第四十七話 母は、なぜ
――母親は、星の英雄であった。
そう告げられても、ディランは思いのほか冷静だった。
「あまり驚かないのね?」
ハルモが意外そうに首をかしげる。
「いえ、そうだろうな、とは思っていましたから。もちろん困惑はしていますが」
そう答えながら、ディランは照れ隠しのように頭を掻いた。
「……ですが、先程はなぜ、『きっと』とおっしゃったんですか?」
「え?」
ハルモは一瞬きょとんとした顔を見せ、それから「ああ……」と納得したようにうなずいた。
ディランには、ハルモの『きっと、あなたのお母さんよ』という言い回しが引っかかっていた。
「ごめんなさいね。意地悪で言ったんじゃないのよ」
そう前置きしてから、彼女は静かに続ける。
「月で亡くなった、としか聞いてなかったから……私だけではなく、この星の人は彼女が旅立ってからの様子を知らない」
ハルモは肩をすくめながら続ける。
「あなたのお父さんから聞かされた時、最初は信じられなかったもの」
「……では、どうして親父を信じてもらえたのでしょうか?」
「半信半疑だったわよ。もちろん。あなたの顔を見るまでは、ね」
「……似ていますか?」
「目、かしらね」
「目……しかし、なぜ、伝わっていないのでしょうか……」
「不思議な話よね……私もわからないわ」
ハルモは申し訳なさそうに首を振った。
――研究半ばで職務を放棄したように見える経歴。
――よりにもよって月の人間と婚姻した事実。
それらが英雄譚として語るには都合が悪かったのか。
母親の結婚の事実すら知られていない。まして、自分の存在など影も形も伝わっていなかった。
星の英雄の息子として扱われたことは、この星に来て一度もない。
意図的に隠されたのだろうか。
だとすれば誰が、何の目的で。
考えれば考えるほど、疑問は増えていく
――ディランは低く唸った。
「どうぞ召し上がって。とっても美味しいのよ。おすすめなんだから」
険しい表情で黙り込むディランを見て、ハルモは茶菓子の皿を差し出しながら柔らかく微笑んだ。
「あ、はい……」
促されるまま、ディランは冷めかけた茶をひと口すすった。皿の一番手前に置かれた焼き菓子を摘み、口へ運ぶ。
舌に触れた途端、菓子は雪のようにふわりとほどけた。繊細な甘み、後から爽やかな果実の香りが駆け抜けていく。
「どう? 美味しいでしょう?」」
ディランが感想を口にする前に、ハルモは得意げに身を乗り出した。
「ええ、とても美味しいです。不思議な食感ですね」
ハルモは自分の手柄だと言わんばかりに胸を張った。
「ふふっ、でしょう?お土産に買って帰ったら? お嫁さん喜ぶと思うわ。ああ、でもこれって冷凍できるのかしら……」
そんなことを呟きながら、考え込むように顎へ指を添える。
ディランはわずかに目を見開いた。
父親は、ハルモに自分のこと思っていた以上に、細かなところまでを話している。
そんなことを考えながら、ディランは改めて問いを口にした。
「……あの、ハルさんに聞いていいのかわからないのですが」
「構わないわ」
ハルモの穏やかな返答に背中を押され、ディランは言葉を続けた。
「事故の後、アクオーネはなぜこんなにも長い間、放置されたままなのですか? この星の文明も発展してきたはずなのに」
そんなディランの質問にハルモの表情がわずかに引き締まる。
――彼女は遠い記憶を辿るように目を細めた。
「発展途上の文明に安易に干渉すると、その文明は自力で進歩する意欲を失う……外部からの援助なしでは立ち行かなくなり、文明は破滅へと……」
ハルモはゆっくりと、一語一語を確かめるように語った。その横顔には、この星の衰退を見続けてきた者だけが持つ、静かな諦観が滲んでいた。
「……文明依存症、ですね」
「ええ……月の人間はそんな風に言うわね。現実はもっとむごい。幼子を高い所に誘って、はしごを外して、それを依存だなんて……」
ハルモは消え入りそうな声で答えると、窓の外へ視線を向ける。
何千年という時間の停滞と衰退。
ハルモの反応を見れば、月が行ったのは単なる見殺しではない。
何気ないディランの問いですら、この星の人間を怠慢だと疑う意図がにじんでいたかもしれない。
――そう自覚した時、機械人形の修理は自身の使命だと、彼は強烈に確信していた。
ディランは小さく息を吐いてハルモを見た。
「あの、そろそろ、作業に戻ります」
「あら……その前にどうかしら。一緒にお墓参りしておかない?」
「え、墓参り、ですか?」
ハルモの提案にディランは眉をひそめた。
「そうよ。場所も教えておきたいし」
墓参り。このアクオーネの慰霊碑のような場所であろうか。作業に取り掛かる前に、そこを見ておけということか。
「……わかりました。お供します」
そうディランが了承すると、ハルモは手を合わせて微笑んだ。
「よかった。きっと喜ぶわ」
◇ ◇ ◇
「ごめんなさいね。おぶってもらって」
ハルモはディランの背中の上で、気恥ずかしそうにつぶやいた。
「いえ、気にしないでください」
「でもあなた、背負うの上手ねぇ。慣れているのかしら」
「そう、ですか? 確かに先日、人を負ぶったことがありましたが……」
「あら? やっぱり?」
「ええ、あの英雄の丘の管理人さんです」
「あらまぁ……それはなんだか申し訳ないわ……」
ハルモは冗談めかして笑った。
ディランは歩きながら、背中越しに感じる体の軽さに胸が締め付けられる思いがしていた。
「あそこよ」
ハルモは海岸沿いの小さな丘を指さした。
風が通り抜けるたび、マスク越しに灰のようなにおいがふわりと漂う。
ディランは指さされた方向へ視線を向けた。
海岸沿いの丘は、灰色の風に削られたようにぽつりと盛り上がり、周囲の荒れた景色の中に静かに佇んでいる。
「気を付けて」
足元の砂は湿り、踏みしめるたびにわずかに沈む。ディランは慎重に足場を選びながら、ゆっくりと斜面を登っていった。
丘の頂上に近づくと、風の音が少し変わった。
海からの湿った風と、丘の上に積もる灰の匂いが混じり合う。水平線は少し遠く、灰色の空とゆっくり溶け合っている。
――視界が一気に開ける。
丘の頂には小さな広場があるのみだった。
中央に、白い石で作られた一本の碑が立っている。
――ディランは息を呑んだ。
胸の奥が熱くなる。
言葉にならない感情が、静かに波のように押し寄せてきた。
「お疲れ様。おかげさまでらくちんだったわ」
「え? あ、ああ。すみません」
ディランは気づいたようにゆっくりと膝をつく。ハルモを下ろすと、
「あの……ここは一体?」
と、顔を覗き込むように恐る恐る尋ねた。
ハルモは少し頷いたあと碑の方へ向き直り、かすかに笑う。
「ええ。サラが眠っている場所よ」




