
ディランは後ろを向けなかった。「違う」と、そんな短い言葉すら出ない。
――重症患者の少年トゥルと話をした時だった。「シプタもまた、隠し事をしている」と聞いてから、ディランのシプタに対する態度は、明らかに変質していた。
シプタが教団に近しい人間かもしれない、そんな懸念がディランの警戒心を高めている。
しばらくしてまた、薄暗い廃棄倉庫に金属音が響き始めた。
無言のままたたずんでいたシプタもやがて、
「……先生が協力してくれないのなら……もう、私に残された道は……」
と言い残して、部屋を去って行ってしまった。




