第三十九話 同衾共枕なるか
墓地の駐車場に、一台の車が滑り込んできた。
運転席の窓が開き、シプタが申し訳なさそうに頭を下げる。
「先生、お待たせしてすみません!」
「いや、こちらこそありがとう。忙しいというのに」
ディランは助手席へ乗り込み、静かにドアを閉めた。
後部座席には、自分の荷物が山のように積まれたままだ。ディランは思わず肩をすぼめた。
車はゆっくりと墓地を離れ、ヘッドライトが放つ二条の光を刺しながら夜道へと飲み込まれていく。
「……どうでした? 墓参りはできましたか?」
シプタの何気ない問いに、ディランは苦笑した。
「いや、それが……ああ、そうだ。公害のことで、シプタに聞きたいことがあったのだ」
シプタは目を丸くし、それから照れくさそうに笑う。
「えっ!? 先生が私に……? 答えられるでしょうか……なんでしょう?」
「ああ、他でもない。その公害の症状だが……月の医学で回復できないものかと、単純に疑問に思ってな」
ディランの言う月の医学、それは、人体そのものを再構築し、昔の姿に戻すという技術である。体の損傷や機能不全も回復できる。さらに月では抗老化医療も発展しており、月の人々は事実上の永い寿命を手にしている。
「はい……この公害の原因となっている物質は特殊というか。患者さんの細胞を再生させても、原因物質は濃縮してしまい……」
シプタの表情が曇る。その言葉には悔しさもにじんでいるようだった。ディランは窓の外へ目を向け、呟くように続けた。
「還元圧縮……か」
「はい……当初は研究も盛んだったようですが……」
月の医療も万能ではない。原因を取り除かぬまま再生しようとしても、かえって病原を体に損傷をあたえるケースがある。それに、不老不死を手に入れたとしても、脳の細胞まで再生すれば人格が失われてしまう。
「似ている……まるで月死病のようだ」
「月死病? ああ、聞いたことがあります。月の……しかも移民の方だけに発症するという……」
「それにしても、公害に似たような症状があったとは……盲点だったな……」
月死病。
その名を口にしただけで、ディランの脳裏にはルミナリアの姿が浮かんだ。
彼女を救う方法を求め、医学書を読み漁った日々。その積み重ねが、今の知識の礎になっている。
そんなことを思い出しながら、ふと後部座席へ目をやる。
積み上げられた書籍たち。彼らの居場所も見つけなければならない。
――しばらく沈黙が続く。
夜のアクエッタを走る車は、この一台だけ。空も暗く、知らぬ人間なら恐怖を感じるほどだ。しかしシプタはためらいなく道路を白く切り開いていく。
「あっ、そうだ先生!」
重い空気を破るように、シプタが声を弾ませた。
「病院に掛け合ってみたんです。お仕事、何とかなりそうですよ!」
「え?」
「私の助手、という形にはなるんですが……。でも、先生も今は贅沢なんて言っていられませんよね?」
期待に満ちた眼差しが、ちらちらとディランへ向けられる。
しかし、一方のディランは困ったように眉を下げていた。
「すまないシプタ。実は、私も実は先約があって……」
「え!? 」
「アクオーネ、と言う場所に住んでいる月の民が仕事を斡旋してくれるという話があってな」
「え! アクオーネに行くんですか!? 大分離れてますよ、ここから……」
「そうなのか? 後で調べなくては……という訳で、有難い話なのだが、助手の話はお断りを……」
「そんなぁ……って、いったい誰に紹介をされたんですか?」
「ああ、ちょっと、墓地で知り合った人に……」
ディランは濁しながら答える。あの老人のことは、何となく詳しく話すべきではない気がした。
シプタはすっかり肩を落とし、ハンドルにすがっているようにすら見える。
「……でもなんで、よりによってアクオーネに……」
「いや、縁というか……そうだシプタ。サラ・アクオーネという人物について知っているか?」
「えっ? もちろんです!」
さっきまで落ち込んでいたのが嘘のように、シプタの表情がぱっと明るくなった。
「私が医師を目指したきっかけの人ですよ!」
「医師、なのか」
「いえ。どちらかというと、研究者、でしょうか。公害の原因物質を体外へ排出する薬を開発した方なんですよ! 英雄の丘に墓標があったのって見ませんでした?」
「ああ、まぁ」
「ふふ、まぁ、月の人は複雑かもしれません。あの場所にアクエッタ人の墓がある、というのは」
「いや、そんなつもりは……だが気になるな……それなら、どうして今も苦しんでいる人がいる?」
その問いに突如、シプタは眉間へ皺を寄せた。前を向いたまま小さく答える。
「製法が特殊で……それに、処置をしたとして完全に回復するわけではなく」
「そう、なのか?」
「はい。症状の軽い方なら良いのですが……」
車内に、再び沈黙が落ちかける。そこへ、
「あ、でも!」
と、シプタは気を取り直すように声を張った。
「今日は泊まっていきますよね!? もうこんな時間ですし……」
「ああ、もちろん。お願いしたい」
やがて、灯りと、その光を受けながら脈打つ水面が目に入ってくる。海だ。
目的地である、港に隣接する病院の明かりの束が見えてくる。
その入り口を回り込み、脇に建つ宿舎の駐車場へと車はゆっくりと滑り込んだ。
港に接続するように、海の近くに病院がある。病院の横にある施設の駐車場に車が止まる。
シプタは病院に隣接している寮に住んでいるようだ。
「先に部屋へ案内しますね」
エンジンが止められ、シプタが車を降りる。
「こっちです、先生」
ディランは彼女の後につき、灯りの落ちた寮の廊下を静かに進んだ。
「ここです」
飾り気こそないが、必要なものはきちんと収まり、隅には渡航に使ったキャリーケースだけがぽつんと置かれている。
「おお、すごいな。もう荷解きが終わったのか?」
「ええ、まぁ……」
少しだけ視線を泳がせるシプタ。
迎えに行く前、大急ぎで部屋を片づけていたことは内緒である。
「良い部屋だな。それで……」
「はい? なんでしょう?」
「私の部屋は、どこかな?」
シプタは平静に言い放った。
「もちろん、同室ですよ」
「え? 同室に?」
「はい。そうですよ」
あまりに当然のような返事だった。
「そういう訳にはいかない。そういうことであれば、私は車の方に」
「いえ、狭いですし……遠慮しないでください!」
――もちろん、これは彼女の策である。さて、二人はどうなることやら……




