第四十六話 見舞う者たち
——物音に、ディランは目を覚ました。
「いてて……」
父親の足跡を求めて資料を読み漁っていたはずが、いつの間にか眠りに落ちていたらしい。痛む首筋を手で支えながらゆっくりと身体を起こす。
微かに、金属が擦れるような音が聞こえてくる。閉まっていたはずの奥の部屋の扉が、開いたままになっていた。
ディランは反射的に身構えた。
「……誰か、いるのですか?」
恐る恐る声をかけるが、返事はない。
慎重に足を進め、扉の向こうを覗き込む。
——作業台の傍らに、一体の機械人形が佇んでいた。ディランの存在など意に介さず、首をもたげて破損機を見下ろしている。
照明を鈍く映す白と灰色の流線型の胴体。肩や肘には複雑そうな関節機構が覗いている。まるで仲間を見舞いに来た者のような振る舞いが、人型特有の不気味さをより引き立てる。
「お前……わかるのか?」
気づけばディランは問いかけていた。
しかし、機械人形は反応を返さない。人間との意思疎通機能を持っていない。これはハルモから聞いていたことだ。
無視された――そんな不当な感情が湧くことも、きっと相手が人型だからなのだろう。
「厄介なものだな」ディランは苦笑した。
しばらくの後、機械人形は微かな駆動音を響かせ、部屋を後にしていった。
その背を見送りながら、ディランは首を傾げている。
(何をしに来た……? 本当に見舞いだったのか。それとも、二体一組の作業機で、あれが片割れだったとか……)
考えながら机に戻り、ペンを取って書き残す。
『破損した機体の観察行動確認。制御設計にはかなりの冗長性あり』
効率だけを求めるなら説明がつかない。この星の機械たちは、どうやら効率だけで動いているわけではないらしい……ディランの評価はそんな具合だった。
父親はこちらに連絡も返さないままこの星に滞在し、十体もの機械人形を作成していた。よこした手紙の真意すら、まだ掴めていない——星を救うという崇高さ、身勝手な振る舞いと仕打ち。二つの父親像が決して交わることなく、ディランの心を二つに割いた。
思案するうち、あくびが一つ漏れる。
大きく背伸びをすると、凝り固まった身体から小さく軋む音が出る。
(……そうだ。ハルさんが心配しているかもしれない)
考え込みたいことは山ほどあったが、今はハルモのもとへ戻るのが先だ。ディランは資料を軽く片付けて、そそくさと場を後にした。
◇ ◇ ◇
外に出ると、垂れ込める雲の輪郭が白み、その下に沈む廃墟の輪郭がかすかに浮かび上がっていた。 昨夜よりはわずかに明るいが、夜が明けたという感覚はない。だがこれが、アクオーネの朝なのだろう。
見回しても、先程の機械人形の姿はすでになかった。視線の奥の薄暗がりの景色の中に、ハルモの家と思わしき建物がうっすら見えている。
「……こんな道だったのか」
ディランは昨晩自分が渡ってきたはずの歩道の姿を見て、そんな言葉を漏らした。
辺りは伸び放題の草に覆われ、建物も風化と腐食に侵されているというのに、この歩道だけは異様なほど整備され、家とこの場所を一直線に結んでいる。これは老婦人の手入れではないはず、機械人形たちが維持しているのだろうか。疑問を頭に浮かべながら、ディランは道を急いだ。
◇ ◇ ◇
「お邪魔します」
玄関の扉を開くと、すぐに声が返ってきた。
「あら、おかえりなさい。どうぞ入って」
ハルモは柔らかな微笑みを向けてきたが、ディランは気まずそうに視線を下げた。
「資料を読んでいるうちに眠ってしまったようで……すみません」
「ふふ。そんなところだと思っていました」
きまりが悪そうにしているディランを見て、彼女は楽しげに笑った。
「朝食を済ませてもらえる? その間にお湯も沸かしておきますから」
「い、いいえ。お構いなく」
「そうはいかないわ。そうだ、服も洗濯しないと」
「さすがにそこまでご厄介になるわけには……」
「いいのよ。これもお仕事の報酬、ということで」
仕事の——その言葉を聞いたとき、ディランは眉を寄せた。
「……現在資料も確認中ですが、必要な部品が足りていないようです」
「あら、そうなの?」
「ええ。核の構造については、現在稼働中の機体の内部を参照させてもらえば設計情報は掴めると思いますが……組成の仕組みについてはまだ……しかし、機械人形同士で維持保全する仕組みがあると考えれば、彼らの中に修復方法が記録されている可能性も……」
ディランの頭の中には次々に仮説が広がっていく——語り込む彼の前で、ハルモは首を傾げていた。
「難しい話はさっぱりなのだけれど……やる気になってくれたと受け取っていいのかしら?」
ディランは瞬きをした。
言われてはじめて、修理を引き受ける前提で話していることに気付いたが、すでに後の祭り。彼は昔から、興味で周りが見えなくなる。
「……最善は尽くしますが……ご期待にそえるかは……」
その言葉が聞けただけで十分だと言わんばかりに、ハルモは満足そうに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
風呂から上がったディランは、用意されていた着替えに袖を通した。
それはどこか古い匂いがして、つい「親父のお下がりだろうか」などと考えてしまうディランであったが、懸命にそんな考えを遠ざけた。
居間へ戻ると、卓上には見覚えのある菓子缶と茶器が置かれていた。これは食後のデザート、というわけではないだろう。
(話をしようということかな。研究所へ戻りたかったのだが……)
そんなことを考えた刹那、ディランは思わず目を見開いた。自分の気持ちが思った以上に逸っていることを自覚したからだ。
「さっぱりしたわね」
ハルモがディランの全身を見渡すように眺めてそう言った。
「ええ、ありがとうございます。貴重な水を……」
「いいのよ。今はもう、精製水も地下水脈も独り占め、みたいなものだし」
そう言いながら、ハルモは穏やかに笑った。
「気分転換にはなったかしら?」
その問いかけに、ディランは思わず「あっ」と声を上げた。
「……そうでした。そういえば気分転換、でしたね」
「ふふ、そうよ。昨日の話の続き、してもいいかしら?」
確認されるまでもない——並べられた茶器や菓子は『これから話し込む』という思惑の滲出だった。
「……聞かせてください」
ディランはそう応えるしかなかった。
◇ ◇ ◇
「サラはね……」
ハルモはその名前を出すたびに、目を細めた。
英雄サラはこのアクオーネの名士の公女であり、事故発生後も被害者の救助や遺族の救済に努めたのだという。さらには、公害発生後の原因究明、患者の治療、月側のへの交渉など、多岐にわたって活躍したらしい。
英雄譚を聞くときは、話の誇張を見極めよ——ディランの頭にはそんな教訓もよぎった。なぜならあまりに多方面に活躍していて、一人の実績とは思えなかったからだ。しかし一方で、これが生き字引であるハルモの証言となれば、その見極めはいよいよ困難である。
「すごい人だったのですね」
ディランは一旦、ハルモの感情に迎合するように質素な相槌を置いた。
「ええ、そうよ。誇らしいでしょう?」
それでも十分だとばかり、ハルモは目尻にシワを寄せる。まるで自身が褒められたような喜びようだ。
「……もしかすると、ハルさんはサラ・アクオーネに会った事がある、のでしょうか?」
ディランがそう口にすると、ハルモはシワだらけのまぶたを大きく見開いた。そこから一気に破顔して、「あったり前じゃない! もう!」などと言いながら、手首をくねらせている。
ハルモが「あなたの、その椅子に座ってたこともあるわよ」と言うと、
今度はディランが「えっ? ここにですか?」と目を丸くする。
椅子の縁に手が触れると、サラの存在が急に温度を持った気がして、ディランは思わず座り直した。
「サラはね、当時迫害されていた私たち『月の民』も守ってくれた。体の大きな鉱夫たちにも『あなたたちも月の文明による繁栄を享受したでしょう? どうしてこの人たちばかりを責められるの!?』って……」
不信と恐怖がこの街を覆っていた時代。原因は分からず、治療法も見つからない。だから彼らは理由を求め、責任を負う誰かを探したのだろう。たとえそれが、同じ被害者とわかっていても——英雄の言葉は、二重の苦しみを負う月の民にとって、どれほど感動的なものだったのか。
ハルモの感情はついに極まったようで、何度も何度も瞳を拭った。
「……そして彼女は、医療法を開発した。飲み薬や点滴で有害物質の排出させるという」
「はい。しかし、その薬剤は精製が難しい、と聞きました」
「……そう。だから彼女は生産を増やそうとした。私財を投じて、それが尽きれば方々に協力を願って、最後には借金を背負って……」
ハルモの声音が徐々に勢いを失っていく。
「でもね、根治は難しかった。重症者や、特にうちの子みたいに小さい子には、ね……」
「……」
押し黙るディラン。
「十分だったのよ。ありがたかった。本当に救われた……」
ハルモは写真立てを見つめながら、英雄への感謝を口にした。
——窓の外で、風が鳴る。
ハルモはすっかり湯気の消えたカップを両手で大事そうに持ち上げると、それをほんの少しだけ口に含んだ。
「……彼女は患者さんに寄り添って、いくつもの命を看取った。最期の時まで手を握って。いいえ、みんながそれを望んだのね。彼女に看取ってもらえれば、この子は天国に行けるって」
残酷な話だと、ディランはそう思った。無垢な民衆はサラに、彼女が救えなかった患者の死に際を見せていたという。それではまるで、彼女の力不足を責めていることにならないか。そんな思いが、彼の胸をかすめた。
「……でもね、サラはそれを良しとしなかった」
「……どういうことですか?」
「ええ。彼女は完全な治療法を求め、月へと渡ったの」
「月に……」
「そう。もちろん、お金なんてなかったから、教団に援助してもらってね。知っているかしら、マナス教っていう」
「ええ……聞きました。この星の主教、と……」
「でも、サラは、志半ばで命を落とした……一体、どれだけ無念だったか……」
——サラは研究のために月に渡った。
その言葉を聞いた瞬間、ディランの中の推測が確かな輪郭を持った。
「私が彼女について知っているのは、ここまでよ」
「……あの、サラ・アクオーネというのは……」
恐る恐るディランは尋ねた。すると、ハルモは目を糸のように細めて見返す。
「そう……サラはきっと、あなたのお母さんよ」




