第三十八話 命運を、共に
「良い顔になってきたな……」
老人はディランの目に輝きがともったことを感じていた。
「……分かりました。そこに何があるのかは聞きません。自分の目で確かめてきます。ですが……」
「何だ?」
「……先立つ物がないので……一旦、お金を稼がないと……」
「どういうことだ? 財布も盗られたか?」
ディランは老人に、この星についてからのことを話した――盗難にあって所持品を失ったこと、当分月に帰れないこと、そして、何故ここへ、英雄の丘来たのかを――
老人はそれを、時折頷きながら聞いていた。
「――という訳なのです」
やっとディランが話し終えた、その時だった。
老人の体が力なく揺れ、そのままゆっくりと墓標の前へ横たわる。
「ど、どうされました!?」
叫ぶと同時に、ディランは腰掛けていた石を蹴るように立ち上がった。
「大丈夫ですか!」
老人の元へと駆けよる。頭を打っているかもしれない、と、慎重に慎重に回り込んだ。老人の唇がかすかに震え、何かを伝えようとしている。
「は……な……」
「はい!?」
ディランは息を呑み、老人の口元へ耳を寄せる。
「もう一度、おっしゃってください!」
老人は苦しげに息を継ぎ、震える声でしぼり出した。
「話が……なが……くて……腰が……」
◇ ◇ ◇
「そっちじゃ」
老人を負ぶったディランが、一段一段と丘から延びる階段を下りていく。途中の斜面は段々に整地され、そこには古ぼけた大小さまざまな墓が並んでいた。その小さな墓を見た時、不思議とディランは胸を締め付けられるような気がした。
階段を下り切った先、道の向こうには小屋が見えていた。
「あそこまで頼む」
墓地の管理小屋。老人はここの管理人らしい。
「鍵などかかっとらん。そのまま入れ」
「……はい、失礼します」
質素な小屋へと入ると、ディランは老人を慎重に椅子へと下ろした。
「大丈夫ですか? あの、病院にも――」
「何、腰が固まってしまってな。じきに治る。それよりお前、見かけによらず体がしっかりしているな。息も切れていない」
「ええ。渡航で体がなまっていたので、トレーニングを始めました。もっと日焼けして、背中も大きくしたいのですが、なかなか……」
「いや、いい心がけだ。見直したぞ」
老人は軽く笑うと、「いてて」と腰をさすった。
話が途切れたところで、ディランの顔が暗く沈んだ。老人はその様子を気にかけて、
「疲れたか?」と問う。
「いえ……先程の。小さな墓が、多かったものですから……」
「ああ、あれか。子供の墓よ。先の公害で被害に遭った子供たちだ」
「……」
「ふふ、変わったやつだなお前は。どんな奴かと思ったが、少しはまともなようだ」
「そんな……ですが、月の人間としてはやりきれなさも……」
「そうか、文明汚染の現場を見るのも始めてという訳か」
「話としては聞いていましたが……やり切れません」
「やれやれ……」
老人は小さく嘆息をつくと、顎で棚をしゃくった。
「おい、お前。そこの棚にある箱を取ってくれ。その菓子箱じゃ」
言われるまま、ディラン立ち上がり棚から古びた箱を下ろし、老人へ手渡した。
その角の擦り切れた箱の蓋を開けると、中には幾枚もの古い写真と手紙が雑多に詰め込まれていた。老人はそこへ手を差し入れ、一通の封筒を抜き出すとディランの前へ差し出す。
「一文無しと言っておったな。ここを訪ねてみろ……腹が減ったと言ってそれを食うなよ?」
封筒には、一人の名とアクオーネの住所が記されていた。
「ずっとアクオーネで暮らしておる月の人間だ
「月の人間が……この星に?」
ディランは思わず声を上げ、老人を見返した。
「そうだ。仕事くらいなら世話をしてくれるかもしれん。生きる分の金くらいなんとかなるじゃろう」
ディランは小さく首を振りながらさらに尋ねる。
「いえ、もう月の人間はこの星を見放したのかと……」
「何を言う。月の人間が皆、この星を離れたわけではない」
老人は肩をすくめる。
「この方はどなたなのですか……? それに、どうしてあなたは、私がここへ来ることまで知っていたのですか」
「言えぬ」
老人は首を横に振った。
「だが、急いだほうがいいかもしれんな」
短い沈黙が落ちる。
封筒を見つめたまま、ディランは静かに息を吐いた。
「……そうですか。それも自分で調べろ、ということですね」
老人は何も答えないが、その眼差しは最初の頃とは違い、ささやかな温もりを宿していた。
「……分かりました。もう、そこに何があるのかは聞きません。自分の目で確かめます。ただ――」
ディランは顔を上げた。
「もし父の居場所をご存じなら、それだけは教えていただけませんか」
縋るような眼差しを受け、老人はゆっくりと目を伏せる。
「すまんが。それは本当に分からん……」
「……そうですか」
それ以上、ディランは何も尋ねなかった。
老人は何かを言いかけて、それをとどめた。その場所に行けば何かわかるのかもしれない。しかし、不確かなことを言って期待をさせるのも残酷な話だろう、と。
ディランは封筒を胸元へしまうと深く一礼し、「また……」と残して小屋をあとにした。
◇ ◇ ◇
墓地の駐車場脇に据えられた古いベンチに腰を下ろし、ディランはシプタの迎えを待っていた。
日はとうに沈み、墓地は薄い灰色に包まれている。
ベンチ脇の電灯は頼りなく、その明かりでは手にした書物の文字も判然としない。時おり周囲を見回してはみるが、どのみち、ディランには追っ手を察知するような能力はない、と、空を仰いだ。
視界に入るのは一面の曇天。上下左右、すべてが雲に覆われている。
――アクエッタ二日目の夜。
父の足取りは得られない。
それでも、閉ざされていた道が、ようやく一歩だけ前へ伸びた気がしていた。




