第四十九話 思い出の地よ
ディランが研究所にこもるようになってから半年が過ぎた。
その半年は、彼にとって試練の連続だった。
新しい知識を身につけることに抵抗のないディランでさえ、機械人形について学ぶのは容易ではなかった。資料が足りないわけではない。資料を読み進めるほど、その先にさらに深い領域が広がっていることを思い知らされた。
動力、制御、そして何より、機械人形の中核を担う『核』の組み方。ひとつを理解したと思えば、また新しい疑問がわく。
それでも彼の頭に諦めという決断はない。
父親に負けたくない、あるいは、この星で苦しんでいる人々を救いたい。いや、機械人形の修理を続けていけば、母親と父親の真意に触れられるかもしれない。
いくつもの思いが胸の中で絡み合い、彼を研究へと突き動かしていた。
ここに来た頃、ハルモから、父親が遺棄地区へ足を運び、月の文明が残していった部品や機材を拾い集めていたと聞いた。ならば自分もと、ディランは廃墟を歩き回った。文明の抜け殻をいくつもめぐり、錆びついた機械をひっくり返し、使えそうな部品をかき集める。
しかし、思うようにはいかなかった。
機械人形の核を作るために必要な材料は、まだ足りない。
◇ ◇ ◇
「ではハルさん。行ってきます」
その朝、ディランはアクオーネからアクエッタ中央地区へと、久々の遠出をしようとしていた。待ち望んでいた月からの入金手続きが完了したという連絡があったのだ。
「ええ。気を付けてね。私にやっておくことはあるかしら……難しいことは分からないけれど」
「ありがとうございます。今、研究所の分析装置で素体の解析を走らせていますので、もし何か変な挙動があったら……」
そこまで話して、ディランは口をつぐんだ。話すにつれてハルモの眉間の皺が深くなっていったからだ。
「……いえ、何でもありません」
「……ごめんね。何か気づいたら知らせるわね」
「ええ。でも、すぐ戻りますから。気にしないでください」
「遠慮はしてほしくなのだけど……何か役割があった方が、私は嬉しいんだから。あ、そうそう……」
そう言いながら、ハルモは袋を差し出した。
「これ。買い物の足しにして」
「これは……?」
ディランが袋の中身を確認すると、書類の束と封筒が収められていた。
「ええ。それを大使館にもっていってもらえる?」
「わかりました。ええと、公害保障金申請書、と委任状……ですか?」
「ふふ、あまり見てはダメよ。それを窓口にもっていけば、お金がもらえる。それをあなたに受け取って欲しいの。この半年分の御給金、として」
「そんな……むしろ、私の方が世話になっているのに」
「いいのよ。大した額じゃないし。それに、修理にお金が必要でしょう? この星のために頑張ってくれているんだから」
ハルモは淡々と、真顔でそう告げてくる。受け取らない道理はないだろう、そんな圧があった。
「……そういうことなら、有難くいただきます」
ディランは袋を懐にしまい、軽く頭を下げた。
◇ ◇ ◇
アクオーネ駅に着くと、改札の向こう側に人だかりができているのが見えた。
普段なら、過去の繁栄を思わせる広々とした構内が、かえって現在の荒廃を際立たせているはずの場所に、珍しく人々の声が響き合い、賑わいを帯びていた。
子供の鳴き声も混じっている。
車椅子に乗った子供。背負われている子供。
そのそばで、親らしい人たちが子供の肩に触れたり、耳元で何かを囁いたりしている。
どの顔にも、不安と期待が入り混じったような影があった。
ディランは、その様子をぼんやりと眺めていた。胸の奥が、少しだけ重くなる。
「おう、ディランじゃないか。 ハルさんは元気か?」
背後から声をかけられる。ディランがアクオーネに来た時に会話した車掌であった。あれ以降、ディランのことを気に入ったようで、気にかけてくれている。
「ああ、おはようございます。もちろん元気ですよ」
「そうか。足を悪くしてからこっちへはすっかりご無沙汰だからな……かといってあそこまで会いに行くのも……すぐに健康に害はないとわかっていても、ちょっとな……」
そんな言葉をこぼしながら、車掌は遠くを見るように苦笑した。
「で……今日はどこへ?」
「ええ。ちょっとした用事があって、中央まで」
ディランはそう答えてから、人だかりへ目を戻した。
「……ところで、あの人たちは、一体……?」
「ああ……」
車掌は列車の方へ顎をしゃくった。
「教団の救世隊だよ」
「救世隊……?」
「公害の重症者をああやって運んで、中央で治療を受けさせてくれるんだ。親御さんたちも辛いだろうが……」
車掌の声が少し低くなった。
「親御さんたちも辛いだろうが……中央なら施設もあるからな」
「なるほど……」
やがて、遠くから列車の到着を知らせる音が響いた。
人々の間に小さなざわめきが走る。
やがて列車が到着し、子供たちは付き添いの人に支えられながら乗り込んでいく。
窓の向こうで、子供が小さく手を振る。見送りの親たちも、必死に笑顔を作りながら手を振り返していた。
「ほらディラン、お前もさっさと乗れ。もうすぐ出るぞ」
「はい。よろしくお願いします」
――列車が動き出す。
遠ざかっていく駅舎。荒れた街並みが小さくなり、乾いた大地が広がっていく。
治療は苦痛を和らげる希望であり、子供たちは幸福となろう。しかし、ディランの心には、言いようのない違和感がにじんでいた。
◇ ◇ ◇
駅に停車するたび、アクオーネ駅で見たような光景が繰り返された。
教団の救済。
泣いている親。
送り出されていく子供たち。
ディランは、丁度通りかかった車掌を呼び止めた。
「このあたりでも、まだ重症者が……?」
「いや、さすがにこの辺りは……」
車掌は困ったように頭を掻いた。
「俺は医学には詳しくないからな。わからない」
「そうですか……」
ディランは窓の外へ目を向けた。
救済そのものは、素晴らしいことなのだろう。
苦しんでいる人を助ける。
治療を受けられる場所へ送り届ける。
それを否定する理由などない。
(……子供たちを危険から遠ざけるのが先決ではないのか……)
そんな思いが頭をかすめる。しかし自分が無知なだけで、すでに対策が行われているのかもしれない。それでも被害が出ているだけなのかもしれない。
車掌が隣で口を開いた。
「……言われてみれば」
窓から外を覗き込み、眉をひそめる。
「今回は確かに、人数が多いな……」
◇ ◇ ◇
やがて、窓の外に都市の風景が見えはじめた。
列車がゆっくりと速度を落とし、中央駅へ滑り込んでいく。
待ち構えていた白衣の集団が一斉に動き出しているのが見えた。
停車と同時に、その者たちが乗り込んでくる。子供たちを一人ずつ抱き上げ、あるいは車椅子ごと慎重に運び出していく。
子供たちは不安そうに周囲を見回している。
そんな子供たちに、優しく声をかける女性の姿があった。
シプタだ。
子供を抱き上げ、別の係員には何か指示を出している。忙しそうに動き回っていた。
「……頑張っているようだな」
ディランは、思わず小さく呟いた。
自分のせいで、彼女には余計な迷惑をかけたのではないか、そのことがずっと気になっていた。
シプタが職務を果たしている姿を見ていると、胸の奥に残っていた重しが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
懐かしい気持ちもあったし、選別へのお返しの話もしておきたい。だが、自分がここで親しげに声をかければ、また妙な嫌疑をかけられるかもしれない。そう考え、ディランは黙って身を隠すように列車を降りた。
久しぶりの中央駅。アクオーネとは違う街の気配が身体に触れてくる。
行き交う人々の声。荷物を運ぶ台車の音。水路を進む小型船のエンジン音。
それらが建物の隙間を縫うように重なり合い、皮膚にまで触れてくるようだ。
最初、この駅を見た時には全く感じることの無かった活気――長らくアクオーネにいたディランには、少し眩しく感じられた。
銀行や大使館のある中央街までは少し距離がある。ディランは駅を出ると、水路沿いへ向かった。
この辺りには網の目のように水路が走っている。人を乗せた小舟や荷を積んだ船が、狭い水路を譲り合うようにして行き交っていた。
ディランはその一艘に乗り込んだ。
船頭が長い櫂を水へ差し込むと、細長い船体が水面を滑るように動き出す。
見上げれば、左右には石造りの建物たち。橋の下をくぐるたびに街の喧騒が一瞬だけ遠のき、水を押し分ける音がかすかに響いた。
ディランは船縁に手を置き、流れていく街並みを眺めていた。
同じ星にいるというのに、暮らしの密度も、人々の動きも、全く違って見えていた。
◇ ◇ ◇
ディランがまず向かったのは大使館だった。
ハルモから預かった書類、こちらを先に済ませてしまいたい。
「ご用件は?」
「はい。こちらの書類を……」
ディランが袋から書類を取り出す。
受付の職員はそれを受け取ると、書類とディランの顔を交互に確認した。
一枚ずつ、丁寧に目を通していく。
「……公害補償金の申請ですね」
「はい」
「それと、委任状」
「はい」
「振込先は……」
いくつかの事務的なやり取りの後、職員は奥へ姿を消した。
ディランは受付の前で天井を見上げていた。これが終われば、次は銀行。
――ルミナリアから連絡を受けていた金額は、自分たちの貯蓄よりも多い。
隣人のネイボルが見舞いを添えてくれた――そんな連絡も、ルミナリアから受け取っている。
ただでさえ少なかった貯蓄。そこへ追い打ちをかけるような旅先での盗難。
ルミナリアには、余計な負担も心配もかけてしまった。
「……ふがいない」
ディランは思わず、そんな言葉を漏らした。
しばらくすると職員が戻ってきた。
「お待たせしました。振り込み手続きが完了しています」
「ありがとうございます」
「こちらが今回のお振り込み額です。念のため、ご確認ください」
差し出された画面にディランの目はくぎ付けになった。
「……え?」
数字か、通貨か。何かを読み間違えたのか。
「……あの」
ディランは恐る恐る顔を上げた。
「これは……」
「はい?」
職員は不思議そうに画面を見た。指をさしながら数字を一つ一つ指さし、「間違いありません」と眉間にしわを寄せた。
「……こんなに?」
これだけあれば、必要な部品を買うどころではない。
必要な材料を揃えられる。
場合によっては、新しい機械人形を一体、最初から作ることさえできるかもしれない。
何度も画面を見返しているディランを職員が少し笑った。
「公害補償金に加え、合意金も含まれていますから、そのせいでしょうか」
「賠償……こんなに。あの、ここまで高額だとは……」
「ええ。月の王家の厚情ですね。まぁ……適正かどうかを言う立場ではありませんが」
「……アクエッタの人々も、同じように補償を受けているのでしょうか?」
「恐らくは……ただし、アクエッタ人への賠償金については、マナス教団が代表して受け取っているそうです。こちらでは、その詳細までは分かりません……」
職員は答えながら、最後、少しだけ言葉を濁した。
「教団が……?」
「ええ、この星の実質的な政府は、教団ですからね」
「そう、なのですね……」
ディランは再び画面へ視線を落とした。
「それと……先ほどの、合意金というのは?」
「ええ。立ち退きの合意です」
職員の言葉に、ディランの眉がわずかに動いた。
「立ち退き……?」
「おや……ご本人から聞いていませんでしたか?」
そう言って職員は、画面に映った条文のようなものをディランへ見せた。
「これです。この立ち退きの分。ハルモ・ニアさんの土地収用の代金、ですね。ようやくアクオーネから移動してくださるということなので……」
「えっ!?」
ディランの突然の大声に、受付の前にいた職員が驚いて顔を上げた。
彼はそれにも一切気づかず、画面を凝視し続けていた。




