第五十六話 冷たい警戒
――それから一ヶ月後、場所はアクオーネ駅。
ディランはハルモに見送られ、中央地区行きの列車へ乗り込んだ。
「元気でね」
「ハルさんもお元気で。では、また」
「また、って……そんなことを言って、あなたのお父さんは戻ってこなかったけど」
そんなハルモの返しに、ディランは思わず視線を落とす。
「ふふ、冗談よ……行ってらっしゃい」
――車体がゆっくりと動き出す。
窓の向こうで手を振り続けるハルモ、その姿が朝の光に霞むアクオーネの駅舎とともに、少しずつ遠ざかっていく。
名残惜しむ間もなく、白い霧の中へ飲み込まれて消えてしまうと、なんだか心に空間でできたように感じて、ディランは少し胸を抑えた。
◇ ◇ ◇
中央区域へ着く頃、すでに日が傾いていた。
駅周辺の喧騒は、アクオーネとは比べ物にならない。帰路に就く人の流れは絶えず、行き交う車両の音や呼び声が絶え間なく耳へと飛び込んでくる。
たった半年ぶりに見る光景だが、全く知らない星に放り込まれたような、不思議な疎外感が湧いている。アクオーネへの望郷であろうか。これ以上歩く気にもなれず、ディランは駅前の宿をとった。
「さて……」
部屋につくと早速、鞄から取り出した資料を机の上へ並べはじめた。
それらを読み返しながら、何かを書き留め始める――
翌朝。
ディランはシプタが務めている病院の前に立っていた。
足を踏み入れた瞬間、消毒薬の匂いが鼻をついてくる。
行き交う職員。慌ただしい白衣の足音。
しばらくその様子を眺めていると「先生!」と弾んだ声が響く。
「おお、シプタ」
約一年ぶりの再開。彼女は姿は以前より少し、痩せこけて見えた。
「すまないね。仕事の世話までしてもらって」
「いえ。嬉しいです。また先生に頼りにしてもらえて……」
そんなシプタの言葉の途中で、ディランは照れくさそうに視線を逸らした。
「その、先生というのは、もう……」
「あ、そうでした……つい。すいません。ちょっと打ち合わせがあるので、あとはこちらの事務員さんから聞いてくださいね。では、また」
そう一息に言い切って頭を下げ、シプタは早足に去っていった。
遠ざかる背中を見送っていると、視線を遮るようにその事務員が割り込んでくる。
「こんにちは」
「あ、はい。ディラン・クレセントと申します。よろしくお願いします」
「……よろしく」
事務員はそれだけ言って踵を返した。歩幅は一定のまま、ディランを気遣う様子もない。
ディランは急いで荷物を肩に掛け直し、必死にその後を追っていく。
――歩くうち、廊下ですれ違う職員たちの視線が妙にこっちへ集まっていることに気がついた。
「あれがシプタさんが雇い入れたっていう、月の……」
「なんでも医学に精通してるとか」
「でも医者ではないって」
「じゃあ、たいしたことないんじゃない?」
声をひそめる気もないのか……そんな会話が耳に入ってきても、ディランはあえて聞こえないふりをした。アクエッタの言葉を理解していることを知らないのであろう。
通された事務室で簡単な手続きを済ませる。それが全てが終わったというところで、事務員が訝しげに眉を寄せながら大きくため息をついた。
「雑用が希望、でしたっけ? ……シプタさんから医療の心得があると聞いていましたが?」
「いや、単に月への対応で人手が足りないと聞いて……そのていどなら手伝えるかと思いまして」
ディランが素直にそう答えると、事務員は再度、大きなため息をついた。
「あなた……月の方、なのですよね?」
「ええ」
「なら、もっと別の仕事がありそうなものですが……」
そんなことを、値踏みするような視線を向けながら言ってくる。慮っていっている訳ではないと、わかりやすいくらいに露骨な棘があった――月の人間を下働きに加えるなど、彼らにとって厄介でしかないのだろう。
ディランは肩を落とすようにしながら、「それが……身分証明も仮発行の状態でして」と弱々しく言いう。彼にはどうしてもこの病院で働きたい理由があった。
「……まぁ、いいでしょう」ディランの情けない声に納得がいったのか、事務員がそこで長く大きく息をついた。
「では、早速明日から、いいですね?」
「はい。よろしくお願いします。失礼します」
そう言って扉に手をかけた、そのとき、
「全く、自尊心はないのかしら……」そんな呟きが、背中越しに聞こえたような気がした。
◇ ◇ ◇
荷物を抱えたディランが寮へ到着すると、そこには見覚えのある人物が待っていた。
一年前に面識のある、この病院の寮長である。
以前に会った時と比べても歓迎の色は欠片もない。それどころか、ディランと目が合った瞬間、フンと鼻を鳴らしてくる。
「こちらへ」
それだけぶっきらぼうに言って、返事も聞かずに歩き出す。
振り返ることなく進んでいき、やがて部屋の前で足を止めた。
開け放たれた扉の先には、寝台と机でスペースが埋まるような小さな部屋。
「ここですか?」
ディランは目を丸くしてそう漏らす。
寮長その言葉が気に触ったと言わんばかりに、
「何かご不満でも?」と鋭い口調で切り返した。
「いえ、とてもありがたいです!」
ずっと研究所の床に敷物を被せて寝泊まりしていたディランにとって、この部屋は天国のような環境である。それに、以前に泊まらせもらった倉庫に案内されるものと思っていたようで、つい声がはずんだようだった。ディランの様子が期待外れだったのか、寮長はわずかに目を細めた。
荷物を下ろし、部屋を見回していたディランの背中に向けて、
「……ああ、それと」
寮長が、何かを思い出したように口を開いた。
「……何でしょうか?」
振り返ったディランに、寮長は少し間を置いて尋ねる。
「あなた、シプタさんと何か話はしましたか?」
「は、話ですか……さて、どのような話でしょうか……」
ディランがさりげなく視線を外す。すると、寮長は首を傾けながらにじり寄ってくる。しばらくディランの顔を覗き込み、それから小さく咳払いをする。
「……今、彼女にとっては大事な時期なのです。そんな時にまた現れて……一体あなたは」
「話が読めません……人手が足りないと聞いて、それだけです」
「もちろん人手の件はそうですが……」
寮長はそこで腕を組み、ディランを睨んで続けた。
「もし、彼女に変なちょっかいを出したら私が許しませんからね」
言いがかりだ、とでも言いたげに、ディランは慌てて手を振った。
「またそのような……前にも言いましたが、私は……」
「どうだか……」
寮長が目を細め、じっとディランの瞳を射抜いてくる。
「何もしないと誓いなさい、ここで」
その一方で、ディランは「何も、ですか? それは困りましたね……」と言い淀む。
「ほら! やっぱり!」
寮長が声を荒げ、鋭い目つきを向けてきた。
ディランは堪らず両手を上げて、慌てて首を振る。
「いえいえ! そういう意図ではありません……話すくらいならいいでしょう? あくまでも医療上に限って」
「ふん。それにかこつけて……」
「違いますよ……どうして私はそんなに疑われるのですか」
「それは……」
寮長はそこまで言ってしばらく考えるように視線を逸らし、やがて小さく息を吐く。そして最後にまた、念を押すようにディランを見据える。
「まぁ、いいわ。心しなさいよ」
寮長はそう言い残し、扉を強く閉めて去っていく。
(なぜだろう。以前よりも警戒されている気がする……)
足音が遠ざかるのを聞きながら、ディランは首を傾げていた。




